【番外編】エイプリルドリーム

「七海さん、エイプリルドリームって知ってる?」


「え? エイプリルフールじゃなくて……ドリーム? 何それ知らなーい」


 僕の言葉に、ベッドの上に腰掛けて漫画を読んでいた七海さんが顔を上げる。漫画は……僕が最近買った、新婚夫婦がテーマになっている四コマ漫画だ。


 最近の彼女のマイブームは、僕の部屋にある漫画を片っ端から読んでいくことだ。なんか、漫画から僕の好きな傾向を見て髪型を決めるときの参考にするのだとか。


 あと、少女漫画くらいしか読んだことのない彼女には、僕の買っている漫画が非常に新鮮らしい。純粋な好奇心と言っていいだろう。


 たまに「この漫画ではどのキャラが好きなの?」って聞かれるときは照れくさくなる。


 まぁ……正直に答えたら、ニヤニヤしつつも次の日には似たような髪型にしてくれるのだから、僕としては答えざるを得ない。


 話を戻そうか。今はエイプリルフールならぬ、エイプリルドリームの話だ。


「なんか、ネットにそういう記事が出てたんだよね。嘘をつくんじゃなくて、4月1日を大きな夢を語る日にしようって……」


「へぇ、そんなのがあるんだー。なんか素敵だね」


 漫画を読むのをやめてベッドから降りた彼女は、トテトテと僕のところに近づいてくる。


 それから、椅子に座っている僕を後ろからギュッと抱きしめると、顔を並べて一緒にパソコンの画面を眺める。


 その単語は、僕がたまに見ているIT系のニュースサイトに出ていた。内容を要約すると、荒唐無稽な夢でも、それが実現できるように考えられる日にできれば……そんな想いが記事には書かれていた。


「エイプリルフールなら悪意のある嘘とか、デマとか……そう言うのをつい言っちゃう人は確かにいるもんねー。夢なら……そういうのとは無縁そうだもんね」


「そうだね、悪意ある嘘が出るよりは……健全だし希望があっていいよね」


 一瞬だけ、夢にも良し悪しはあるよなと、過去に読んだ漫画のとある一場面が思い浮かぶ。


 それを口にすると台無しだし、なにより野暮な気がしたので黙っておこう。かなり特殊な例だしね。


 僕はその記事を何回か読んでみて、そもそも過去のエイプリルフールについて思い返す。


 うーん……僕自身がその日に嘘を付いた覚えって無いなぁ。


「ちなみにさ、七海さんはエイプリルフールの時ってどんな嘘をついてたの?」


「私? あんまりエイプリルフールって意識したこと無いから、その日に嘘ついた覚え無いなぁ……だいたい気にしないで終わっちゃう事の方が多いよ?」


 まぁ、普通はそうかもね。そもそも4月1日って新学期とか色んな節目だし……。


 僕もわざわざエイプリルフールに嘘をつくような友達は居なかったし、ソシャゲのエイプリルフールイベントを楽しむか、企業のエイプリルフールネタを見る程度だ。


 わざわざ嘘を考えて、それを発言するなんて労力をかけること自体してこなかった。


 僕に抱き着いたままの七海さんは、頬が密着するくらいに近づけながら僕に囁く。


 今の僕は平気なフリをしてるけど、隠すのが上手くなっただけで、いつも内心はドキドキしている。


「ねぇ、陽信だったらさ……エイプリルフールにどんな嘘をつくの?」


 嘘……嘘か。


 僕ら二人にとっては、嘘と言うのはある種の特別な意味を持つ。


 それは僕等の関係が始まったきっかけだったり、厳一郎さんに初めて会ったときの事だったり……。僕は自身の両親に交際を隠していたりと……色々だ。


 悪意の有無は別として、嘘が色々なターニングポイントになっていたことは確かだ。だからその質問には少し困ってしまう。何をどう答えたものか……。


「そうだねぇ……僕はエイプリルフールはゲームのイベント日程度の認識だったから……嘘って言うのはあんまり思いつかないなぁ……」


「エイプリルフールのイベントなんてあるんだ?」


「うん。4月1日限定でゲーム自体が変わるとか、その日だけやたら強い敵が出るとか……ミニゲームとか動画とか、企業ならまるまるホームページを変えたりとかしてるところもあるよ」


