第46話「彼氏が家に泊まった夜」

 お風呂上り……薄いピンク色のパジャマを着た私は今、自分の家の中だというのにとても落ち着かない気分を味わっていた。


 温まったばかりなのに、身体は震えている。これは寒さではなく……緊張からの震え。


 理由は明白で、私の目の前には布団で胡坐をかいている私の彼氏……陽信ようしんが居るからだ。


 彼は薄い青色のパジャマを着ていて、気づいていないようなのだが、それは私の着ているパジャマと色違いのお揃いである。


 お父さんとお母さんが、昔着てたお古を直したらしい……。お揃いは嬉しいし、パジャマの隙間からチラチラ見える陽信の筋肉に視線が……いや、自重して私……。


 私達はお互いにチラチラと相手を見つつ……どうしたらいいか困ってしまっていたのだが……陽信が先に動いてくれた。


「七海さん、えっと……いらっしゃい……って僕が言うのも変だけど……とりあえず……座ってよ」


 陽信は自分が座っていた布団の上からどいて、私をそこに座らせようとする。


 自分が畳の上に移動したのは、きっと私を気遣ってくれてのことだろう……。その気持ちが、とても嬉しかった。


 私は「お邪魔します」とだけ言うと、先ほど陽信が寝転がっていた布団の上に座る。まだほんのりと、彼の温もりが残っていた。


「陽信、大丈夫だよ。一緒に座ろ? この布団大き目だし……私も毛布を持ってきたからさ。……風邪ひいちゃうよ?」


「う……うん……。いや、よく睦子ともこさんが許可してくれたね。僕の寝てる部屋に、来ること……」


 私は布団の上で、自身の横をポンポンと叩いた。


 陽信は少し躊躇ったが、私の目の前におずおずと座ってきた。その姿がなんだか可愛くて、私はクスリと笑みを浮かべてしまう。


「お母さんがね……せっかくの機会だから、陽信と少しお話ししてきなさいって。ほら、お風呂上りってリラックスできるじゃない? だから普段できない話とかもできるかなって」


