第14話「約束された勝利」

「勝負を断るとはなんと情けない!! やはり君の様な腰抜けに七海ななみ君は相応しくない!! もしも、腰抜けじゃ無いというなら勝負を受けたまえ!!」


 硬直から抜け出した先輩の叫び声で、僕もなんとか硬直から抜け出す事ができた。


 いきなり何してるの七海さん!? 顔真っ赤にして恥ずかしがってそっぽ向いちゃうならやらなきゃいいのに可愛い!


 ……よし、まずは先輩の相手をして気分を落ち着けよう。


「先輩、勝負に彼女を賭けるとか昔のドラマじゃないんですから。それに、大事なのは七海さんの気持ちでしょう? そもそも一度フラれている先輩がそれを無視して、僕等だけで勝負しても何の意味も……」


「正論を言うなぁ!! 正論というのは時に悪口よりも人を傷つけるということを知りたまえ!!」


 正論だってわかってるんじゃないか。何とも自分勝手な先輩である。


 この人は標津翔一しべつしょういち先輩……僕でも知っているバスケ部の主将を務めているイケメンさんだ。

 結構、有名な選手であり……七海さんにフラれたイケメンの一人だ。


 僕が彼女と付き合い始めたという話を聞いて、きっと体育会系のノリで勝負を吹っかけてきたのだろうが……僕には勝負を受けるメリットがない。


 この人に認められなくても僕と七海さんは交際を続けるし、勝ったから貰うなどと、賞品の様に七海さんを扱う人に彼女を渡したくない。


 たとえ罰ゲーム期間中の恋人とは言え、今の七海さんが僕の彼女であることには変わりないのだ。


 それに、僕は七海さんに好きになってもらわなきゃいけない。余計なことに構う時間はない。


 だから重ねて言うが、この勝負を受ける意味は僕にはない。


 まぁ……負けた時のデメリットがでかすぎるし、普通の神経をしてたら受けるわけがない勝負だよね。


 なんでそれを受けると思ったのだろうか? この先輩は。


陽信ようしん、もう行こう」


「そうだね」


 顔の赤みが引いた七海さんと僕が教室に戻ろうとしたところで、その背に先輩は憤慨したように大声を浴びせる。


「あぁ! 待ちたまえ!! 七海君もこんな小さくて地味な男子のどこが良いのだ?! 少なくとも、見た目は僕の方が良いじゃないか!!」


 それを言われては、僕としては返す言葉が無い。


 確かにこの先輩……顔はかなり格好良い。モデルのようだ。


 僕のことを小さくて地味と言うのは悪口でも何でもなく、事実を端的に表している。


 並んだらきっと10人中10人は先輩を選ぶ。それくらい絶望的な戦力差だ。だから特に腹も立たない。


 ……しかし、七海さんはそんな先輩の言葉に激昂した。


「それ以上、陽信を侮辱するなら先輩とはもう友達としても絶交です! 学校で話しかけられても無視します!! 先輩なんかより陽信の方がよっぽど良い男です!! そんなこと言う人! 大っ嫌い!!」


 おぉう、七海さんがそんなに怒った顔で叫ぶなんて……しかも僕のために……なんだか嬉しい……。


 って、先輩が膝から崩れ落ちた……。長身だから、普通の人よりも膝に対して深刻そうなダメージを伺わせる音が周囲に響く。


「だい……だいっきらい? 僕が……大っ嫌い?! 七海君に……大っ嫌いって……」


「先輩なんて告白の時、私の胸ばっかり見てたじゃないですか!! 分かってるんですからね!! 陽信は私の胸ばっかり見るなんて……」


 そこまで言いかけて七海さんの言葉がちょっとだけ止まる。


 僕が今朝、七海さんの胸をかなり見てしまったことを思い出してしまったのだろう。……ごめんなさい、七海さん。


「無いんだから!!」


 言い切った!!


