第36話「二度目の待ち合わせ」

「うーん……こんな感じかなぁ? ……いまいちわかんないけど……けどまぁ、それなりにはなったかな?」


 ヘアサロンで散髪してもらった翌日の朝……僕は鏡の前で悪戦苦闘していた。いまいち、昨日みたいにビシッと髪型が決まらないのである。


 まぁ、いきなりプロの人と比べても仕方ないのだが……せめて今日のデートでは、七海ななみさんにまたカッコいいと言ってもらえる程度には整えたいものだ。


「なんだ、今日は七海さんとデートか? どこに行くんだ?」


陽信ようしん……七海さんとちゃんと二人で楽しむように努めるんですよ」


 一時的に帰ってきた父さんと母さんが、悪戦苦闘する僕に声をかけてきた。親にこういう姿を見られるのは少し恥ずかしいが仕方ない……。


 父さんと母さんは、昨日の夜に一時的に帰宅して、揃って茨戸ばらと家で夕食を取った。昨日は、僕がはじめて美容院に行った日であると同時に、僕が両親に初めて作った料理を振舞った日にもなった。


 ちなみに僕の髪型については母さんにまた感激されて、七海さんがお礼を言われるという事態になった。


 今日の夜にはまた出張先に行ってしまうので……この朝の会話からまたしばらく両親とは顔を合わせなくなる。だから僕は、精一杯のことを伝えることにした。


「今日は、七海さんから誘われて水族館でデートなんだよ。それで髪型を整えてたんだけど……変じゃないかな?」


「……まぁ、いきなり完璧は難しいと思うが、変にはなっていないぞ。大丈夫だ」


「そうね、流石に昨日レベルとはいかないまでも……それなりには整ってるから問題ないと思うわ」


 父さんと母さんは、ちょっとだけオブラートに包んだ言葉で褒めてくれた。まぁ、二人から見て変でないというなら問題ないだろう。


「しかし、陽信……また服を買ったのか? その服、見たことが無い奴だが……?」


「あぁ、これ……? 実はこれ、厳一郎さん……七海さんのお父さんに貰ったんだよ。自分が着なくなった服だって……物持ち良いよね」


 僕は今白いシャツに青い上着……ブルゾンって言うんだっけ? それと下はチノパンを着ている。身体を鍛えだしてから着られなくなった服が結構あるらしく……それを是非僕に使って欲しいと言われてしまったのだ。


 非常にありがたいから今回は頂戴したんだけど……なんだろうか、どんどんと外堀が埋められてっている気がする。


 まぁ、嫌じゃないから良いんだけどね……。


「ふむ……それはお礼を言いそびれてしまったな……。陽信、そういうことがあったら必ず父さん達にも教えてくれ」


「そうね、あとで電話でお礼をしましょうか……次にお邪魔する時には、何か良いお土産を買っていきましょう」


 確かに、父さん達には言っておくべきだったか……。反省しよう。


 両親はそこからは親同士の会話を始めてしまい、僕の髪や服については特にそれ以上言及してこなかった。うん……準備はこの程度で良いかな? それじゃあ、僕も出かけようかな。


「それじゃあ行ってくるね」


「気をつけてな。存分に楽しんで来いよ」


「また来週ね陽信。そういえば、今日も七海さんの家に迎えに行くの?」


「いや……今日はちょっと違うんだ……」


 僕はそこで一拍だけ置いて、両親を振り返る。


「今日はね、七海さんの希望で……待ち合わせをすることにしたんだよ」


 そう、今日は七海さんたっての希望で待ち合わせをしてのデートをすることとなった。


 前回の映画館のデートでは僕は彼女の家まで迎えに行った。それは下手なナンパを避けるための意味合いが大きかったのだが……。


 今回の水族館デートでは七海さんは現地で会うことを希望した。正直、不安は尽きないのだが……なんでもそういう待ち合わせと言うのに憧れていたらしいのだ。


 それを聞いてしまっては断りづらく……僕はその提案を受け入れたのだが、一つだけ条件を出させてもらった。


 それは、僕が先に待ち合わせ場所につくこと。


 思うに、移動できない待ち合わせ場所に一人……と言う状況がまずいのだろう。


 七海さんが一人で待っているからナンパの声がかかるのであって、移動中であればそこまで多くの声をかけてくる輩は……いや、居るかもしれないけれど、その程度であれば七海さんならあしらえる筈だ。


