第47話「行楽日和」

 朝……僕が目を覚ますと、目の前には天使のような寝顔をした七海ななみさんが居た。


 まさに目と鼻の先という至近距離に、七海さんの顔があるのだ……え? なんで?


 あー……まずはスマホを……えっと……スマホは……あぁ、電池が40%程度しか残ってないや。


 バロンさん達がチャットで何があったのかを必死に聞きたがっているログが残っていた。うん、僕もなんでこうなったのか聞きたい。


 とりあえず、スマホは置いといて……。


 なんで僕、七海さんと一緒に寝てるんだっけ……? 僕は寝転んだ姿勢で七海さんを見つめたまま、昨晩のことを思い出そうと脳内から記憶を絞り出す。


 ……そうだ、僕は部屋に来た七海さんと少し話をして……最初のうちはドキドキしてたけど……いや、終始ドキドキしっぱなしだったんだけど……。


 一緒に寝っ転がったら、最近の寝不足がたたってあっという間に寝ちゃったんだっけ……。


 せっかく来てくれたのに、申し訳ない。今更だけど、もっと夜更かしして話をしていたかったな。


 改めて寝顔を見ると……七海さんは幸せそうに眠っている。膝枕の時とは違う姿勢で改めて寝顔を見るが……僕の彼女なんだよね、この可愛い寝顔の人が……。


 ……とりあえず、写真を一枚だけ撮っておこう。


 そこでふと、僕はお腹のところに何か違和感を感じる。見ると、彼女の手がそこに乗っていることにはじめて気づいた。寝かしつけるって本当にやってたんだ……いやぁ、あんまり覚えてないや……。もったいない。


 でも……かすかに覚えていることがあった。七海さんが……僕に対して嘘についての話をしていたってことだ……。


 彼女は僕に、何を言いたかったんだろうか?


 罰ゲームの告白の事を言っているのであれば……もう気にしなくても良いのにな。だって、僕は言った通り……彼女の嘘なんてもう許してるんだから。おこがましい考えかもしれないけどね。


「う……ん……」


 彼女が身じろぎすると、その上にかけられた布団が少しだけ動いてずり落ちる……。布団をかけなおそうとしたところで、僕は彼女の着ているパジャマがちょっとはだけた状態であることに気づく。


 ……自然と、視線はそこに向いてしまう。


 うん……いや、何がとは、詳しくは言わないけどさ……。寝てるからか形が変わってと言うか……強調されて凄いことになっているんだけど……。こんな風になるの? これは目の毒だ……。


 僕は七海さんの布団をかけなおしてあげると、起きているのに起きられなくなってしまった自分を少しだけ恥じて、七海さんに背を向けるようにその場でそっと回転する。


 そして……回転した先には巨大な山があった……。


 驚いて僕は寝たままの姿勢で少しだけ後ろに下がってしまう。よく見るとこれは山じゃない……これは……厳一郎げんいちろうさん?!


 なんでここに厳一郎さんが寝てるの?!


 僕は七海さんが隣に寝ている以上に困惑する。


 厳一郎さんは仰向けで身じろぎもせずに寝ている……いびきもかいておらず、実に綺麗な寝姿だ……。七海さんの寝顔を天使だとすれば、さしずめこの姿は力天使とでも呼んだ方が良いのだろうか。


 完全に筋肉だけでイメージしたから、力天使の使い方が合ってるか知らないけど。


 違う、そうじゃない。なんで僕は厳一郎さんの寝姿をリポートしているんだろうか。おかげで、起き上がれるくらいには冷静になれたけどさ。


「んー……なにー……? どうしたのー……?」


 僕が後ろに下がったことで七海さんにぶつかってしまったのか、彼女を起こしてしまったようで……僕は申し訳なさを感じるのだが、すぐにそんなことが吹き飛ぶ事態が発生する。 