「ふーん……そういう楽しめる嘘なら、エイプリルフールも悪くはないよね……」


 少しだけ沈んだ彼女の声が、僕の耳に静かに響く。彼女はあの時、僕に告白したことを今でも……後悔はしていないけれども、気に病んでいるのかもしれない。


 僕としてはこうやって可愛い彼女ができたのだから、あの時の嘘なんて許容してしかるべきなのだが……この辺は人の心のデリケートな部分なので仕方ないと割り切るしか無い。


 だから僕にできるのは、そんな気分を飛ばせるくらい、楽しい話題を振ることだろう。


「話を戻すけどさ……エイプリルドリーム……結構な大風呂敷を広げた夢でもいいみたいだけど……七海さんならどんな夢を言ってみる?」 


「夢……夢かぁ……将来の夢とはまた違うんだろーね、こういうのって……改めて言われると難しいねぇ」


「まぁ、将来の夢でもいいと思うけど……なんでもいいんじゃない? 小さいころにやりたくて、でも諦めちゃった夢とかを言ってもさ」


 僕は何だろうな……夢……夢かぁ。


 小さい頃の夢とか、卒業アルバム見れば書いてるかな? もうあんまり覚えてないんだよね。


 僕がエイプリルドリームについて、何か良いのはないかを考えていると、七海さんは僕の首辺りに回していた手を離した。


 僕から離れたので、てっきりベッドの上で漫画を読むのを再開するのかなと思ったらそうではなく、彼女は僕のすぐ後ろに立ったままだ。


 僕は椅子を回転させて、後ろに立ったままの七海さんの方へと向き直る。僕の行動に、彼女は嬉しそうに笑うと、体を反転させ、慣れた様子で僕の足の間に自分の体を滑り込ませてきた。


