第37話「初めての水族館デート」

 水族館というのは魚を扱っている関係からか、非常に照明が薄暗くなっている。それでも歩きにくいということが無いのは、ガラスの向こうから透けて見える水中の明るさのおかげだろう。


 だけど薄暗いからこそ、はぐれない様に手を繋いだり、お互いの手を組んだりというのが定番なのだろうと、館内に入った僕はそのことを実感していた。


 僕と七海ななみさんは先ほどまでの腕組みをいったんやめて、手を繋いだ状態で館内を歩いていた。というのも、慣れない腕組みだとこの薄暗い中では危険だと判断した……だけではない。


 簡単に言ってしまえば、七海さんの恥ずかしさの限界値が来たのだ。


 七海さんが持っていたチケットは、男女のペアチケットだった。それを受付の人に渡したとき、凄く微笑ましい笑顔で「恋人同士ですか? いいですねぇ。羨ましいです」と言われた。


 その時に、七海さんもはじめて第三者の目を意識してしまったのか、それとも上がりきっていたテンションがそこでいったん落ち着いてしまったのか……僕からそっと離れてしまったのだ。


「そ……そうです……えっと……付き合って二週間目で……その……か……彼氏です……」


 しどろもどろになりながら受付の人に説明する七海さんを見て、受付の人は「しまった、余計なことを言った」という表情になり、僕に頭を下げてきた。


 いや、大丈夫です。彼女のこれは平常運転なので。大胆な行動からの自爆は七海さんのお家芸である。


 まぁ、そんなところも可愛いわけですが。


「僕等、初めての水族館デートなんです。なにかおすすめってありますか?」


 パンフレットを受け取って、僕は七海さんを安心させるために受付の人におすすめを聞いてみた。


 やっぱり、定番のイルカとかペンギンとかのショーがおすすめらしい。


 あとはふれあいの広場とか、大型のジンベイザメやエイなんかが周囲で泳いでいるトンネルのようなスペースもあるらしい。


 僕も昔来たことがあるはずだけど、覚えていないもんだね……。


 その頃はラッコも居たはずなんだけど、聞いてみたらラッコは今はもういないらしい。それは残念……。


 でも、当時と変わっている分、色々と新たな気持ちで楽しめそうだ。


「今日は楽しんで行ってくださいね」


 そう言ってくれた受付の人にお礼を言うと、僕は七海さんにそっと手を差し出す。もじもじしていた七海さんも、僕の手と僕の顔を交互に見てきた。


「それじゃ、行こうか?」 


 いつものように僕が笑うと、彼女もやっと落ち着いたのか……僕の手を優しくとってくれた。


「うん♪」


 うん、やっぱり僕と七海さんはこういう手を繋ぐって形がしっくりくる……館内に入ってそれがよく分かった。


 慣れない腕組みだとちょっと危険そうだし……。こっちの方がリラックスして楽しめる。


「やっぱり、こっちの方が落ち着くね。七海さんと手を繋ぐの、僕は好きだよ。腕組みは……徐々にやっていこうよ」


「う~……恥ずかしいの我慢してやったのに……。でも、あの密着感は凄く好きだったし、なんか今日の陽信、妙に安心できるんだよね。だから、ついやっちゃったんだけど、なんでだろ?」


「安心って……僕が?」


「うん、なんだろうね。今日の陽信って……いつもその……好きだけど……今日はことさらになんか安心感があるというか……」


 薄暗い館内の中には、家族連れや友達同士、恋人同士のお客さんが大勢いた。そんな中で七海さんは首を傾げながら、僕に感じた謎の安心感について考えているようだった。


 さり気なく好きって言われてしまったけれど、僕もその原因を考えて……一つのことに思い至った。


「……もしかして、この服のせいかな? これ、厳一郎げんいちろうさんから貰った服なんだよね。昔着てた服を貰って……」


「お父さんの……? そういえば、見たことあるかも……そっか……お父さんの服だったんだ……」


 七海さんは目を細めて僕の姿をどこか懐かしそうに見る。それから指を絡めている手にちょっとだけ力を込めて、わざわざ僕を下から覗き込むようにして、はにかんだ笑顔を浮かべてきた。


