第39話「幸せな昼食」

 迷子になっていたユキちゃんを無事に両親の元に送り届け……笑顔の彼女を見送った僕等は、時間もいい頃合いになったのでお昼を取ることにした。


 何故なら、ユキちゃんたちが見えなくなったタイミングで僕の腹の虫が鳴ったのだ。ユキちゃんとの別れの際に鳴らなくて本当に良かったと思う。


 そのことで僕等は笑いあって、ユキちゃんたちとは反対方向に歩き出す。


「それにしても七海さん、お弁当なんてわざわざ作ってきてくれてたんだね」


「うん、ここって家族連れも多いから、お弁当持参もオッケーなんだよね。食べる場所も、外と中のどっちにもあるみたい」


「教えてくれたら、僕も少しは手伝えたのに……」


「……こっそり作ってビックリさせたかったの! 最近そう言うの無かったでしょ? 喜んでくれるかなと思ってさー」


「うん、凄くビックリしたし、嬉しいよ……ありがとう」


 確かに……相手のことを考えたサプライズは大切だね。そういう意味で、七海さんのお弁当は僕にとって何よりも嬉しいサプライズである。


 このカバンの中に入っているのかと思うと、今すぐここで食べたい衝動に駆られるが、僕はそれをグッと我慢する。


「食べる場所は……どうしようか? 今日はちょうどあったかいし、天気も良いしさ。外で食べるのも良いよね」


「うん、私もそう思ってたところ。念のため、レジャーシートとかも持ってきたよ」


 流石は七海さん……準備も完璧である。こうなると、髪型を整えるのにばっかり気を取られていた僕の無計画さが恨めしい。


 いや、反省は後だ。まずは七海さんとの今を楽しもう。


 僕等はそのまま水族館のパンフレットを頼りに、園地と館内を繋ぐ出入り口から外に出る。


 外には雲一つない青空が広がっていて、気持ちの良い風が僕らの頬を撫でる。そして、緑の芝生の上にレジャーシートを広げた家族連れや恋人同士が、和気あいあいとお弁当を食べている光景が目に映る。


 奥の方にはがっしりとした作りの木製のテーブルとイスも用意されているが、そちらの方は人はまばらだった。


「うん、こういうのを良いロケーションって言うのかな? せっかくだし……レジャーシートを敷いて食べる?」


「そうだね……そっちの方が……なんか気持ち良さそうだね」


 僕等は適当なスペースを見つけると、その場所に七海さんのカバンをからレジャーシートを取り出して広げる。もちろん、許可は得て開けたけど……女の子のカバンを開けるってなんか変にドキドキしてしまった。


 ともあれ……星の模様が描かれた可愛らしいレジャーシートは、二人分にはちょうどいい広さだった。


 それから複数のお弁当箱を出して、七海さんが「ジャジャーン」と効果音を言いながら開けていく。


 中には様々な具が挟まれたカラフルなサンドイッチ、卵焼きにウインナー、エビフライ、ボイルしたブロッコリーやニンジン、それにレタスやプチトマトなどのサラダ……彩も美しくボリュームも満点な、実に幸せな光景がお弁当箱の中に広がっていた。


「うわぁ……これ、すっごい大変だったんじゃないの? 学校のお弁当以上にボリュームあるし、凄い美味しそうだ……」


「普段のお弁当だとあんまり手が込んだのが作れないからさ、ちょっと張り切っちゃった。今日は沙八もだけど、お母さんも起きて手伝ってくれたんだよ」


 普段のお弁当も十分に手が込んでいるのですが……これは心して食さねばならない。


 とりあえず、恒例行事となっているお弁当の写真は撮るが……せっかくなら七海さんと一緒に撮りたいなと考えてた所で、僕等に声がかかる。


「よろしければ、撮りましょうか?」


 僕等が声の方に振りむくと、そこには先ほどの水族館のスタッフの人がいた。どうやら館内を巡回中に、僕等に声をかけてくれたようだ。


「ありがとうございます。お願いできますか?」


「喜んで」


 僕と七海さんはスタッフの人にスマホを預けると、レジャーシートに並んで座る。その時、七海さんは僕の腕に自身の腕を絡めて、朝の時と同じように……いや、それ以上に僕に身体を密着させてきた。


「いいですね、お二人とも撮りますよー。はい、チーズ!」


 一瞬だけ僕は驚くのだが……嬉しそうな七海さんの顔を見ると僕まで嬉しくなってきた……。だから僕と七海さんは自然な笑顔を浮かべて、スタッフの人に写真を撮ってもらうことができた。


 写真を撮ってくれたスタッフさんは、先ほどのユキちゃんの件で僕等に改めてお礼を言うと、そのまま去っていく。去り際に、写真を撮る場合には巡回中の職員に気軽に声をかけてくださいとまで言ってくれた。


 撮ってもらった写真には僕と七海さんと、彼女の作ったお弁当が綺麗に映っていた。そっか、だから七海さんは僕に密着してきたんだな。


「それじゃあ、いただきます」


「はい、召し上がれ」


 僕はお弁当の前で手を合わせて、いつものやり取りをする。とりあえず、まずはサンドイッチから……ツナとキュウリ、卵、ハムとチーズ、トマトとレタス……後この赤いのと黒っぽいのは何だろう?


