第42話「僕の覚悟と決意」

 七海さんとの水族館デートが終わった翌日……僕等に対してほんのちょっとだけ誤解を受ける事態が発生した。


 それは僕が髪を切ったから急にモテて、七海さんが嫉妬してしまうとか……そう言うお約束な話ではないことはあらかじめ言っておく。いや、散髪も原因の一つではあるのだが……。


 その日……僕は学校に付いたところでちょっとお腹が痛くなってしまって、七海さんには先に教室に行ってもらい、僕が後から教室に入るという出来事が発生した。


 起きた出来事はそれだけなのだが……僕と七海さんが手を繋がずに……それどころか、別々に登校している姿を何人かが目撃したのである。


 いや、別にそれは本来であれば普通の事で……むしろ手を繋いで教室まで行くとかいう方が少数なんだけれども……慣れというのは怖いもので、周囲はそのことに騒然としたそうだ。


 それに加えて僕が髪を切ったことが、ある一つの噂を生んでしまうことになる。


簾舞陽信みすまいようしん茨戸七海ばらとななみにフラれて髪を切ったのではないか』


 そんな噂だ。


 僕が七海さんに言われた通りに髪をワックスで整えず来たのも悪かったのかもしれない……ワックスで整えて少しでも見栄えを気にしてたらそんな噂は出なかったかもしれない。


 同じクラスの人達は、僕と七海さんが合流してから昨日のデートの話題をしていたのを見ているので、そんな噂には惑わされなかったのだが……。


 問題は惑わされた人達である。


 標津しべつ先輩なんか、その噂を聞いたら休み時間に僕のところに来て……唐突な三年生の登場に、教室も騒然となる。


陽信ようしん君!! 茨戸君を怒らせてフラれてしまったって本当かい?! 心配いらない!! 僕も一緒に謝ってあげよう!! 誠心誠意謝れば、茨戸君もきっと許してくれるよ!!」


 先輩は僕の姿を見つけるなり、近づいてきて大声で叫びだした。うん。いや、僕の隣に七海さん居るんですけど?


「いや、先輩……別に僕フラれてませんから、ほら、七海さんここにいるでしょ?」


 先輩は全く七海さんが見えていなかったのか、僕と七海さんが談笑している姿を改めて見る。それから七海さんは、フラれていないことを証明するかのように、無言で僕の頭をギュッと自身の胸に抱く……。


 って何してんの七海さん?! 教室だよここ!?


 だけど先輩はそれを見てホッと胸を撫でおろし「何だい何だい、人騒がせな噂だ!! 全くけしからん!! 犯人はバスケ部の地獄の特訓フルコースの刑にしてやる!!」と、プリプリと怒りながら去っていった。


 ……変われば変わると思ったけど、標津先輩も変わったものだ。今は純粋に僕等を応援してくれているようだし……いつの間にか僕のことを名前で呼んでいた。


「ほい、七海。良い写真撮れたよ」


 いつの間にか音更おとふけさんが先ほど僕を抱いた状態の写真をスマホに収めて七海さんに送っていた。いや……何してるの……。七海さんは嬉しそうにしているから、何も言えないけど……。


「陽信も、この写真……欲しい?」


「……欲しい」


 僕に写真を見せてきた七海さんは、ニヤリとした笑みを浮かべて僕に写真を送ってくれた。写真を見た僕は……頭部の感触を反芻しながら、水族館の時もこんな感じだったのかなと、そんなことを考えていた。


 標津先輩の誤解は解けたが、本当の波乱は昼休みに起きた。


 僕と七海さんが一緒にお弁当を食べているところに……噂を聞きつけた七海さんの友達の女生徒が大量に訪れたのだ。


 七海さんは僕と違って友達が多い。それこそギャル系の女子から、真面目系の女子、おどおどした気弱そうな女子に、バリバリの武闘派の女子と、集まった人たちは多種多様である。


 そんな彼女達が一斉に集まった理由は……七海さんを慰めるためだった。


 噂というのは怖いもので、『僕が七海さんにフラれた』という噂は『僕が七海さんをフッた』や『僕が浮気して七海さんが怒った』みたいに、様々な形に変化していた。本当……噂って怖いなぁ。


 そして彼女達は、男子が苦手だった七海さんがやっと付き合うことのできた男子に……フッたとしてもフラれたとしても、きっと彼女は傷ついているであろうと、自然に集まってくれたようだ。


 もしかしたら、それが原因でまた男子が苦手になるかもとか、もしも浮気が真実なら僕のことをボッコボコにしてやろうとか、とにかくみんな、傷心かもしれない友達を慰めたいという思いでいっぱいだった。


 僕は七海さんがとても好かれていることに少し嬉しくなる……と同時にちょっとだけ武闘派の意見に怖くなった。まぁ、暴走せずに先に七海さんに確認しに来たのだから……問題なしとしよう。


 そして集まった彼女達は……僕と七海さんがお弁当を一緒に食べている姿を見て安堵したのか、みんな一斉に非常に大きなため息をつくのだった。


 ……ちょうど七海さんが僕にあーんしてくれようとしている場面だったから、呆れもあったのかもしれない。


「もぉ~……みんな心配しすぎだよー? 集まってくれたのは嬉しいけどさ、私と陽信はちゃーんとラブラブだから。ほら、こんな写真も撮ったんだよ?」


 そういって七海さんはスマホをみんなに見せる。あぁ、そっか。音更さんが撮った写真はここで使うんだと僕は納得したのだが……七海さんが見せた写真に周囲は集まった時よりも騒然となった。


 あれ? なんかリアクションがおかしい……というよりも……僕と七海さんの顔を交互に見て……中には顔を赤らめている女子までいる。なんでそんなリアクションを?