 僕はそんな彼女が椅子からずり落ちないように、シートベルトのように彼女の腰あたりに手を回して固定する。


 僕と彼女の身体が密着して……七海さんの良い香りが僕の鼻腔をくすぐる。先ほど同様に、未だにこの気恥ずかしさには慣れることがない……。


「えっとさ……私って……諦めてたことがあったんだよね。諦めって言うか、難しいって感じかな?」


「諦めてた……こと?」


 過去形で言われたその言葉の意味が知りたくて、僕は黙って次の言葉を待つ。彼女はもじもじとしながら、その耳を徐々に赤らめていく。


 ……あ、これなんか恥ずかしい事を言い出すやつだ。


 もじもじとした動きが心地良くもくすぐったくて、僕は色々と我慢するが、彼女の動きは突然にピタッと止まる。


 どうやら、心の準備はできたようだ。


「陽信はさ……最初は……男の子と女の子……どっちが……良いと思う?」


 ……とんでもない事を言い出した。


「えっと……と……とりあえず母子ともに健康で、無事に生まれてきてくれればどっちでも……って七海さん?」


「いや、あのね、ちがくて……私ってさ、ほら……男の子が苦手だったでしょ?」


「うん、そうだね。僕にはだいぶ慣れてくれたみたいだけど」


「それは……陽信だからね……。今でもまだちょっと……他の男の人が苦手だなって思う時はあるよ」


 それは僕も感じていた。ふとした時に、まだ彼女の心の傷は完全に癒えてないと思う時がある。


 だから、こうやって可能な限りは僕がそばにいるんだけどね。


 彼女は胸の前で両手を合わせながら、言葉を続ける。


「だからね、だから……私って誰かの『可愛いお嫁さん』にはなりたくてもなれないのかなって、漠然と思ってたんだ」


「『可愛いお嫁さん』……か」


 七海さんのお嫁さん姿は、和装でも洋装でもきっと可愛いんだろうなと、僕は想像を巡らせる。


「うん。可愛いお嫁さん。お父さんとお母さんの結婚写真を見て、憧れたんだよね。お嫁さんって良いなあって思ったんだ」


 子供の頃を思い出しているのか、足をパタパタとさせながら七海さんは独白を続ける。


「でも、私は男の子が苦手だし、そう言うのは難しいかなって……ずっと考えてたんだー……」


 七海さんは足の動きを止めて、僕を少しだけ振り返りチラッと見てくる。僕は黙って彼女の言葉を聞き続ける。


「でもね……私は今……苦手だと思ってた男の子と一緒にいて……その人とは恋人で……もしかしたら……もしかしたらさ、その諦めてた夢が……実現するのかなって……」


「七海さん……」


 彼女の言葉は、後半は少し震えていた。


 涙は流していないが、まるで今が信じられないように、肩をほんの少しだけ震わせている。


 色々と……過去のことやここ最近のことを思い出しているのかもしれない。


 だから僕は、彼女の腰に回していた手を一度離してから、改めて彼女のお腹の辺りに優しく手を回す。


 七海さんに安心してもらうために、優しく……余計な力は一切入れない。


「……顔は七海さんに似て欲しいかな。女の子なら美人になるし、男の子ならすごいイケメンになるよきっと」


 顔は見えないけれど、彼女の肩がほんの少しだけピクッと動くのがわかった。


 それから、七海さんは僕が回している手に、自分の手を重ねてくる。


「私は……陽信の顔好きだよ? 可愛いし、カッコいいし……」


「そうかなぁ? 僕なんて平凡な普通の顔だから……髪を切った時だってモテなかったでしょ?」


「あれはみんなに見る目がないの! まぁ、良かったけどさ。変にモテなくて……。なに、陽信……モテたかったの?」


 七海さんは後ろから見ても分かるくらいに膨れてしまっている。僕は苦笑を浮かべながら、彼女を宥めるように言う。


「まさか……七海さん以外にモテたって意味ないでしょ?」


「まーた、そーゆーことをサラッと言うんだから……」


 七海さんはため息をつきながら、重ねた僕の手をほんの少しだけ、悪戯するようにつねる。皮膚の表面に、ほんの少しだけの痛みが走るが……それもどこか心地よかった。


「見た目が私ならさー、性格は陽信に似て欲しいよね?」


「僕に性格が似たら、陰キャになっちゃわないかなあ? 少し心配になるよ」


「大丈夫だよ……陽信って、信じられないくらい行動力あるからさ。きっと、大人しくてもやる時はやる子になるよ」


 僕等はそんな風に、お互いの将来の夢とはちょっと違うけど……それでも二人の未来について語り合う。これがエイプリルドリームの趣旨に合っているかはわからないけど……気恥しくも楽しいひと時だ。


 そして、不意に会話が途切れると……七海さんは僕から離れて、トテトテとベッドの上に再び座り直す。それから、先ほどまで読んでいた漫画を手に取った。


 その漫画は、先ほどまで七海さんが読んでいた新婚夫婦がテーマになっている漫画だ。その表紙を、七海さんが僕に見せつけている。


 そんな彼女に、僕は改めて……エイプリルドリームについて聞いてみた。


「七海さん……七海さんのエイプリルドリームって何?」


「……可愛いお嫁さんになること。子供っぽいかな?」


「大丈夫だよ。そう言う日なんだから、何を言ったって良いんだよ」


「そうだね……うん。そうだ。それで、陽信のエイプリルドリームは?」


「もちろん……可愛いお嫁さんをもらって……幸せな家庭を築くことかな」


「叶うかな?」


「……絶対に叶うよ」


 僕等はお互いに笑顔を向けて、笑い合う。


 うん、その夢は絶対に……絶対に二人で叶えようね。七海さん。

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