「あ、それはイチゴジャムのサンドイッチと、チョコレートクリームのサンドイッチだよ。甘いのも良いかなって思ってさ」


「そうなんだ……ちなみにさ、七海さんの作ったのはどれなの?」


「ん? 私? 私はツナサンドと卵サンドを作ったよ。」


「それじゃあ、卵サンドからいただこうかな」


 僕は卵サンドを手に取る。少しパンの表面がきつね色になっていて、どうやらパンはトーストにされているようだった。


 歯を入れると表面はサクリとしていて、その後に卵の味とマヨネーズの味……そして、ほんの少しのピリッとした刺激が舌に感じられる。隠し味に粒マスタードが入っているようだ。


「はい、これもどうぞ。オニオンスープだよ」


 いつの間にか七海さんが手にした水筒のようなものを僕に手渡してくれる。中には温かいスープが入っていた。これは……魔法瓶なのかな? スープを口にするとコンソメと玉ねぎの優しい味が口に広がる。


「わざわざスープまで作ってくれたんだ……」


「うん、サンドイッチに合うかなと思ってさ。あ、私もスープ貰うね」


 七海さんは僕の手から水筒を受け取ると、そのまま口を付けてスープを飲むのだが……あれ、間接……。


「間接キスって……私達の間で今更じゃない? 陽信だって気にしないでしょ?」


「いや……気にするよ……。て言うか、七海さんも実は気にしてるでしょ? ちょっと赤くなってるよ?」


「そーゆーのは気づいてても言わないでよ、もうっ! 」


 ……カマかけてみただけなんだけど、やっぱり気にしてたのね。ちょっとだけ反撃できた気分になったのだが、今日の七海さんはそこからが違っていた。


「そーゆーこと言うなら……ほら、あーんしてあげるよ? 久しぶりだよね、あーんしてあげるの? はい、あーん」


 七海さんは箸で卵焼きをつまむと、僕の方へと差し出してくる。いつもならそこで普通に食事を続けるのに、まさかさらに攻勢に出るとは予想外だった。


 しかし、僕も日々成長しているのだ。今更あーんくらいで……あーん……くらいで……。……そういえば、してもらうのって三回目だなぁ……。意外に回数は少なく……うん、慣れるわけないよね。


 懐かしさに浸りながらも……僕は差し出された卵焼きをほおばる。七海さんは僕の姿を見て、満足気に微笑んでいるが……今日の僕はやられっぱなしではいられない。


 僕も卵焼きを箸でつまむと、七海さんに向けて差し出した。


「……へ?」


「な……七海さん……はい、あーん……」


 差し出したのは七海さんが作った卵焼きだが……はじめての……僕からの『あーん』である。


 本当はいつか自分の作った料理でやってみたかったのだが、今日の七海さんは非常に積極的なのである。僕からもある程度行かないと圧倒されっぱなしで……正直、僕の身が持たない。


 ……そう思ってこちらからもと思ってやったんだけど……。やったはいいけどコレ、思ったよりも恥ずかしいぞ……。七海さん……今までこんなことを僕にやってくれていたのか……凄いなぁ……。


 七海さんは少し躊躇いがちにしたが……僕に笑顔を向けると僕が差し出した卵焼きを口にする。


「うん……我ながら美味しい。陽信からしてくれたのって初めてだよね?」


「えっと……うん、そうだね……。まぁ、七海さんの作った料理だから当然、美味しいよね」


 あれ? 思ったよりも七海さんは普通である。もっと赤くなってくれると思ったんだけど……この程度はもう慣れちゃったのかな?


「陽信の料理が上手くなったらさ、お互いにお弁当作って交換も良いよね? 楽しそうじゃない? あ、一緒にお弁当を作るのも楽しそうだよね」


「……そうだね、僕も料理を頑張るよ」


 言葉通り、七海さんは楽しそうに僕等の未来について語る。……あぁ、そうか。七海さんは僕からの行動でそれを考えたから照れることなく、むしろ嬉しそうにしてくれたのか。


 お弁当を交換か……似たようなことを考えたことがあるから、なんだか気持ちが通じたみたいで嬉しくなる。でも一緒にお弁当を作るって……朝から一緒に居ないと無理だよね……?