 確かに抱き着かれてちょっと恥ずかしい感じかもしれないけど……そんなに真っ赤になるような写真では……。そう思い僕が七海さんの見せているスマホを覗いてみると……。


 表示されている写真は、僕と七海さんと……ユキちゃんの三人で映っている写真だった。


 あの……まるで親子みたいに見える写真が、スマホに表示されていた。


「七海さん!! それ違う!!」


「へ? あ?! 違う、こっち!! こっちね!!」


 七海さんは慌てて写真を切り替えるが、時すでに遅し……目の前の女子達の目は全員好奇の色に染まっている。とにかく七海さんに根掘り葉掘り聞きたそうにしているのだ。


 ただ、僕等の仲を確認したから安心したのか、彼女達もお昼を取っていないのか、彼女達はそれ以上口を開くことなくその場は自然と解散となり……僕等はお昼を無事に食べ終わることができた。


「ねぇ、七海さん……これってさ……新しい噂……流れないよね……」


「うーん……皆なら心配ないと思うけど……。でもまぁ……そっちの噂なら……流れても良いかな?」


 いやいや、良いわけないでしょ……。僕はともかく七海さんの評判が落ちるのは……と思っていたのだが、七海さんはスマホをいじりながらあっけらかんとしていた。


「常識的に考えて、私と陽信に子供がいるなんて噂、流れないよ。……まぁ、もしもそんな噂が出たらユキちゃんのママに説明をお願いしようかな?」


「……連絡先、交換してたんだ?」


「うん、せっかくだし交換してたんだよね。ユキちゃん可愛かったしねー」


 流石七海さん……コミュニケーション能力がものすごく高い……僕なら真似できないや。


 それから……放課後までに噂の内容は「簾舞陽信と茨戸七海の仲は短い間に急速に深まっている」というものに上書きされていた。ユキちゃんの件は表に出ず……七海さんの言うとおりになった。


 そう思って安心してたんだけど……。


「じゃあ、彼氏さん……七海の事、借りてきますね~」


「ごめんね、陽信……。こまめに連絡するし……後で待ち合わせて、一緒に買い物しようね?」


 放課後、七海さんは昼休みに集まった女子達に連れて行かれてしまったのである。……音更おとふけさんと神恵内かもえないさんも一緒だ。


 なんでも、僕と七海さんの進展具合を聞きたいと……大人数での女子会を開催することになったらしい。今までその辺が割と謎に包まれていたので、みんな興味津々だったのだとか。


 それが今回の一件で……具体的にはあの写真で爆発した。


 僕も七海さんも噂を払拭してくれた恩があるので、それに付いては快諾した。七海さんも友達付き合いがあるだろうし、それに音更さんと神恵内さんが一緒なら安心だ。


 僕は彼女達を見送って……それから一人で行動を開始する。移動する場所はいつものショッピングモールだ。


 最近は常に七海さんと一緒だったから、なんだか懐かしい感じがする久方ぶりの完全な一人……いや、たったの二週間ぶりか? うわ、まだ二週間しか経ってないんだよね……。


 だけど、この一人の状況というのは今の僕にはとても都合がよかった。


 昨日のデートで僕は、手作りのものを送られるということの嬉しさを痛感した。休日も彼女のお弁当が食べられることの幸せというのは極上だった。


 だから僕も……彼女に手作りの何かを送りたいと思ったのだ。


 それからは色々と考えた。何を手作りして送るかというのだ。こういうのは気持ちが大事だから何でもいい……というものではないと思う。


 送るならきっと……本当なら、食べ物の方が重すぎなくてちょうどいいんだろうとは思っている。彼女のためを思って作った僕の料理というのも考えた。


 でも僕はまだまだ料理を七海さんに習って居る途中で……彼女に作って送るなんてとても言えない。もしかしたら喜んでもらえるかもしれないけど……どうせなら……何か形に残るものを送ってあげたかった。


 じゃあどうするかと考えたときに、僕は前にバロンさんから言われた言葉を思い出したのだ。


『プレゼントとかは、一ヶ月記念日とかの方が良いと思うよ』


 そう、一ヶ月記念日……あと二週間後に迫ったその記念日だ。


 僕にとっても、彼女にとってもその日はとても重要な意味を持つ。最初に彼女が提示された罰ゲームの期限が、一ヶ月だからだ。その日に彼女がどういう行動に出るかは……僕にはわからない。


