第51話「僕等はあくまで健全に」

陽信ようしん……七海ななみさん……ベッドの上で抱き合うなんて……随分と大胆なことをしているのね? ……お邪魔だったかしら?」


 母さんが妙に冷静な口調で僕等に対して口を開く。怒っているわけではないのは分かる……が、少しばかり考え込むように僕等を凝視している。父さんは特に何も言わずに、苦笑をしているだけだった。


 僕は抱き着いたままで固まっている七海さん……を持ち上げるように上半身を起き上がらせて、母さんと父さんへと真っ直ぐな視線を向ける。


 僕の部屋の扉の立て付けは悪くない。そのため、内側からカギをかけていなければ、開く際にギギィ……というよくある音が鳴ることはなく、スッと扉は開かれる。


 そのため、事前にノックが無ければ……いや、何かに集中しているときはノックがあっても、扉が開いたことに僕は気づかないのだが……。


「母さん……父さん……部屋に入る時はせめてノックをしてほしいな」


 だからこそ僕は、現状の弁明よりも先にまずは定番のその言い訳を口にする。母さん達の返答の想像はつくが、あくまでも冷静に、やましいことは何もないと言い張るため……堂々とする。


「ノックはちゃんとしたわよ……何も返事が無いから……何かあったのかと思って見てみれば、抱き合っている二人が見えたというわけよ……」


「母さん……最初に言っておくよ……七海・・は何も悪くないからね。これはちょっと……僕が彼女を驚かせた結果なだけだから。何かしようとしていたわけじゃないからね」


 僕はあえて、ここで彼女の呼び捨てを強調するように母さんへと告げる。まだ慣れない呼び捨てを、僕は平静を装って必死に行う。心の中ではいまだに『七海さん』呼びだ。


 僕のその言葉に、父さんと母さんは少しだけ目を丸くして驚いた表情を浮かべていた。


 七海さんは僕の顔と母さんの顔を交互に見て、やっと現状が理解できたかのように、慌てて僕から手を離すが、距離は開けることなくそのままだ。


志信しのぶさん、これはその……私が嬉しくて……感極まっちゃって、陽信に抱き着いただけなんです……だからその……変なこととかじゃなくて……」


「まぁ、そんな所でしょうね……。状況から察するに、七海さんが陽信に呼び捨てて欲しいとおねだりして、陽信がそれに応えて……七海さんが嬉しくて抱き着いたとかそんな感じかしらね?」


「あ、はい……合ってます……全部……その通りです」


 ……ねぇ、母さん……もしかして最初から全部覗いてた? それくらい的確な理解力である。理解力があり過ぎて怖いくらいだ。父さんもなんか頷いているし。


「別に覗いていたわけじゃないわよ? 七海さんが陽信に覆いかぶさるように抱き着いていて、わざわざ陽信は七海さんを庇うときに呼び捨てにしたのだから、想像できる範疇よ」


 僕の顔を見た母さんは、理解した理由を説明してくれた。どうやら僕が七海さんを呼び捨てにした意図は分かってくれたようだ……。我が両親ながら恐ろしい理解力だけど、今はそれがありがたい。


「まぁ、抱き着くくらいは良いわ……不問にします……。むしろ映像を撮れなかったのが惜しいくらいね」


 最後にボソッと聞き逃せない単語を母さんは呟いた。僕と七海さんの耳にはそれがバッチリ届いているので、僕等は顔を見合わせて苦笑する。撮られてなくてよかったと……。


「でも七海さん……随分と服がはだけちゃって足が……太腿まで露になってますよ……? それじゃあ下着が見えて、いくら陽信でも……」


「だ、大丈夫です!! だってほら!! 見てください!!」


 母さんの言葉に、七海さんは慌てすぎてベッドの上に立ち上がると、そのままワンピースの端っこをめくって……スカートを勢いよく捲り上げた。


 いや、何してんの!?


 その瞬間の母さんは素早く、まずは父さんの首を両手で持って無理やり明後日の方向に向ける。少し痛そうな音と共に、父さんの首が母さんによって曲げられた。僕はとっさの行動に動けずにいたのに、これが今の僕と母さんの差か……。


 七海さんはスカートをギリギリまでまくり上げると、その太腿を大胆に僕等に見せつける。


 それから彼女は、さらにスカートを持ち上げる。それ以上持ち上げると、ちょうど僕の目の前には七海さんの下着が来るのでは……?! それは……まずいのでは?!


