第40話「水族館デートの終わりに」

 僕は今、夢を見ている。これはあれだ、明晰夢と言うやつだね。


 顔を真っ赤にさせて、罰ゲームの告白をしようとしているあの時の七海さんが、僕の目の前に居た。


 あの頃は……彼女に膝枕をされてこんな夢を見るなんて思ってもいなかった。変われば変わるものである。彼女もだが……僕もだ。


 もしもこの時、彼女の告白を断っていたら……僕はどうなっていたのだろうか?


 今も自宅と学校を往復して、ただゲームをするだけの毎日だったのだろうか。今の七海さんと一緒の日々と比較すると……どちらが良いかは言うまでもない。


 そして七海さんは……違う誰かとお付き合いをして……その誰かと一緒にデートをしていたのだろうか?


 それは……想像するだけで嫌だな。


『私……簾舞みすまいの事が……す……す……す……す……好き……なんだよね、だからさ……付き合って……くれない……かな……』


 あの時と全く同じ表情で、あの時と同じ言葉が僕にぶつけられる。


 違うのは汚水の入ったバケツが落ちてくることもなく、僕の返事の場所が保健室では無いってことだ。


 夢だからか、とても都合がよく脚色されている。


 僕は笑顔を浮かべて、彼女に応える。


『僕も……七海さんが好きだよ』


 その一言だけを告げると……夢の中の彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 そこで……僕の目は覚める。


「陽信? 起きた?」


 ゆっくり開けた僕の目には……現実の七海さんの顔があった。柔らかく、優しく微笑んでくれている七海さんだ。


「おはよう……七海さん……僕……もしかして結構……寝ちゃってた?」


「そうだね……1時間くらいかな? 寝顔を見たり色々と遊んでたら、時間経つのを忘れてたよ」


 1時間!? そんなに寝ちゃってたの僕?!


 慌てて僕は、身体を起こして七海さんの膝から頭を外す。かなり足に負担が来てるんじゃないだろうか?


「七海さん、ごめん。重たかったでしょ? 足痛くない? 大丈夫?」


「大丈夫だったよ? ほら、これ」


 七海さんは、いつのまにか自分のお尻の下にクッションを引いていた。それも鞄に入れてたのかなと思ったら、スタッフの人がわざわざ貸してくれたらしい。


 ……え? 僕の膝枕姿、スタッフの人にもみられたの?