「今日はさ、陽信の事……お父さんって言った方がいいかな?」


「えー? 僕等に子供が居ないのに、もうお父さんって呼ばれちゃうの? じゃあ七海さんのことはお母さんって呼ばないと……って……あ……」


 そこまで言って……僕等は沈黙してしまう。


 うん、ちょっと失言でした。七海さんはお父さんってそういう意味で言ったんじゃないのに、僕はそれを拡大解釈して……夫婦としての呼び方だと捉えてしまっていた。


 僕等は沈黙し、薄暗い明りの中でもわかるくらいに赤くなってしまう。


 止めようか、この話題。


「と……とにかく、今日は楽しもうね!! 七海さん!!」


「う……うん、楽しもうね!! 陽信!!」


 ごまかすように大声を出して、僕等は気を取り直して水族館の中を歩き回る。


 薄暗い幻想的な雰囲気の中で色彩豊かな魚達が泳いでいる姿を、七海さんも僕もはしゃぎながら見ていた。


 水中から照らされる光が七海さんをさらに綺麗に見せていて、僕はどちらかというと七海さんに見惚れることの方が多かった。


「何コレ? 砂の中からすっごいにょきにょき飛び出てるけど……面白いねぇ、可愛いし。お魚なのかな? ……チンアナゴ? 変わった名前だね。チンアナゴ……なんか可愛い名前だねー」


