第43話「二人の勉強会」
記念日に僕は七海さんに改めて告白する。
そう決意をしたのは良いのだが……それとは別に、僕は今現実的な問題に直面してしまっていた。
「うわぁ……これは……やばいなぁ……」
僕は先週行われた、数学の小テストの結果を見て机に突っ伏しながら呟く。
点数……36点……。だいぶヤバイ……赤点ギリギリの結果となっている。赤点じゃなくてホッとしたけど、今までで一番ヤバい結果となってしまっている。
今まではだいたい50点~60点の良くも悪くもない成績だったのに、ここにきてグッと点数が落ちてしまったのは痛い。実際問題、ホッとしている場合じゃないね。
「陽信、テストの結果どうだった? ……って……だいぶ落ち込んでるね……そんなに酷かったの?」
七海さんが僕の席まで来たので、僕は無言で七海さんに答案を手渡す。僕の落ち込みっぷりから察したのか、七海さんは無言で僕の答案を見て……。
「うわぁ……」
思わずといった感じで呟いてから、口元に手をやった。
こんな七海さんの声を聞いたのは初めてである。また初めての声を聞いてしまったが、嬉しいという気分にはなれない。
なんかもうその「うわぁ……」の一言に色んな意味が込められていそうだ。蔑んだ目で見られたら新しい扉を開いてしまいそうな響きがその声にあったが、幸いその表情は苦笑いである。
「ま……まぁ、今回のテストはちょっと難しかったもんね。赤点じゃないだけ偉いよ?」
苦笑いを消しきれない笑みを浮かべて、彼女は僕の頭を撫でながら慰めてくれるのだが……僕は知っているからね……七海さんの成績が良い事を……。
……いや、まずは教室で頭撫でられるってことを突っ込もうか僕。
「……七海さんの点数はどれくらいだったの?」
「えっと……こんだけ」
七海さんはそっと僕に答案を見せてくる……その点数は……87点……。ダブルスコア以上の点差が開いている。
ちょっと難しいと言っていたテストでこの点数なのである。だったら普段はどれだけの点数なのだろうか?
「凄いね七海さん……今回はなぁ……勉強とかあんまりできてなかったし……もうちょっと頑張らないとなぁ……」
「もしかして……私のせいかな?」
「それは違うよ……単純に僕の努力不足……」
少し気に病んだような七海さんの声を、僕は大きなあくびをしながら否定する。まぁ、確かに七海さんと一緒の行動は多かったけど……帰宅後に勉強する時間は取ろうと思えば取れていた。
それを筋トレやソシャゲ、さらにはバロンさん達への報告なんかに使って、単純に僕が勉強をサボっていたというだけの話だ……。
でもまずいなー……彼女と付き合うようになって成績が下がるって、七海さんの評判も悪くなっちゃうかな……それは避けないとな……。どうにかして勉強の時間を確保するかな?
若いんだし……徹夜を挟んでも大丈夫だろうから……ここは多少無理してでも……。
「いまさ、徹夜して無理してでも勉強の時間を確保しよう……とか考えてた?」
七海さんが半眼で睨むように言ってきたその言葉に、僕はギクリとさせられる。半眼のままの七海さんは僕に極限まで顔を近づけてきた。鼻がぶつかるほどの距離で、僕はジトーッと睨まれる。
僕は彼女と目線を合わせることができず、目が泳ぎに泳いでしまう。これは考えてたことがバレたという点以外にも、距離があまりにも近すぎるということからなのだが……。
彼女はそれで僕の考えを確信したのか、その距離のままでため息をつく。彼女の吐息が僕にかかり、僕の心臓は大きく跳ね上がる。無意識なんだろうけど、心臓に悪い行動だ。
「陽信はわかりやすいねホント……ダメだよ、徹夜なんて無理したら」
「でもほら、若いんだからちょっとくらい寝なくてもさ……」
「私が心配だからダメなの。もう……」
そういうと僕から離れた七海さんは、額に手を当てながら呆れたように僕を窘めた。うーん……七海さんに心配をかけちゃダメだし……徹夜は無しかぁ……。
そうなると、ソシャゲの時間を削るか……。いやまぁ、学生の本分は勉強だから……それが当然なんだろうけどね……。バロンさん達にはちょっとその辺を伝えておこう……。
そんな風に僕が考えていると、七海さんはスマホで何かを調べているようだった。そして、一人で納得したように頷くと、再び僕に顔を近づけてきた。
「陽信さぁ、今日からは……私と一緒に勉強しよっか? 今までは私の部屋でお喋りしてたけど、その時間で勉強を教えてあげるよ?」
そんな願ってもない提案が七海さんからされてきた。よくよく考えたら……あの時間って七海さんの勉強の時間を奪っていたんだよね。それで成績を維持しているんだから、彼女は本当にすごいと改めて実感する。
「うん……いや、僕としては嬉しいけど、七海さんは良いの?」
「別に問題ないよ? そう言うの、勉強デートって言うんだってさ。毎日放課後にデートできるって考えたら……素敵じゃない?」
勉強デート……。何その矛盾したような響きの言葉は。勉強とデートの両立って、凄い難易度高くない? なんでもデートに結び付けるって、世の中の発想が凄いなぁ。間違っても僕には出ない考え方だ。
「……て言うことは……今までの七海さんの部屋でのお喋りも全部、おうちデートに入るってことなのかな?」
なんとなく言ったその言葉は……その通りだったのか、七海さんは顔を赤くして僕の背中をバンバンと叩くのだった。うん、僕も言っててちょっと照れ臭かった。
周囲からの視線は「またやってるよあいつら」という程度には、慣れたものになっていたのだった。
それから……僕等はいつもの買い物と料理、夕食を終えてから七海さんの部屋に移動する。
それは良いのだが……七海さんは「ちょっと待っててね」と言ってから部屋から出て行ってしまい。今の僕は彼女の部屋に一人でいる。
勉強道具は持ってきているし……何の準備があるんだろうか?