「それにほら、こんなにいっぱい写真が撮れたよ♪」


 七海さんはそれから僕に自分のスマホを見せてくる。そこには……膝枕されている僕の写真がたくさん納められていた。


 僕を膝枕しながらピースサインをしている七海さん。


 僕の頬を撫でながら微笑んでる七海さん。


 他にも髪の毛を撫でたり、胸の辺りに手を置いたり、ギュッと抱きしめてたり……色んな写真がある。


 うっわ……恥ずかしい……。全部の写真で僕、間抜け面で映ってるじゃないの……。


 と言うか、ここまでされて起きなかった我が身が恨めしい。特に、ギュッとされてる写真を見るとそう思う。


 その写真の中に……僕と七海さん以外が映ってる写真が目に入った。この子は……。


「ユキちゃん?」


「うん、お昼ご飯を食べ終わって、ちょっと外にお散歩しに来たんだって」


 ユキちゃんが僕と一緒に膝枕されていたり、七海さんに抱っこされてたり……。まるで親子みたいな写真がたくさん収められている。


「もしかして、今までの写真って、ユキちゃんのご両親が撮ってくれてたの?」


「さっきのお礼って、いっぱい撮ってくれたよー」


 いや……全然気付かなかった……起こしてくれれば良かったのに……。


 でも微笑ましい写真だな。ユキちゃんも笑顔で、迷子で泣いてたのが嘘みたいだ。


 さらに写真をスライドしていくと……ユキちゃんが七海さんのほっぺにチューして、僕のほっぺにもチューしている写真が2枚……最後に納められていた。


「ユキちゃん、おませさんだよねー。最後に私達にチューしていってくれたんだよ? あんな娘がいたら楽しいだろうね~」


 頬を緩ませてデレデレした表情を浮かべる七海さんを見て、本当に起きてれば良かったと後悔の念が湧き起こる。


 こう言う微笑ましい光景とか、行動に出会えなかったって、それだけでもの凄い損失だよね。それにユキちゃんのご両親にもお礼が言えなかったし……。


 まぁ仕方ないか……と思ったところで、僕はやっと、ユキちゃん達がここにいないのに思い至る。


「あれ? ユキちゃん達はもう別なところに行っちゃったの?」


「うん、イルカショーを見にいくんだってさ」


 あぁ、なるほどね。イルカショーは確かに子供には楽しみ……って、え? イルカショー……あれ? ショーの時間……? 寝過ごした?!


「イルカショーって、七海さんも楽しみにしてたじゃない!! 起こしてくれれば……」


「陽信があんまり気持ちよさそうに寝てるからさ、起こすのはなんか可哀想かなって……。もう、そーんな顔しないでよ、それにほら……」


 少しだけ青ざめて慌てる僕を、宥めるように七海さんはその両手で、僕の頬をムギュッと挟み込む。


 それから七海さんは、言いかけた言葉を止めて……僕の膝に自分の頭を乗せてきた。いつも部屋でやっている態勢である。


「水族館に来て、お昼食べて、こうやってのんびりして……イルカショーは次にまた見に来ようね、なーんて約束するのもさ、なんか良くない?」


「もしかしてさ、慰めてくれてる?」


「慰めじゃないよ……本心……。もう一度約束して、水族館にまた来て、あの時は見れなかったよねって、私と陽信で笑い合うの……」


 七海さんは、この状況も楽しむように、僕の膝の上で笑う。僕は……無言で思わず七海さんの髪に触れた。


 サラサラとした、気持ちのいい感触が僕の指をくすぐる。それを見た七海さんは、ますます嬉しそうに笑った。


「私はさ……何か失敗しても、寄り道しても……それこそいつか……喧嘩したって、それを良い思い出に変えられる……関係になりたいなって……思うんだぁ……」


 彼女は僕の膝の上でウトウトとして、後半の言葉は段々と小さくなっていく。そんな彼女の言葉を聞いて……僕は柄にもなくほんの少しだけ……嬉しくて泣きそうになった。


 初めて僕は彼女の頭を撫でながら……目を瞑る彼女に囁いた。


「もうちょっと……こうしてようか」


「うん……私も足痺れちゃったみたいだし……交代……だね……」


 その言葉を最後に、彼女は眠りに落ちる。


 初めて見る彼女の寝顔はとても可愛らしい寝顔で……僕の間抜け面とは大違いだった。


 なるほどね……確かにこれは……時間を経つのも忘れてしまう。好きな人の寝顔は、なんといいものだろうか。

 

 ……彼女の寝顔を堪能しながら……僕はこっそりと写真を撮る。待ち受けはタピオカの写真にしたから、これはロック画面の方に使おう。こっそりと。


 それから、僕は七海さんを起こさないように上に着ているブルゾンをゆっくり脱ぐと、彼女が冷えないよう、毛布がわりに身体にかける。


 暖かいけど、七海さんはおへそ出してる格好だし……冷えちゃいけないからね。


 だけど、その行動がまずかったのか……


「もぅ……陽信……こんなところで抱きついてきて……まったく……甘えん坊なんだから……。うふふ……」


 かけてあげた僕の上着を握りしめながら、そんな寝言を七海さんは呟いた。いや、したことないよね?! 彼女はいったいどんな夢見ているんだろうか……。幸せな夢を見ているようで何よりです……。