 ……うん、譲歩したけどやっぱり不安はある。移動中でも無遠慮にナンパしてくる輩は絶対にいるし……でも……七海さんの希望はかなえたいし……と言う二律背反の思いを抱えた末に、僕が出した結論がこれなのだ。


 待ち合わせ場所は、水族館のすぐそばである。


 ショッピングモールで待ち合わせとかも考えたのだが……そうなるといつも通りっぽくなっちゃうと言うことで現地集合だ。


 なんだか、七海さんの並々ならぬ気迫を感じてしまうのは、気のせいだろうか?


 とりあえず、10時くらいに待ち合わせをしていたので僕は時間より30分ほど早くついた……当然のことながら七海さんはまだ来ていない。


 少しドキドキしつつ……僕は七海さんの到着を待つ。


 僕は最近、この待つ時間……と言うのが少し好きになっていた。


 七海さんが僕を見つけたときにどんな笑顔を向けてくれるのかとか、今日の髪型はどんなのだろうかとか、そんなことを考えて待つのだ。


 七海さんは基本的に待ち合わせには遅れないので、考えるのはほんの僅かな時間であるが……僕はその時間が好きだった。


「陽信、お待たせー!」


 時間ピッタリに、彼女の声が聞こえてきた。少し小走りで僕に近づいてくる彼女の今日の服装は、いつもの学校の時のような、ギャル系の服装だ。


 オフショルダーと言うのか……肩を出した上着に、インナーの肩紐が見えている。下はショートパンツではない普通のジーンズをはいているのだが……問題はその上着である。


 丈が短くて、七海さんのおへそが丸出しなのだ。えっと……上半身の露出、多くない?


 いや、正直に言って嬉しいですよ。


 髪の毛もサイドでポニーテールにしていて可愛いし、凄い気合が入っているのがわかる服装なんですよ。


 でも、それ以上に普段見えないおへそが見えるってのでドキドキしてしまいます。なんで敬語になってるんだろう僕。


 よくこれでナンパに合わなかったな……と思っていたら……後ろの方に真っ黒いスーツ姿の人物が立っているのが、遠目にわかった。


 真っ黒いスーツにサングラスをかけた、筋骨隆々のどう見ても一介のサラリーマンには見えない男性……なんか特殊な職業の人にしか見えないけど、あれは七海さんのお父さんの厳一郎さんである。