割と長い間待ったところで、七海さんと厳一郎さんが揃って部屋に入ってきた。厳一郎さんも一緒に勉強……なわけないよね。
彼はその手に小さな丸テーブルを持ってきていて七海さんの部屋の中央に置くと、僕に勉強を頑張れとエールを送ってそのまま去っていく。あぁ、わざわざ勉強用の机を持ってきてくれたのか。ありがたい。
「じゃあ勉強しようか。陽信君……今日のテストを出してください」
七海さんのいつもの先生プレイが始まった……と思いながら、僕はテストを出してテーブルの上に置くと……向かいに座った七海さんの格好に、僕はその時はじめて気づいた。
彼女は……白いワイシャツに、ピシっとしたスカートの黒いスーツ姿に着替えていた。眼鏡までかけて、髪は横で一つ縛りにして肩から垂らしている。
え? なんでそんな格好をしているの?
「七海さん……何……その恰好」
「これ? 陽信に勉強を教えるって話したらお母さんが貸してくれたんだ。どう? 先生っぽいでしょ。可愛いかな?」
「う……うん、可愛いよ」
いや、可愛いって言うか……むしろ……ちょっと刺激が強いというか……。スーツ姿なんて初めて見たから、その大人っぽさにドキドキしてしまう。
彼女は僕の向かいに座ると、僕のテストを真面目な顔をして凝視している。その真剣さを見て、僕は少し不純な考え方を覚えた自分を恥じる。今ここにいるのは彼氏彼女ではなく、教わる生徒と先生……それくらいの緊張感を持たなければ。
「答案を見ると……なんかケアレスミスって言うか……公式の選択ミス? そんな感じのが多いね? もしかして……答えと問題を丸暗記してるタイプかな?」
「あー……そうなんだよね。なんか公式とかどれ当てはめて良いのかわかんなくなっちゃうことが多くて……問題から答えまで丸暗記して、その中のどれを使うか……ってやり方になっちゃっててさ」
「んー……私は数学は暗記よりも理解の方が重要だと思うんだよねー。 暗記するなら公式とパターンかなぁ? 問題と答えだけ覚えても、応用はできないから。その辺りって、実は文系と同じだと思ってるんだよね」
それから七海さんは僕の答案を指さしながら、間違えた問題に対して適切な助言を与えていってくれている。答えは言わずに、ここは何故間違えたのか、正しい公式はこうだとか……そういう解説付きだ。
僕が理解していない部分に関しても、とても根気よく丁寧に説明してくれて……その口調は厳しくなく、とても優しいものである。
教えてもらうと、なんでこんな間違いをしたのかちょっと恥ずかしくなってしまう部分もあるけど……それでも彼女の教え方は丁寧だ。
学校の先生には申し訳が無いんだけれども、七海さんから教えてもらう方が百倍は頭に入ってきている気がする。これは先生の問題じゃなく、僕の心構えの問題なんだろうな。
七海さんは向かい合わせで座っているので、必然的に彼女は身体を伸ばして僕に教えてくれる形となる。最初のうちは僕も真剣に聞いていたのだが……そのうち、ある一つのことに気が付いてしまった。
……七海さんが来ているシャツにスーツ……
僕はそれを見ないように、慌てて目を逸らす。だけど……オレンジ色のちょっと派手な何かが視界の端に見えてしまったのは不可抗力だろう。
「……陽信、どうしたの?」
「七海さん……あの……胸元隠して……見えちゃってるから……」
僕の一言に七海さんは慌てて胸元を隠しながら、乗り出していた身体を戻す。それから少しだけ上目遣いになりながら、僕をほんの少しだけ睨みながら呟いた。
「……見た?」
「……ちょっとだけ……でもそんなには……ハッキリとは……」
「オレンジ色……」
その一言に、僕の身体がビクリと体が震えた。見られた羞恥からか、七海さんはプルプルと震えているので、僕は土下座の姿勢をとろうとしたところで……彼女が立ち上がる。
「……まぁ、陽信なら見られてもいいよ……だけどちょっとだけ……ちょっとだけ待っててね……着替えてくるから」
そういうと彼女は部屋から再度出て行った。これは……言う方が正解だったのか、言わない方が正解だったのか……。どう考えても答えが出てこない。