 それから僕が彼女の寝顔を堪能すること30分……七海さんは目を覚ました。


「陽信……私も寝ちゃってたみたいだね……? あれ、コレ陽信の……上着?」 


「おはよう、七海さん。そろそろ……移動しようか? 何が見たい?」


「うーん……ジンベイザメ……見たいかも……」


 目をこすり眠たげな表情を浮かべながら、七海さんは自分にかけられた僕の上着を目にすると、ほんの少しだけ頬を染める。


「陽信に抱きしめられた夢を見たのって……このおかげだったんだ……」


 小さくつぶやいたその独り言は僕の耳に届いているが……ここは聞こえないふりをしておいた。あんまり七海さんを恥ずかしがらせてもなんだしね。


「のんびりしちゃったねー。もうこんな時間かー……楽しい時間はあっという間だねぇ」


「まぁ、お互い寝ちゃってたってのもあるけどね。それじゃあ最後にジンベイザメ……見に行こうか」


「うん。行こう行こう!」


 再び手を繋ぎ、僕等は歩き出す。


 移動の途中では、まだ見ていなかったウミガメやクラゲがぷかぷか浮いている水槽なんかがあって、楽しみながら……僕等は目的の場所へと向かう。


 目的の場所……大型の魚が泳いでいる、巨大水槽のトンネルだ。


「すごい……お魚がいっぱいだね……」


「うん……凄いね……いや、想像以上だねこれは」


 僕等はその景色に圧倒される。


 トンネル状になっているその場所は四方を水槽に囲まれて、その水槽の中を大きな魚だけじゃなく、小さな魚の大群や、カニや、名前の出てこない海の生き物達が悠々と泳いでいた。


 水槽からの青い光に照らされて、まるで僕等は海の底を歩いているような錯覚を覚えるほどだ。


「あ、イルカも泳いでる!! ショーは見られなかったけど、泳いでる姿も可愛いね!! マンタもおっきくて凄いねぇー、あれなんだろ? ブサ可愛いのが泳いでる!!」


 先ほどまでは圧倒されていたのだが、七海さんはトンネルに入ったとたんにキャアキャアと、まるで子供のように周囲の魚を見てははしゃいでいた。


「まるで海の底にいるみたいで……すっごい綺麗だね!」


「うん……綺麗だね……」


 はしゃぎながらも青い光に照らされた七海さんの横顔は……この上なく綺麗だった。


 僕の視線は七海さんに釘付けで、それに気づいた七海さんはちょっとだけ不満そうに口を尖らせる。


「陽信ー。私だけじゃなく、お魚もちゃんと見てね? ほら、ジンベイザメ探そうよ!! ……あ、あれじゃない? ジンベイザメ!!」


「え? どこ? あ、あれかな? うわ……凄い……ひときわ大きいね……。あ、七海さん、ちょうど近づいてきてる!! 写真撮る?!」


「撮れるかな?! 撮って撮って!!」


 そんな風に二人ではしゃいで、泳いでいるジンベイザメと七海さんの写真を撮ったり、イルカと僕が並んだ写真を撮ったり、はしゃいでいる僕等を見たスタッフさんが、ちょうどサメが来たタイミングで二人の写真を撮ってくれたり……。


 先ほどまでののんびりした空気とは一変、最後の最後で僕等は童心に返って水族館を楽しんでいた。


 はしゃぎながら、二人でたくさんの写真を撮って……この時間がずっと続けばいいと思っていたタイミングで……水槽のトンネルは終わり……ちょうど水族館の出口に辿り着く。


 これで楽しかった水族館デートも終わりかと、少しだけ僕は切なくなった。それは七海さんも同様のようだった。


「あーあー、終わっちゃうねー……水族館デート……」


「うん、でも……また来ようね。今度はイルカショーを一緒に見ようよ」


 七海さんは少しだけ寂しそうに呟くので、僕も少しだけ寂しくなってしまうが……。その寂しさを吹き飛ばすように僕は笑顔を彼女に向けると、彼女も笑顔を返してくれた。


 楽しかったんだから、最後の最後まで楽しまないと勿体ないと、お互いに笑い合って……。僕は視線を出口に戻すと、その近くにお土産コーナーがあることに気が付いた。


 そこで、僕は一つの思いつきを実行する。


「七海さん、ちょうど出口にも着いちゃったし……ちょっと僕、お手洗いに行ってくるよ」


「あ……そうだね……私もちょっとお化粧直そうかな……ちょっと行ってくるね」


 僕はお土産コーナーのすぐ横のトイレを指差して、いったんはトイレに入る……ふりをする。すぐに出た僕は、お土産コーナーに戻ると、七海さんに渡すプレゼントを買おうとする。