 もしかしたらそこで別れを切り出されてしまうのかもしれない。何もないのかもしれない。逆に盛大にお祝いをしようとするのかもしれない。


 彼女の心根は僕にはわからない。だからこそ……僕は一つ決めたことがある。


 一ヶ月の記念日……僕は改めて彼女に告白する。


 それはデート中に見た夢にも起因している。あの時、夢の中で僕は素直に彼女に好きだと伝えた。それを現実にもしたいと考えたのだ。


 ……そして、その時に僕は彼女に手作りの物を送りたいのだ。一ヶ月記念……そして、僕からの改めての告白のプレゼントとして……。


「ちょっと考え方が……重たいかなぁ……」


 自嘲気味に僕は呟く。この辺りが女性経験の少なさ……いや、皆無な点が響いてくる。その辺の匙加減が分からず手探りなのが怖いところだ。


 でも……下手に高価な贈り物を買うよりも自分で作った手作りの物を送った方が、気持ちが直接渡せる気がして……七海さんなら喜んでくれるんじゃないかという期待も持っている。


 決意したのに迷っていると言うのが非常に僕らしくもあるのだが、それでもやれることは全部やっておこう。後悔しないために。


 作るものは……レジンを使った手作りのネックレスを考えている。


 最初は指輪を考えたのだが、流石に難易度も高そうだし、それはあまりにも重いのではないかと自分の中で自主的に却下した。


 その点、ネックレスなら作り方を乗せた動画も結構多いし、そのための材料が安価で手に入るのが非常に大きい。贈り物としても指輪よりは重くない……と思う。


 だからそのための材料を買いに、これ幸いと僕はいつものショッピングモールに一人で来たのだが……。


「七海さん、これ可愛くない?」


 と、ふとしたことで七海さんのことを呼んでしまうのだ。うーん、一人で来ているのに、これでは変な人である。怪しさ満点だ……。


 それからはなるべく口に出さないようにはするのだが、見るもの触るもの、全てに対して七海さんを連想してしまう。彼女へのプレゼントを考えているからだろうか?


 それから目ぼしい材料を少し多めに買い終わって、七海さんからの連絡もちょくちょく受けながらショッピングモール内をブラブラと歩いているのだが……なんだか……こう……落ち着かないというか……。違和感というか……。


「なんか……寂しいなぁ……」


 無意識に呟いたその一言で気が付いた。あぁ、そうか。僕は寂しいのか。


 七海さんが隣にいなくて寂しいんだ。


 七海さんの家から帰った時はこの寂しさが埋まった状態だったから平気だったけど、放課後から隣に七海さんが居ないってのは初めてだもんな。我ながら……変わってしまったものである。


 荷物をカバンにしまった状態で、ショッピングモール内のベンチに腰掛けて少しだけ天井を見上げる。七海さんからは女子会も終わったのでそろそろ向かうというメッセージが来ているようだった。


「七海さん……早く会いたいなぁ……」


「私も、早く会いたくて急いで来ちゃった♪」


 僕の発言の直後に、僕が聞きたかった声がすぐそばから聞こえてきた。


 その方向に視線を向けると……七海さんが、音更さんと神恵内さんと一緒に立っていた。


「……どこから聞いてました?」


「寂しいなぁ……ってところから? もー……陽信ってばそんなに私に会いたかったんだー。寂しがり屋だねぇ。ほら、甘えても良いんだよ?」


僕の隣にわざわざ腰掛けて、七海さんは僕を招くように両手を広げてきた。たぶん、ここで本当に抱き着きに行ったら赤面して慌てるくせに……まぁ、こんな場所で僕がいけないとわかっててやっているようだけど。


 だけど、思わぬところから援護射撃が飛び込んできた。


「女子会の最中に七海が陽信に会いたいって言いだしてな。無理矢理にお開きにして急いできたわけだ」


「ま~……あの子たちも聞きたいことは全部聞いたし満足できたんじゃない~? 途中から完全に七海の惚気ショー、または七海ソロライブになってて~、もう空間が甘い甘い……」


「二人とも余計なこと言わないでよ!!」


 広げていた手を閉じて二人に抗議する七海さんである。……あの大人数に対して何を言ったのか聞くのが怖いので、僕はあえてその話題を広げないことにした。


「二人とも、七海さんを送ってくれてありがとうね」


「礼には及ばないよ。んじゃ、邪魔者の二人は退散するのでお二人さん、仲良く新婚の買い物を楽しんでねー」


「簾舞に七海ー、ばいばーい。また明日ね~」


 そのまま手をひらひらと振って立ち去る二人を僕等は見送り、いつも通りに手を繋いで食料品売り場へと向かう。


 うん……やっぱり……隣に七海さんが居るのが今の僕にはすごくしっくりくるな。そのまま僕等は、今日の晩御飯は何にするのかを話し合いながら買い物へと向かう。


 七海さんの手の温もりを感じながら……一ヶ月の記念日……たとえどんな結果になったとしても……僕から告白することを、僕は改めて決意するのだった。

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