「話かぁ……。確かに、こんな状態で話すって、なかなか無いもんね……。でもさ、2人ともパジャマだし……リラックスどころかさ、緊張しない?」


「それじゃあ、こうすればどうかな?」


 私は毛布を頭からかぶると、身体全体を隠して顔だけ出す。子供の時にやった……お化けみたいな格好だ。これなら身体は直接見えない。


 陽信は私の姿を見てちょっとだけ笑うと、同じように布団をかぶって……その場にお化け2人ができあがる。


 陽信はそれで緊張が解れたのか、ふにゃりとした表情を浮かべると、その場で少しだけ身体を伸ばす。


 ……ほんの数センチだけ、そんな陽信との距離を私は詰める。彼はそのことに気づいても、優しく笑うだけで私から距離を取ろうとはしなかった。


 うん、お母さんの言う通り……。お風呂上がりでリラックスしてるからか、いつもと違う感じがする。


 私が陽信のところに来られたのはお母さんに許可を取ったと言うよりも……背中を押されたからだ。


 ほんのちょっとだけ……話は遡る。


 陽信が家に泊まる様になったのは、うちのお母さんや陽信のご両親が色々と動いた結果なのだが……私は嬉しいと思う反面、その事実にとても緊張していた。


 だって、一つ屋根の下で好きな人と過ごすのだ。緊張しないはずがないよね。


 そんな中……陽信がお風呂に入っている間に、私とお母さんは二人で話をしていた。


「七海……言っていた記念日まではあと一週間くらいだけど……あれからどうかしら?」


 沙八さやも部屋に篭り、お父さんもいない今……改めて聞いてきたのだろう。もちろん、私の答えは決まりきっている。


「……前にも言った通りに覚悟は決めてるよ……。私は陽信に……」


「あらあら、違うわよ。私が聞きたいのはそっちじゃなく……ちゃんと陽信くんにご奉仕できてるって話よ?」


「そっちなの?! あれ冗談じゃなかったの?!」


 てっきり最終日のことを聞かれると思ってたのに、私は少しだけ拍子抜けすると同時に……ご奉仕と言う単語に赤面する。


 私がこれまでにやったのは……お昼のお弁当を作ったり、一緒に料理したり、デートして……ほっぺにチューとか……。うぅ……あの時のことは思い出すたびににやけてしまう。


 あとは……最近は勉強も一緒にやっているよね。でも……。


「うーん……普通に一緒に楽しんでるなぁ……」


 ご奉仕と言う単語とは程遠い。私が何かやれば陽信が返してくれて、陽信が何かやれば私が返す……。そんな、お互いに楽しくて嬉しい日々を過ごしていた。


 少しだけ胸を反らしながら、私は今までのことを思い出す。そして改めて思い出すと感じるのは……。


「それでも私の方が……陽信からいっぱい貰ってる感じかなぁ……」


「そう……それは良かったわー」


 お母さんは安心したように胸に手を当てて呟いた。良かったって……それって逆じゃないの?


 私が首を傾げると、お母さんは優しく、諭すように私に言葉を続ける。


「あらあら、不思議? お母さんね、七海が陽信くんに私の方が返せてるって言うなら、ちょっとだけ釘を刺そうと思ってたのよ?」


「釘を……刺す?」


 私の方が……なんてとてもじゃないけど言えるわけがない。今日を含めて、貰った思い出はいっぱいだ。


 お揃いのストラップは嬉しくて、見るたびに頬が緩む。陽信も付けてくれてるのだから尚更だ。


 あの日に貰ったぬいぐるみは私の宝物で大事に飾っているし、たまに抱いて寝てたりする。抱いて寝ると、あの水族館の思い出が夢で見られる気がして……。


「まぁ、七海なら心配ないとは思ってたんだけどね……。それでもほら、楽しい時間が多いと忘れちゃうでしょ?」


「忘れちゃうって……何を?」


「七海が罰ゲームで告白したってこと……。でも、その様子だと、心配ないかしら?」


 そのことを知っているのは……我が家ではお母さんだけだ。そしてそのことをお母さんと話すのも……あの時以来になる。


 でもね、お母さんの心配は杞憂だよ。だってね……。


「お母さん私ね……あの日からそれを忘れたこと……一度も無いんだよ?」


 この場には誰もいない。だから私はお母さんに本音をぶつける。


 陽信の笑顔を見て、私も嬉しくなって、二人で笑って、幸せな気分になって。ふとした時に私の感じる罪悪感を、私は淡々と話す。


 陽信が頑張る度に、私は嬉しさと共に……全てが分かった時に陽信がどう思うか……それを考えるのだ。


 そして、彼が私の前からいなくなることよりも……彼を傷つけ悲しませることの方が怖い。最近ではそう考えるようになってきた。


 もしかしたら、以前の私のように……陽信は女性が苦手になってしまうかもしれない。そうなったら、私はどう償えば良いのか……。


 今更かもしれないけど私は……いざとなればどんな償いでもする気になっていた。だって……決めたのは私で……その責任は全て私にあるのだから。


 お母さんは、そんな私の話を黙って聞いてくれていた。それから、少しだけ私を心配するような笑顔を浮かべる。


「そう……七海がその気持ちを忘れて無くて安心したわ……。でもね……思いつめすぎるのは良くないわよ? だから……お風呂上りにでも、陽信くんと二人でゆっくりお話ししたらどうかしら?」


「え……? いいの?」


 思いがけない提案に、私は少しだけ嬉しくなる。てっきり、お母さんはそう言うのは許してくれないと思っていたんだけど……。


 その顔には、やっぱり少し心配そうな笑顔を浮かべていた。


「七海もそうだけど……陽信くんもね……何か少し無理をしてる感じがするのよ。心当たりないかしら?」


「……うん……心当たりはないけど……最近は私もそう思ってた」


 最近の陽信は、よくあくびをしている。なんだか疲れてるみたいだし……ゲームで夜更かしし過ぎてるって言ってたけど……それ以外にも何かありそうなのだ。彼はわかりやすいから。