 寝ぼけた七海さんは、僕の腕の隙間に自身の腕を通すと……抱き枕にするがごとく僕に抱き着いてきた。


「さーやー……起こすならもっと優しくしてよー……あれー? なんか……身体大きくなったー?」


 抱き着かれたことで、僕の背中には擬音で「むにゅうぅぅぅっ」とでも言うべき感触が押し付けられ……僕は一気に目が覚める。


「七海さん……あの……沙八さやちゃんじゃなくて……僕ですよー……」


「僕って……なに陽信みたいなー……って……あれ? よ……陽信? 陽信?! えぇッ?!」


 抱き着いている対象が僕だと気づいた七海さんは、飛び起きて慌てて僕から離れる。それと同時に背中の感触も無くなり……僕も上半身だけを起こして七海さんに視線を向けた。


「お……おはよう、七海さん」


「おは……おは……おはよう、陽信……。えっと……よく眠れた?」


「うん……おかげさまでね。ありがとう七海さん」


 朝の挨拶をした僕等は、たがいに微笑み合う。ちょっと照れ臭いけど、こうやって『おはよう』って言いあえる朝は凄く良い。


 目覚めた時こそ驚いたが、僕は頭の中がとてもスッキリとしていた。今まで靄がかかっていたような気分があったのに、それがきれいさっぱり無くなっている。


 これも七海さんと一緒に寝た効果なのかな? いや、一緒に寝たって言っても健全だけどね。


「ふむ……二人とも目覚めは良いようだね。おはよう」


 唐突に背後から声をかけられて、僕等は二人揃って身を震わせた。特に七海さんなんかは目を見開いて、口を大きくあんぐりと開けていた。


「お父さん?! なんでここで一緒に寝てるの?!」


「ハッハッハ、昨日お酒を飲んで帰ってきて、陽信くんに感謝を伝えようと思ったら二人とも仲良く寝ていたからね。せっかくだから……私もここで寝ることにしたんだよ。酔った勢いというやつだね。お母さんにはちょっと怒られたけど」


 ……そういえば、睦子ともこさんには厳一郎さんが帰ってきたら挨拶したいって言ってたっけ。寝てしまって申し訳ないな。


 でもこれで……疑問だったことは解消された。七海さんは毛布しか持ってきてなかったのに布団がかかっていたのは、厳一郎さん達がやってくれてたんだな。


 僕は厳一郎さんに向かうと、そのまま頭を下げる。


「厳一郎さん、すいません。嫁入り前のお嬢さんと一緒に寝るなんてことをしてしまって……」


「あぁ、問題ないよ。頭を上げてくれ陽信くん。二人とも健全にしていたというのは見たら分かる。気に病む必要は無い」


 前に泊まりだと何をするかわからないと殺気とも怒気ともわからない何かを向けられた身としては、こうやって笑顔を向けて許してくれるのが凄くありがたかった。


 いや、ホント……ぶん殴られることくらいは覚悟したからね。


「でも……驚きましたよ……まさか隣に厳一郎さんが寝ているなんて……」


「私もビックリした……いっつもお父さん、酔って帰るとお母さんに甘えてるから……」


「七海……その件はちょっとお口にチャックしようか。あと、陽信くん……驚くのはまだ早いよ?」


 ちょっとだけ七海さんにその辺りを詳しく聞きたがったが、先に口止めをされてしまった。


 それよりも驚くのはまだ早いって……まさ睦子さんが?! と思い、僕は厳一郎さんの向こう側を見てみるが、そこには誰もいなかった。


「さて、それじゃあ起きて朝食にしようか。結構いい時間まで寝ちゃったしね。たぶん、お母さん達が色々と準備してくれているはずだよ」


 僕等は厳一郎さんに促されるままに起きると、三人で揃って移動する。


 そして……リビングに移動した僕等が見たのは……。 


「あら、おはよう陽信。よく眠れたかしら? 厳一郎さん、息子は何か不埒なことはしていませんでしたか?」


「おはよう陽信。いやぁ、自宅じゃない場所で挨拶するってのは新鮮だね」


 そこには睦子さんと沙八ちゃんと一緒に台所に立っている僕の両親の姿があった。


 いや、驚きすぎたけどあえて言うよ……なんでいるの?!


「あらあら、サプライズ成功ね~。うふふ、今日はねぇ、志信しのぶさんとあきらさんには早めにうちに来てもらったのよ?」


「陽信の驚く顔が見たくて来たけど……まさかお揃いのパジャマを着ている二人を生で見られるなんて……こっちも驚かされたわ」


「まさか我が息子が女の子と一緒に寝てる日が来るとは……。でも、よく考えたらそうだよね……志信さんの方に似てるなら、やる時はやるよね……」


 三者三様の反応を見て、僕も七海さんも顔を赤くする。僕等の後ろの厳一郎さんは楽しそうに笑っていた。うん……確かにビックリしましたけど……。それだけのために朝から来たの?


 その疑問は、僕等の朝食を運んでいる沙八ちゃんの一言で解消する。


「ほら、お姉ちゃんたち。朝ごはん食べちゃってね。今日はこれから、みんなで移動するんだから」


「移動? ……予定を空けておいてって言われてたけど……何かするの?」


「えぇ? お母さんそれすらも言ってないの……?」


 沙八ちゃんが睦子さんの方を見ると、睦子さんは頬に手を当てて楽しそうに微笑みながら今日の予定を口にする。


「うふふ……今日は両家揃って……みんなでお花見よー」


 睦子さんの宣言に、僕と七海さん以外の皆がうんうんと頷いて笑っていた。……どうやら知らなかったのは僕と七海さんの二人だけだったらしい。


 それからはあれよあれよという間に準備が進められる……。いや、正確には準備は既に終わっていた。既に車には色々なものが詰め込まれていて……僕ら待ちの状態だったみたいだ。


 車は僕の両親の車と、厳一郎さんの車で二台で移動なのだが……なぜか七海さんは僕の両親の車に、僕は厳一郎さんの運転する車に配車されての移動となる。


 そして車で移動している間……沙八ちゃんと睦子さんからの昨晩の質問攻撃が物凄かったとだけ言っておく。やはり女性はいくつになっても恋バナが好きなのか……根掘り葉掘り聞かれてしまった。