 そう……今日は僕は色々と貰いすぎなのだ……。抱き着きに始まり、お弁当、膝枕……。明らかに供給過多である。だから、せめてものお返しをここでしたいと強く思った。


 あんまり高いものは買えないけどね……記念品を買って……僕の気持ちを彼女に送りたい。そう考えながらお土産コーナーを物色する。


 そして……良さげだと思った物を購入して、僕がお土産コーナーの前に戻った直後……七海さんもお手洗いから出てくるところだった。ギリギリセーフだ。


「陽信、お待たせ」


「いや、全然待ってないよ」


 むしろ早くて、お会計がギリギリでした。僕は手に持った袋を隠す。さて、後はこれを渡すタイミングだけど……。そう思った瞬間に、七海さんもお土産コーナーに気が付いた。


「あ、お土産コーナーあるね……お母さん達にお土産買っていこうか? 後……今日の二人の記念品とかさ……?」


 ……そうでした、七海さんはこう言う人でした……周囲への気遣いとか忘れない、とても良い子……そりゃ、こう言うよね。


 だから僕は、多少カッコ悪いタイミングだけど……ここで手にした袋を手渡す。


「七海さん……今日はありがとう。これ、プレゼントだよ」


「……へ?」


 お土産コーナーの前で、呆気に取られた七海さんは僕が渡した袋を、素直に受け取る。


「あ……これ……」


 彼女が袋から取り出したのは……ピンクのイルカのストラップと、少し小さいジンベエザメのぬいぐるみだ。ストラップは2種類買っており、僕は自分の手の中に色違いの青いストラップを七海さんに見せる。


 本当は可愛くラッピングして渡したかったんだけど……まぁ、その辺の落ち度も僕らしいってことで……。


「……今日はさ、僕は七海さんから沢山色んなものを貰ったから……せめてものお返しかな? 受け取ってくれると……嬉しいかな」


「お揃い……嬉しいけど……私も今日は陽信へのお返しだったんだよ……? これじゃあ……私が貰いすぎだよ……」


 嬉しそうにその二つをギュッと抱きしめた七海さんは、少しだけ目を潤ませて僕を見つめてくる。


「そんなことないよ……だからさ、遠慮なくもらってよ。七海さんみたく……手作りじゃないのが申し訳ないけどね」


 僕の一言に、彼女は首を横に振ると……少しだけ考える素振りを見せる。そして、その顔にいつか見た妖艶な微笑みを浮かべた。あの時……教室で見た微笑みだ。


「やっぱり、貰いすぎだからさ……これは……おつりね?」


「へ?」


 言うや否や、彼女は僕に軽やかにピョンと飛ぶように近づいて、僕の頬に彼女の柔らかな唇を当ててきた。軽く押し込まれたその柔らかさに、僕はまるで全感覚がそこに集中したかのような錯覚を覚えた。


 ……キスされた。


 そのまま彼女は、スライドさせるように僕の耳元にその唇を持ってくる。


「ホントはね……ユキちゃんが羨ましかったんだ……陽信に無邪気にキスできて……やっと私からできた」


 そして僕から離れた彼女は、その顔に華のような笑顔を浮かべてから、僕の手を取る。


 先程の妖艶さはどこにも無い。


「それじゃあ、お母さん達へのお土産でも見ようか? キーホルダーとかかなぁ?」


「は……はい……」


 唇の触れた頬が熱く、未だに柔らかな感触は残ったままで……僕は声を絞り出すので精一杯だった。


 僕等の水族館デートはこうして……最高のおつりを僕がもらう形で……幕を閉じたのだった。

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