でも何と言うか……男としてはラッキーではあるんだけど、あの状況で見続けるのは不誠実な気がしてしまって……僕は七海さんに言ってしまったわけだ。
それから七海さんは、可愛らしいグレーの部屋着に着替えた状態で戻ってきた。「これなら……集中できるよね?」と言っていたので、僕は黙って頷いた。
「というかまぁ、七海さんが先生って時点でドキドキしっぱなしなんだけどね……その部屋着も可愛いし」
「褒めてくれてありがとう……でもさ、ほら……今は勉強に集中しようね?」
少しだけ頬を染めた七海さんは、僕の数学の答案を見ながら授業を再開してくれた。最初に聞いていた話の分もあるのだが、今回のテストの問題についてはかなり理解が深まったと言っていい。
普段しているお喋りと違って体力も気力も非常に使うのだが……これはこれでどこか心地良い疲労感が身体を満たしていた。
勉強が終わったタイミングで、睦子さんが暖かい紅茶と小さめのチョコレートのお菓子を持ってきてくれた。七海さんが頼んでくれていたようだ。
紅茶を一口飲み、小さなチョコレートを頬張る……暖かさと口の中で溶けていく甘さが、疲れた身体に染み渡っていくのが良くわかる。
「これから毎日、勉強見てあげるね。私も復習になるし、陽信の成績も上がるでしょ?」
「申し訳ないけど……お願いしようかな。七海さんは大学に行くんだっけ? 将来……何かなりたいものあるの?」
僕の言葉に、七海さんは紅茶のカップを置いて、その顔に柔らかい微笑みを浮かべていた。
「私ね……将来……先生になりたいんだよね」
「……先生に? だからあんなに教えるのが上手かったの?」
「まぁ、まだ漠然としているんだけどね。きっと、小学校の時に助けてくれた先生のことを無意識に覚えてて……先生になりたいって思うようになったんだと思う」
「先生かぁ……七海さんならきっと、良い先生になれるよ……」
そう思って僕は、彼女の先生としての姿を想像するのだが……。想像と同時に嫌な予感が頭をもたげた。
仮に彼女が中学校や高校の先生になった場合……絶対にモテる。確実に、好きになる男子生徒は存在して……場合によっては告白とかされる。
いや、下手したら同僚の教師からすらもモテるかもしれない。彼女の夢を応援してあげたいが……同時に凄く心配になってくる。
「陽信……なんて顔してるの? もしかしてさ……私が先生になった時のことを心配している?」
「うん……高校とか中学の先生になった七海さん……絶対にモテるよ……夢は応援したいけど、その点はすっごい心配だなぁ……うーん……僕はどうすれば……」
我ながら心配性が過ぎるというか、独占欲が強い発言というか……まだまだ先のことに対して不安に思うことは無いのに、想像して勝手に不安になってしまう。
七海さんは、そんな僕の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべると……丸テーブルの下を潜り抜けて僕の方へと接近してきた。
驚く僕をしり目に、七海さんはいつもの通りに僕の膝に頭を乗せると……左手を僕に向けて大きく伸ばす。
「そんなに心配ならさ……私が先生になったら、ここに仮でも指輪付けていけば大丈夫じゃない?」
「指輪を付けるって……魔除け的な意味で? そんなの効果あるの? ……あれ? そこって左手の……くすり……ゆび……?」
彼女が右手で指し示している個所を見て、僕はその意味をやっと理解する。
僕の反応を見た七海さんは、その顔に満足そうな笑顔を浮かべながらも、結局は照れくさくなったのか顔を赤くして僕から視線を外してしまった。
「いや、ほら……本物じゃなくてもそう言うのを付けてれば……効果があるとゆーか……」
しどろもどろになりながら言い訳のような説明を始め……七海さんは黙ってしまう。
それから、かろうじて呟いた「これからも、二人で頑張っていこうね」と言う小声が僕の耳に届き、僕は「そうだね、頑張ろう」とだけ答えた。
そうだ……僕はまず勉強を頑張って……このちょっと心配な七海さんと同じ大学を目指そう。
それが今の、僕の夢だ。
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