 気づいてないみたいだから、そこは突っ込まないでおこう。


 そこから僕等は食べさせあい合戦……をすることなく、午後からの予定をお喋りしながらゆっくりとお弁当を食べていく。


 学校の昼休みとはまた違って、なんだか時間がゆっくりと流れているようで……とても幸せな気持ちになってくる。


 あれだけあったお弁当はお喋りしながらだからか、この気持ちのいい状況で食べているからか、どんどんと無くなっていき……。最後に、ジャムとチョコレートクリームの挟まったサンドイッチが1つずつ残る。


 これはデザートだから最後に残していたんだけど……ちょうどよく一つずつ残ったな。


「一つずつ残ったね。七海さん、どっちが食べたい?」


「私はイチゴかなぁ……陽信は?」


「ちょうどよかった、僕はチョコが食べたいなと思ってたから」


「チョコね……わかった。はい、食べて?」


 七海さんは、最後の最後にチョコレートのサンドイッチを手でつかんで僕に差し出してくるのだが……僕が受け取ろうとした瞬間に、その手をふいっと外してしまった。


 そのまま、顔に悪戯っぽい笑みを浮かべると……僕にチョコレートのサンドイッチを改めて差し出してくる。


 ……なるほど……七海さんはサンドイッチの『あーん』をご所望ですか……。彼女の手から直接サンドイッチを食べるって……凄いことを考える。


「七海さん、僕もこの後……同じことやるからね?」


「うん、やってほしいな?」


 宣言をしたところで、むしろ七海さんはそれを望んでいるようだった。これで退路は塞がれた。いや、もともと退路なんてないのかもしれないが……僕はおそらく、今日一番の勇気が試されている気がする。


 僕は彼女の指に気を付けながら、差し出されたサンドイッチを口にする。チョコレートの甘さと、中に入ってくる細かく砕かれたピーナッツの香ばしさが口いっぱいに広がる。


 そうやって彼女の手からサンドイッチを食べ進めていると……。僕の唇が、彼女の指に当たった。


「あ……」


 その瞬間に彼女は小さな声を上げるが、指を引っ込めはしなかった。僕はそのまま、彼女の手からサンドイッチを食べつくす。後には、彼女の手だけが残る。


「……私の指……食べられちゃうところだったね」


「さすがにそんなことしないよ……はい、七海さん。最後の一つ」 


 僕も同じように彼女にサンドイッチを差し出して、彼女は僕の手からサンドイッチを食べていく。


 いちごジャムが挟まれたサンドイッチは徐々になくなっていくのだが、僕の持ち方が悪いのか、パンからはみ出したいちごジャムが僕の指に付いてしまう。


 そして……彼女は僕の手からサンドイッチを食べ終わった直後に……僕の指に付いたジャムを舐めとった。


「七海さんっ?!」


「えへへ……ジャム……付いちゃってたよ?」


「……いきなり何するのさ……ビックリしたよ……ホント」


「なんか気になって、やりたくなっちゃったんだよねー。たまにはいーじゃない?」


 唐突な出来事に顔を赤くする僕と同じように、彼女も頬を染めている。でも口調だけは何でもないことのように取り繕って、自身の唇に人差し指をチョンと添えていた。


 ……睦子ともこさんが教えたんじゃないよね? このテクニック? なんだか七海さんの積極性の進化っぷりに、僕はもう圧倒されっぱなしです。


 お弁当を平らげておなかもいっぱいになり……お弁当箱を片付けて……二人でレジャーシートの上でまったりとしているこの状況……。


 なんだか暖かいし……隣に七海さんが居るって言う安心感からか、思わず眠たくなってきてしまう。


「陽信? おなかいっぱいで眠いの? ちっちゃい子みたいだね……ほら……おいで?」


 彼女に失礼ではあったのだが……あまりの気持ち良さにあくびをしてしまっていた僕を、七海さんは優しく自身の太腿辺りをポンポンと叩きながら手招きしてくれている。


 ……えっと……それは。いつもの逆って意味で良いのかな?


「ここ……外だよ?」


「だから、良いんじゃない?」


 疑問文に疑問文で返されてしまったが、僕はその笑顔に肯定しか返せそうになかった。確かに……やってもらいたかったし……ここで寝っ転がったら気持ちよさそうだという誘惑には抗えそうにない。


 僕は彼女に近づくと……その太腿を枕にして仰向けに寝っ転がる。


 初めての、七海さんの膝枕だ。


「もしかして……だから丈の長いジーンズにしたの?」


「あ、わかった? 流石にショートパンツだと恥ずかしくて……でも、気持ちいいでしょ?」


「うん……最高だね……七海さんは……」


 前に彼女は僕の膝を固めの低反発枕と表現していた。それに合わせるなら、七海さんの膝枕は……高級でふわふわな羽毛の枕のようだ。とても気持ちがいい……。


「このまま寝ちゃってもいいよ……起こしてあげるからさ……」


 ウトウトとする僕に、彼女は僕の頭を優しくなでながら囁く。今日は……いや、ここ最近の僕は彼女から貰ってばかりだ……。


 その事実に……とても申し訳なくなる。


「今日はね……陽信へのお礼なの……いっぱいいっぱい……お礼をしたかったの。だから、気にしないで?」


 僕の心情を察してくれたのか……彼女はそんなことを言う。僕はお礼されるようなことなんて……まだ何もしていないのに……。


 僕の意識はあまりの気持ち良さに、だんだんと遠ざかっていく。


「ありがとうね……陽信……大好きだよ……」


 その言葉を聞いて、安心しきった僕の意識は徐々に眠りの中に落ちていった。


 完全に眠る直前に「僕もだよ」と返した言葉は、彼女に届いたかはわからなかった。

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