 僕は慌てて目を逸らそうとするのだが、首はまるで錆び付いたように動いてくれない。これは男の本能と理性の戦いであり……僕は情けなくも本能に負けてしまい、バッチリとその光景を目撃してしまう。


 しかし……僕の目に飛び込んできたのは、七海さんの下着ではなく……ワンピースの下に隠されたデニム生地のショートパンツだった。


 僕はその光景にホッとするのだが……同時にちょっと残念でもあった。いや、よくよく考えればわかることなんだけどさ。ここで七海さんが下着を晒すわけがない。


 だけど非常に絵面はまずいものである。


 座っている僕の目の前でスカートをまくり上げる彼女……どんな状況だこれは。


 母さんも、父さんの首を持ったまま深くため息をついた……。


「七海さん……さすがにそれははしたないですよ……。いや、ショートパンツを履いててもその行動が男子の劣情を煽ってしまうかと……」


「!!……ご……ごめんなさい!! つい、慌てちゃって……」


「まぁ、納得はしました。ショートパンツを履いていたのなら下着は見えないわね。そういう着こなし方もあるのね、勉強になったわ」


 母さんに指摘されて我に返った七海さんは、そのままスカートを抑えたままその場に座り込んでしまう。僕は彼女を庇うように、一歩前に出ると背中に七海さんを隠す。


「母さん、七海をそれ以上いじめないであげてよ。いや、いじめてるつもりはないんだろうけどさ……。それで……何の用で来たの?」


「私もお父さんもそろそろ出るから、七海さんに最後にご挨拶に来たのよ。さっき言ったじゃない」


 あぁ、そういえば……最後に来るときは出る直前だって言ってたっけ。そのおかげでというか……そのせいで僕と七海さんの抱擁も中断となったわけだ。


「そっか。もう行くんだね。次に会えるのは来週か……。ところで父さんの首はそろそろ離してあげた方が良いんじゃない?」


「それもそうね……。来週まで寂しいかもしれないけど……。まぁ、今のあなたは七海さんが居れば平気でしょう」


 母さんは、まるで僕が今まで寂しがっていたような物言いをする。


 うん……まぁ、確かにそうだったのかもしれない。ごまかしてたけれども、両親が居ないのを寂しいと感じていたのは事実だ。認める。だからさ、わざわざ七海さんの前で言わなくても良いよね……?


 僕も七海さんも、改めて隣同士でベッドに腰掛けて、母さん達と話をする。なんてことのない世間話と……来週までに僕をよろしくという母さん達の七海さんへのお願いだ。


 これが終われば、父さんと母さんと会うのは来週まで……そして、僕等はこの家に二人っきりになる。


 そう考えると改めて……緊張するな。そんな僕の考えを察したのか、父さんが最後に僕に対して忠告をしてくれた。


「陽信……これは父親として、そして一人の男として言っておくけどね……。七海さんへの気遣いを常に忘れないで欲しい。私はね、万が一の事があった時……傷つくのは圧倒的に女性の方だと思うんだ……。古い考えかもしれないけど……学生のうちは、自分の行動と、その行動の結果を常に考えるんだよ」


 父さんから、そんな言葉を聞くのは初めてだった。


 そもそも、男女に関する話なんて僕ら家族の間では一切発生していなかったから……僕に彼女ができて、先ほどの抱き合っている姿を見て、だからこそ今この言葉を僕に言ったのかもしれない。


「……約束するよ。まぁ、そもそもそんな事態にはならない様にするけどね。僕の度胸の無さ、父さんなら知ってるでしょ?」


「いやぁ、陽信は私の息子であると同時に、志信さんの息子でもあるからねぇ……。信用してないわけじゃないけど、言っておこうと思ってね。だって、ここぞという時の行動力は舌を巻くよ」