 あっちの車では……七海さんはどうなっているんだろうか。父さんと母さんに変なことを聞かれてなきゃ良いけど……。


 そして移動すること一時間……着いた場所は桜や花が咲き誇っている公園だった。


 いくつかは既に葉桜になっているが、それでも何本かの桜には花がついており……緑とピンクのコントラストがとても綺麗だ。


 それ以外にも赤や黄色の花……なんていう花だろうか。色とりどりの花を目で楽しむことができる公園だ。


「もうちょっと時期が早ければ満開だったんだけどね。それでも全部の桜が散っているわけじゃないから、お花見としては楽しめるはずだよ」


 厳一郎さんは僕にそう教えてくれた。七海さん達が子供のころにはよく来ていた場所なんだとか。


 それから僕等は車に積まれた荷物をそれぞれ持つと、その公園の中を移動していく。厳一郎さんの車に積まれているものは、僕が見たことが無いものばかりだったが……どうやらバーベキュー用のコンロとからしい。


「僕、外で焼き肉とかするの初めてです……」


「あぁ、聞いたよ。お二人とも忙しくてキャンプとか連れて行けてないって嘆かれてたからね。今日はキャンプとまではいかないけど……存分に楽しんでほしい」


「お父さん、キャンプ好きだけど七海達はあんまり好きじゃないから……。今日はお父さんも楽しみにしてたのよ?」


「だってー……外で寝るとか落ち着かないじゃない? あと、お風呂入れないのがねー……日帰りでお花見程度なら楽しいんだけどさー」


 ウキウキとした顔の厳一郎さんを見ると、僕も嬉しくなってくる。睦子さんも沙八ちゃんもなんだかんだで楽しそうだ。


 僕はみんなと話をしながら、初めて見る道具にちょっとだけ心を躍らせていた。それにしても、父さんと母さんもそんな風に思っていたのか……気にしなくていいのに。


 そもそも、僕は基本的にインドアだからキャンプとか言われても「うん、行こう!」って喜ぶタイプじゃなかったからね。たぶん、誘われても戸惑っていたか、断っていたと思う。


 そんな僕が……今日のお花見に対して凄くワクワクしているというのは、なんだか不思議な気持ちだ。


 スマホの充電が残っていないことも全く気になっていない。


 普段の僕ならゲームができないと慌てているというのに……写真を撮る程度の電池が残っていれば良いやと思っている。……正確には、七海さんと写真を撮れればいいという感じか。


 バロンさん達には「お花見に行ってきます。詳細は明日報告しますね」とだけ言っている。バロンさんもピーチさんも「楽しんできてね」とだけ言ってくれた。それから……スマホはいじっていない。


 そして僕等は、バーベキューのできる場所まで移動すると……先にいた僕の両親と七海さんが準備をしている最中だった。


 レジャーシートを敷いて、作っていたであろうお弁当をその上に置いて……簡易テーブルみたいなものまで設営していた。父さんと母さんも、あんなもの持ってたのかな?


 いや……それよりも……。


「あ、陽信!! こっちこっち!!」


 僕に気づいた七海さんが、ちょっと飛び跳ねながら僕に手を振ってくる。


 空は白い雲がほんの少しだけ見える快晴で、気温もぽかぽかとして暖かい……まさに気持ちの良い日だ。


 そんな青い空の下で手を振る七海さんへと、白とピンクの桜の花びら……そしてほんの少しの緑色の葉がゆったりとした風に吹かれながら舞い落ちてきている。


 まるで一枚の絵のような風景の中にいる彼女が……僕に笑顔を向けて来てくれていた。


 僕はその姿に……思わず見惚れて立ち止まる。


 なんて綺麗なんだろうかと。柄にもなく思ってしまった。


「陽信くん……綺麗だねぇ……」


「えぇ、綺麗です……とても……」


 僕は厳一郎さんの一言がどちらを示しているのかをあえて聞かずに、その言葉に静かに同意する。七海さんは足の止まってしまった僕を首を傾げて見てきている。その姿すらも綺麗に見えた。


 写真に収めたいのに、両手に持った荷物でそれができないのが悔しいな……と思っていたら、睦子さんが写真を撮ってくれていた。


 僕は目で後でその写真くださいと訴えると、睦子さんは黙って頷いてくれる。うん、通じた。


「さて、七海も……君のご両親も待っているし……見惚れるのはそれくらいにして行こうじゃないか」


「えぇ、行きましょうか」


 僕は止まっていた足を動かして、七海さんと両親の元に移動する。到着した僕に、七海さんが改めて笑いかけてきてくれた。


「陽信……今日は楽しもうね」


「そうだね、みんなで楽しもうか」


 今日は二人っきりのデートじゃないけれども……それでも僕等は、今日も絶対に楽しい日になると確信していた。

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