 何やってるんですかお父さん。


 たぶん、心配で付いてきたんだろうけど……でもまぁ、安心安全のボディガードだね。


 七海さんが僕の元へとたどり着いたことを確認すると、厳一郎さんは僕に対して親指を立てる。僕もそれに対して親指を立てて答えた。


 それを見た厳一郎さんは、踵を返して僕に片手を振りながら、立ち去って行った。


 格好いいな。映画のワンシーンみたいだ。


「陽信? どうしたの?」


「あぁ、いや。ちょっとね。七海さん……今日はそっちの格好にしたんだね。似合ってるよ」


「今日は私から誘ったデートだからね、気合い入れてみたよー。どう? 可愛い?」


「可愛い……けど、露出が多くてちょっと心配かな……おへそ見えちゃってるし……」


 僕の一言に彼女はとっさにおへそを手で隠す……ことは無く、むしろ楽し気な笑顔を僕に向けてきた。


「えへへ、可愛いって思ってくれて良かった。おへそくらい普通だよ? 陽信になら……もっと見てもらっても全然良いし……」


「いや、僕の視線より……周りの視線が心配かなーって」


「好きな人以外の視線なんて、動物に見られているのと変わらないんだからどーでもいいの。それじゃ、行こっか」


 そういって彼女は水族館へと僕の手を引くのだが……よく見ると、彼女は少し大きめのカバンを持っている。


 学校に持っていくのと同じ程度の大きさのカバンだ。対して僕は手ぶら……これは彼女に持たせたままにはしておけないよね。


「七海さん、そのカバン……僕が持つよ。僕は手ぶらだし、ちょっと重そうだからさ」


「……えーっと……そんな大して重くは無いんだけど……そうだね、じゃあお願いしよっかな?」


 一度は繋いだ手を離した七海さんは、素直に僕にカバンを手渡してくる。受け取ると、確かにそこまでの重さではないが……女の子がずっと持っているには少し辛い気がする。


 それから僕は、カバンを受け取った手とは反対の手を彼女に伸ばして再度手を繋ごうとする。……そこで彼女は、僕の手を見て一瞬だけ躊躇うような素振りを見せた。


 ……あれ? いつもだったらすぐに手を繋いでくるのに……なんか変なところでもあっただろうか?


「……うん」


 七海さんは一言だけそういうと、一人で頷いて僕にゆっくりと近づいてきて、僕の伸ばした手を……取ってこなかった。あれ?今日は手を繋ぐのは無しなのかな……。でもさっきは……。


 僕がちょっとだけ寂しく感じていると、彼女は自身の手を僕の二の腕辺りに伸ばしてきて……そのまま上半身を押し付けるように、僕の腕に彼女の腕を絡めてきた。


 へ……?


 唐突な出来事に、僕の思考は完全に止まる。


 両腕を絡めてきた彼女の上半身……と言うか……その大きな双丘が僕の腕を挟み込んで、柔らかな感触をダイレクトに伝えてくる。


 なんで……なんで唐突に腕組みしてきたの七海さん?!


「今日のデート、楽しもうね。」


「う……うん、そうだね……いや、七海さん……あの……」


「あ、そうだ……言うの忘れてた……。今日の格好、カッコいいね。髪型もちゃんとセットしているし……うん、凄くカッコいい。惚れ直した」


「うん、ありがとう……いや、じゃなくて七海さん……?」


 両腕を絡めた状態で言ってくる七海さんのその誉め言葉は、僕の耳には届いてきていない。いや、正確には届いているのだが、それどころではないのだ。


 急な腕組みに僕の頭は混乱してしまい、そして身体の感覚は彼女が触れている個所に対して全力で集中している。


 それもこれも、彼女の胸が……僕の腕に当たっているのだから仕方ないと思っていただきたい。


 悲しい男のサガと言うやつである。


「えーっとさ……ありがとう、褒めてくれて嬉しいよ……。でも……その……七海さん、今日はなんで手を繋がないで……腕を組んでるのかな?」


 僕の言葉に七海さんは少しだけ不安げに眉を寄せる。あぁ、いや。そんな顔をさせたかったわけじゃないんだよ。ただ、僕が混乱してしまっているだけで……。


「……イヤ、だったかな?」


「いえ、決してイヤと言うわけじゃなくてですね……その……お胸が……当たってましてですね……その……」


 ごまかしても仕方が無いので、僕は今の気持ちを正直に七海さんに打ち明ける。彼女は僕の言葉に、少しだけ頬を染めながら微笑んで……僕の耳元で「当ててるんだよ」とボソッと言ってきた。


 ……わざとなの?! なんでわざとそんなことやるんですか七海さん?!


 今日の七海さんは非常にグイグイ来るというか、積極的すぎませんかね?


「七海さん、なんかあったの?! 今日すっごいなんかグイグイ来てるけど?! 無理してない?!」


「んー? 何もないよー? ほらほら、今日は水族館を楽しむんだから、さっそく行くよー」


 腕を組んだまま、七海さんは水族館へと僕を引っ張っていく。


 腕を組んで歩くというのは初めての経験なので、正直言うと歩きにくいが……彼女の嬉しそうな顔を見せられてしまっては……その辺は僕が頑張って慣れていくしかなさそうだ。


 よく見たら七海さん、頬は普通にしているけど……耳が真っ赤だ……。そんな無理しなくていいのに……。


 初っ端から、僕に対して衝撃的な出来事が発生した初の水族館デートは……こうしてスタートしたのだった。 

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