「それじゃあ……お互いお風呂から上がってリラックスした状態の……素の七海で陽信くんとお話ししてきなさい。あ、変なことはしちゃだめよ?」


「……しないよ、心配しないでよ」


 私はお母さんにそれだけ言うと、笑顔を見せた。


 私もお風呂の中で色々と葛藤したけれども、お母さんから送り出されて……私は今ここにいる。


 ……化粧もしてないすっぴんなので、そこはちょっと恥ずかしい。


「そう言えばさ、明後日は僕の家に来てみたいって言ってたけど……明日は何しようか? 特に決めてなかったよね?」


 陽信は布団を被ったら眠たくなったのか、目を半分に閉じながら……ちょっと身体をゆらゆらと揺らしている。なんか可愛い。


「それなんだけどさ……明日はお母さんが予定を空けておいてって。なんか、したいことがあるみたい」


「……構わないけど……七海さんも知らされてないの?」


「うん、なんか、明日のお楽しみだってさー」


 そんな風に、ぽつりぽつりと私と陽信は会話を続ける。


 お喋りしてるうちに緊張も徐々に解れていき、私達はいつしかお化け状態じゃあなくても、お互いリラックスしてお喋りできていた。でも、リラックスしすぎたからか……会話はちょっとだけ途切れ途切れになっていく。


 でも、会話の合間にくる沈黙に対して焦る気持ちは起こらず……逆にどこか心地よかった。


 雰囲気がいつもより、ずっと柔らかい。


「陽信さ……最近……無理してない? 結構あくびとかしてるしさー、今もこーんな可愛い彼女と一緒だって言うのに、眠そうだよ? 何してるのさー?」


「んー……無理はしてないよ……。ただ色々とやりたいことが多くてさ……時間が足りなくて……睡眠時間は削っちゃってるかな……?」


「それを無理してるって言うんじゃないの?」


 私は思わずクスリと笑ってしまった。


 無理をしてないと言っておきながら、あっさりと睡眠時間を削っていることを白状してしまったのだ。陽信もちょっとだけ、しまったという表情を浮かべている。


 これがお風呂上りのリラックス効果なら、凄いな。お互いに色んな事を喋っちゃいそうだよ。


 ばつが悪そうな陽信は、私がそれ以上聞いても、睡眠時間を削っている理由は頑なに教えてくれなかった。でも……これで陽信が何か無理してるってのは分かった。


 そんな子供のような表情を浮かべる彼がおかしくて……私は布団の上にごろんと寝転がる。


「じゃあほら、今日はもう横になろ? 疲れてるときは寝っ転がってるだけでも違うんだって。なんなら、寝かしつけてあげるよ?」


「添い寝は……恥ずかしくて無理だったんじゃないの?」


「お風呂上り効果かなー……なんか、お喋りしてまったりしたら平気になっちゃった。陽信は、添い寝は嫌?」


「……嫌じゃないよ……ズルい聞き方するなぁ……」


 ちょっとだけ嘘だ。


 恥ずかしさは正直かなりあるけど……それ以上に、彼を寝かせてあげたいという思いが強くて、私が寝転がって、彼を無理にでも同じ体勢にしようとしているだけ。


 私が毛布にくるまって横になっていると、陽信も少し躊躇ったが……やがては観念したように一緒に横になる。


 一緒に同じ布団で向かい合わせに横になる……肉体的な接触は一切無いというのに、なんだか膝枕をした時よりもドキドキしている。


 これは同じ姿勢になったからなのか、それとも寝たまま向かい合うという状況が特殊だからかな?