 僕と父さんはお互いに笑いあうと……僕は父さんに向けて小指を差し出した。父さんは最初驚いていたが……僕は父さんと子供の時以来の、約束の指切りを交わす。


 それがすむと、父さんと母さんは出発していった。


 僕等は二人を玄関から見送ると、父さんと母さんは仲睦まじく手を繋いで出ていった。……もしかしたらデートを兼ねて少し早めに出発したのかもしれない。


 まぁ、その辺は二人の話なので……僕は詮索することはしなかった。


「さて……七海、部屋に戻ろっか……。ゲームももうちょっと見せたいし、バロンさん達も待たせているしね」


「そうだね……ここからはさ……二人っきりだね。でも、変なことはしちゃダメだよ?」


「しないよ……というか、僕の前でスカート限界まで捲った人が何言ってるのさ?」


「あはは……お恥ずかしい所を……。この下って、脱いでも良いようにキャミソールとショートパンツにしたんだよね。だから、捲っても安心だーって思っちゃってさー」


「え……脱いで……って……?」


 僕の一言に……七海さんは頬を染めて足早に部屋まで移動していった。いや、待って、脱ぐのを想定していたの?! それを聞いちゃうと余計に二人きりってことに緊張するんだけど?!


 慌てて僕は追いかけると……彼女は僕のベッドの上に座って……僕を迎えてくれた。彼女は手を合わせながら、少し言い訳するように小さく呟く。


「えっと……変な意味じゃないよ? 単に……暑かった時のためにさ……脱いでも良いようにって……そう思っただけで……。あとほら、ワンピースって下着が透けるからさ……こういう格好が必要で……」


 しどろもどろになりながら言う彼女に、僕は少し苦笑する。


「……七海さぁ……いっつも自爆するよねぇ……。まぁ、そこが可愛い所なんだけど」


「ちょっと自爆って何さー!! 酷いなぁもぅ!!」


「まぁ、いいや。ほらこっちおいでよ。一緒にゲームやろう。バロンさん達も待ってるよ」


「ちょっと陽信!!」


 抗議するように立ち上がった彼女は、僕の傍まで来て一緒にゲーム画面を見る。……立たせたままってのはちょっとアレだし、父さんの部屋からもう一つ椅子を持ってこようかな?


 僕がそう考えた時、七海さんは少しだけ頬を膨らませながら僕とゲーム画面の間に割り込むように仁王立ちする。


「そんなことを言うなら……こうしちゃうもんね!!」


「はい?」


 にやりとした笑みを浮かべた彼女はその場で反転し、僕が座っている椅子にそのまま腰を下ろしてきた。突然のことに僕は何もすることができず、ただ下半身に彼女が乗ってくる重みを感じる。


 困惑する僕を無視して、彼女はスマホを操作するとチャットへと書き込みを再開する。


「えーと……バロンさん達は……。あ、今頃何してるんだろうって予想してるねー。えーっと……『いま、キャニオンくんの機嫌が直ったんで二人で一緒の椅子に座ってゲームしてまーす』っと」


「七海さん?! ちょっと何書いてるのさ!?」


「一緒にゲームしようって言ったのは陽信だよー? ほらほら、一緒にやろう」


 楽しそうな彼女は、僕の上にお尻を乗せて身体を動かす。いや、これはまずい。具体的に言えないけど、父さんと約束したばかりなのに……ちょっとまずい。


 だから、僕は身体を少しだけずらして、何とか彼女が僕の上から外れるようにした。うん……ちょっと狭いけど、彼女のお尻は椅子に乗る状態にすることができた。……少し窮屈だけど、あのまま僕の上に乗られているよりはマシだ。


 それから僕は彼女の両脇から腕を伸ばしてゲームを再開するのだが……。僕と彼女の背丈は同じくらいなので、ちょうど脇腹やら色々なところに僕の腕が触れる形となってしまう。


「あ、そっか……こうなっちゃう……か……。あはは……」


「気づいてなかったの……? やっぱり自爆してるよね……?」


「うー……返す言葉もない……。まぁいいや。このままゲームやろうよ」


 彼女は僕の身体を背もたれにするように体重を預けてくる。ちょうど二人の顔は並び、ゲームはしやすい体勢となったので、僕等はそのままゲームを再開する。


 七海さんが僕に解説しながらチャットをしてくれて、僕がゲームをするという奇妙な形だが……なんだか楽しかった。……七海さんが音読するチャットの内容は、ちょっと恥ずかしい物になってしまってるけど……。


 僕等はそのまま、厳一郎さんが迎えに来るまで、一緒の椅子に座りながらも健全にゲームを楽しむのだった。

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