「僕、初めて生のチンアナゴ見たよ……あ、ほらあっちの二匹、なんか喧嘩してるっぽくない? 向かい合っておっきく口を開けて、まるで口喧嘩してるみたいだ」


「ほんとだ、ちっちゃいのにすっごい表情豊かなんだね……色違いのはオスメスなのかな?」


「うーん、何だろうね……。あ、説明書いてる……なんか、種類が違うみたいだよ。へぇ……全部がチンアナゴだと思ってたよ僕」


 七海さんがチンアナゴが気に入ったのか、凄く食い入るように見ている。


 七海さんってこういう小さくて可愛いのが好きなのかな? まぁ、なんかゆらゆらしてて、見てて楽しいよね。


「七海さん、こっち向いて」


 僕は楽し気にしている七海さんを見て、写真を撮りたくなったので……七海さんにスマホを向ける。


 暗がりの中ではあるけれども、七海さんとチンアナゴがちゃんと入る様に僕はベストアングルを探す。


「じゃあ、撮るよ」


 水槽に顔をくっつけるくらいに近づけた笑顔の七海さんがポーズを取り、僕はスマホのシャッターボタンを押す。


 うん、可愛い写真が撮れたな。見せてあげよう。


「こんな感じだけどどうかな?」


「うわぁ、凄い!! 可愛い! 陽信、写真撮るの上手いね。後で送ってね?」


 どうやら七海さんにも満足いただけたようで、僕も嬉しくなる。それから七海さんも僕の写真を撮ってから、僕等はその場所から移動する。


 この水族館に最後に来たのは子供のころと言うこともあり……僕と七海さんは久しぶりの水族館を、それこそ童心に返って、無邪気にはしゃいで楽しんでいた。


 泳いでいるペンギンを見て、その速度に目を丸くする七海さん。


 プカプカ浮かんでいるクラゲを目で追って、そのキラキラ光る光景を、さらにキラキラと目を輝かせて見ている七海さん。


 大量の銀色に光る魚……サバか何かかな? その大群の迫力に大きく口をあけて手を叩く七海さん。


 イソギンチャクやクマノミなどの小さな海の生物を見て、可愛いねと僕に言ってくる七海さん。


 ふれあい広場のようなスペースで、ヒトデやウニを突っついてその感触を楽しむ七海さん。


 七海さんは何かあるたびに「可愛いね、可愛いね」とはしゃぐのだが、僕としては大声で「七海さんの方が可愛いわ!!」と叫びたくなる衝動に駆られる。


 いや、ほんと。水族館デート最高だね。まだ午前中で全部回ってないけど、もう来たかいがあるってわかるよ。


 今日はいろんな七海さんの姿が見れたし、僕のスマホの中には色々な七海さんの写真が増えた。


 もちろん、七海さんのスマホにも僕の写真が増えていっている。


 お互いに後で写真を交換しようと言っているのだが……その時になってやっと僕等は一つの問題に気が付いた。……いや、本当に……些細な問題と言うか……ある意味これは問題ではないんだけど……。


(二人での写真が、全然撮れていない……!!)


 そう、二人で過ごす水族館が楽しくて、二人ではしゃいで、お互いがお互いの写真を撮るんだけど……二人とも、こういうことの経験値が浅いからか「二人一緒の写真を撮る」ということに思い至らなかったのである。


 七海さんも遅まきながらそれに気づいたのか、僕の方をチラチラと見てきている。


 まぁ、館内から出る前に気づけたので良しとしましょう……。


 次からはなるべく二人で撮る方向で考えよう。自撮り棒とか買っとけば良かったかなあ……でもあれは迷惑だって聞くし、あんまり好きになれないんだよね……。


 まぁ、人は多いし、頼めばきっと誰か撮ってくれるよね。ちょっと緊張するけど、七海さんのためなら僕から声をかけようじゃないか。


 その決意したタイミングで……館内にイルカショーがもうすぐ開始されるというアナウンスが流れた。


「イルカショーだって? 行ってみようか?」


「うん!! 見てみたい!! あ、でも確か……濡れちゃうかもしれないから席は後ろの方が良いってお母さん言ってたかも」


「そっか、じゃあその辺は気を付けないとね……」


「うん、楽しみだね、イルカショー!!」


 とりあえず、写真については後で考えようか。僕等はイルカショーの場所へと移動するために、最後にいた、ふれあいスペースから移動しようとしたところで……。


「ママァ~~~~!!」


 泣いている女の子の大きな声が聞こえてきた。


 僕と七海さんは、揃ってその泣き声の方へと視線を送ると……そこには小さな女の子が一人で泣き叫んでいた。


 おそらく、迷子だろう。グズグズと鼻をすすりながら、不安げな足取りでとぼとぼと歩いている。


 ちょうどイルカショーのアナウンスがあったためか、みんなそっちに移動していってしまっており、周囲に人もほとんど居なくなっている。タイミングが悪く、スタッフらしき人も周囲には居ない。


「七海さん、あの子……迷子みたいだからさ、お母さん探してあげない?」


「うん、そうだね。流石にほっとけ無いよね。イルカショーは……午後にもきっとあるだろうから、まずはあの子を何とかしてあげよ?」


 七海さんは僕の意見に対して、嫌な顔一つせずに肯定してくれた。こういうところ、本当に尊敬する。


 それじゃあと、僕等は彼女達に近づこうとした時に、七海さんは僕に微笑んできた。


「やっぱり、陽信は優しいよね……良いお父さんになると思うよ」


「それを言ったら七海さんもだよ……。七海さんも、絶対に良いお母さんになるよ」


 先ほどの会話を繰り返すように、僕等はお互いに顔を見合わせて笑いあった。


 そして僕等は、泣いている女の子を驚かせないように注意しつつ……ゆっくりとその子に近づいていった。


「こんにちは、お嬢ちゃん? どうして泣いているのかな? 良かったら、僕等に教えてくれないかな?」


「お嬢ちゃん、ママとはぐれちゃった? もう安心だよ、私達が一緒にいてあげるからね?」


 女の子は、突然現れた僕等の姿に驚いたのか、泣き声を止めてきょとんとした目で僕等を見てくるのだった。

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