 お互いに顔は真っ赤で……やっぱり二人の間には沈黙が流れて……。ドキドキしてるのに、私はどこか安心を感じていた。矛盾してるけど、本当にそう思うのだ。


 雰囲気も普段と違っていて……その……いやらしい雰囲気じゃなくて、どこかほんわかした雰囲気だ。


「ねぇ、陽信……前にさ、お父さんに最初に言われたこと覚えている?」


「厳一郎さんに……? それって、七海さんが嘘を付いた時の事? 本当のことを言って欲しかったって……」


「うん……ねぇ、陽信……もしもさ……あの時みたいに私が陽信に対して嘘を付いたとしたらさ……陽信は私の事……許してくれるのかな?」


 この雰囲気に流されたのか……私はつい口にする。


 あの時……お父さんから言われた言葉を借りて……私が陽信に対して嘘を付いた時……彼がどう思うのかを聞いてしまった。


 少しだけ言ってしまったことを後悔するけど、陽信は少しだけ考え込む素振りを見せてから、私に対して優しい視線を向けてきた。


「そうだね……嘘の種類にもよるけど……許すよ……僕は……きっと許す」


 その一言で、私の心の中にある重たい何かが少しだけ軽くなるような感覚を覚える。


 まだ、罰ゲームのことを言ったわけじゃないのに……虫のいい話だと分かっていても「許す」の一言で私は救われた気分になってしまった。


 でも、まだ全部許されるには早すぎる……。だから私は言葉を止められずに、嘘についての話を続ける。


「……もしかしたら、陽信を傷つける嘘かもしれないよ?」


「七海さんは……そんな嘘を付く人じゃないよ……ついたとしてもきっと……優しい嘘だよ……」


 私を心から信じているその言葉に、胸がちょっとだけチクリと痛む。その後も、陽信は横になった影響から眠たくなってきているのか、途切れ途切れに言葉を続ける。


「嘘ってさ……一概に悪いことじゃないと思うんだよね……例えばサンタさんがいるって話や……サプライズだって一種の嘘だよ……相手を傷つけない嘘ってのもあると思うんだ……」


 そんな思いやりに満ちた嘘は確かにあるけど……私が今抱えている嘘は、そんなに優しいものではない気がする。


「それでもいつか……私が陽信を傷つける……嘘を付いちゃったときは……やっぱり……怒るかな?」


「……それは、少しは怒ると思うよ……でも怒る以上に……なんでそんな嘘を付いたのかを考えちゃうかな? 七海さんは……優しい人だから……それにね……」


「それに……?」


「怒って、相手を許して……仲直りして……。そんなことも良い思い出だって言える関係になりたいって……前に七海さんが言ったんじゃない……僕も……そう思うよ」


 水族館の時に私が言った言葉を、今度は陽信が言ってくれた。


 そうだよね、私は……そういう関係になりたいって思っていたんだ。陽信も……そう思ってくれたことが凄く嬉しい。


「七海さん……僕もね……七海さんに……言いたいことが……沢山あるんだ……」


 瞼が半分以上閉じた状態で、陽信はまるで寝言のように呟く。


 やっぱり、日々の疲れとか無理が一気に出ちゃったのかな……? 私は眠そうな彼のお腹の辺りに手を置くと、子供を寝かすようにポンポンと軽く叩いてあげる。


 少しだけ固い腹筋の感触が私の掌に伝わってくる。……陽信は私が叩くリズムが心地良いのか、だんだんと瞼が降りていった。


「いっぱいあるの……? 今言っても……良いんだよ?」


「……僕にまだ……勇気が出ないからさ……それは……待っててよ……」


 陽信が勇気を出すこと……それがいったい何なのか気になるけど……彼はそのまま寝息を立て始める。


 勇気を出す……か……。


「ありがとう……それと……ごめんね、陽信……」


 私は陽信から勇気を分けてもらうように、彼の頬を少しだけ撫でる。今日……何も知らないのに陽信は私を許すと言ってくれた……それだけで……私の気持ちは満たされた。


 涙が出そうだけど、今はまだ泣くときじゃない。


 例え記念日にどうなろうとも……陽信の選択なら、どんなものでも私は受け入れるよ。今日の陽信との話で……私はそれを決意することができた。だから、ありがとうと……ごめんなさい。


 そして、すやすやと子供のように眠る彼を見て、私もなんだか眠くなってきちゃった。急激に体中に睡魔が襲ってきて……動けなくなる……。


「戻らないと……お母さん……来ちゃうかな……でも……私も限界……」


 最後に陽信の頬にお休みのキスをしたかったけど……身体は動いてくれそうもない……。動くのを諦めた私は、せめてと陽信におやすみの言葉を投げる。


「おやすみ……陽信……良い……夢を……」


 陽信のお腹の上に手を乗せたまま……私はその言葉を最後に、眠りの中に落ちていくのだった。

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