 朝の事を無かったことにして言い切った七海さんである。


 両手を地面につけて絶望的な表情をした先輩を尻目に、僕の方をちょっとだけ見て悪戯した子供のように舌を出した。


 嘘を付いちゃったことに対するものなのか、僕が胸を見てしまったことに対する抗議なのか……。


 許してくれたとは言え、男性が苦手な七海さんには悪いとは思っている……。でも、仕方ないじゃないか、人間は動く物に視線が行ってしまうんだよ。


 そのまま立ち去ろうとする七海さんを、先輩は絶望的な表情で縋るように顔を上げようとしたので、慌てて僕は素早く、先輩と七海さんの間に入り、先輩と同じ目線になるようにしゃがんだ。


「七海さん、流石に絶交とかはやりすぎだよ。一応は、友達? なのかな? いや、僕としては……こんなに格好良い男友達が七海さんにいるのは不安だけど……正直、嫉妬しちゃうけど。関わって欲しくないけど。でも、流石にちょっと先輩が可哀そうかな」


「おぉ……簾舞みすまい君……」


 先輩は間に立った僕に涙を流しながら視線を移す。うん、良かった。先輩の視線を僕に向けられた。


 あのまま先輩が顔を上げてたら七海さんのスカートの中が丸見えになっていただろう。


 僕だってまだ見た事がない……違う。


 七海さんがスカートの中を見られて恥ずかしい思いをしなくて済んだことに、僕はホッと胸を撫でおろす。


「……陽信がそう言うなら……絶交とかまではしないけど……。あ、連絡先は教えてないから安心してね?」


 少しだけ不貞腐れたように七海さんは口を尖らせてしまう。彼を庇ったことで拗ねさせてしまっただろうか……。うーん……こういう時はどういう事を言えばいいんだろうか?


 気の利いた言葉は僕にはハードルが高い……。とりあえず、七海さんの事を素直に褒めておこう。


「うん、ありがとう七海さん。やっぱり優しいね、七海さんは。連絡先についても安心したよ」


「……惚れ直したかな?」


 不貞腐れた顔からいっぺん、首を傾げて僕に綺麗な歯を見せながら笑顔を見せる。


 ……凄いカウンターパンチを喰らってしまった気分だ。悪くない気分だが、ここはどう応えるのが正解か……。


「そうだね、惚れなお……」


「ふん、少しはやるようだな……ちょっとは認めてあげよう。しかし、完全に認めることはできないな。僕と勝負して彼女に相応しい男か証明したまえ」


 僕が決心して言いかけたタイミングで先輩が立ち直ったのか立ち上がっていた。


 見下ろされた僕は先輩を見上げながらため息をつく。七海さんも同じ気分だったのか、二人のため息のタイミングはぴったりと一致した。


 せっかく、七海さんに気の利いた事を言えるチャンスだったのに……。


「で? 勝負って……何の勝負をするんですか?」


「スリーポイント勝負だ。僕はバスケ部の主将を務めている。10本勝負は我が部の伝統なのだよ」


 うわ、きったないなオイ。


 バスケ部主将がバスケの勝負を挑むなよ。バスケなんて授業でちょっとやった程度で、後は漫画とかの知識しかないぞ……。


 七海さんも呆れたように先輩を目を点にしてみていた。そんな勝負を挑むとは思ってなかったのだろう。


 でも……先輩は勝負を受けなければ収まりが付かなそうだ。仕方ない……。明日も来られても嫌だしな……。


「わかりました……先輩……勝負を受けますけど、その代わり3つほど条件を付けさせてください。僕はバスケ初心者なんですから、それくらいいいでしょう?」


「ん? もちろんだとも。ハンデはいくらでも付けよう。なんでも言ってくれ」


 だったら最初から自分の得意分野で勝負を挑まないで欲しい……まぁ、そんなことを言ってもこの人には無駄かもしれない。


 たぶんこの人……馬鹿だ。先輩だからあんまり言いたくないけど馬鹿なんだ。


 だから僕が何の条件かを言う前に承諾する。……まぁ、バスケ部だから負けるわけがないって自信もありそうだけど。


 とりあえず、言質は取った。


「1つ目……まず先輩のお手本を10本……いや、20本ほど先に見せてください。それから、僕に先手を譲ってください」


「うむ、良いだろう」


「2つ目……僕が一本でも決めたら僕の勝ちとしてください。そもそもスリーポイントなんて撃ったことないんで僕。逆に先輩は……そうですね、10本全部決めたら勝ちと言う事でどうです?」


「あぁ、良いぞ。それくらいはハンデとして当然だろう」


「最後3つ目……スリーポイントの結果はどうあれ、勝負の結果をどうするかは、七海さん自身に選択させてあげてください」


「もちろん良いぞ!! 僕が10本全部を華麗に決めて、彼女に僕を選んでもらおうじゃないか!!」


 すっかり立ち直った先輩が、その巨体に似つかわしくない軽やかさでこの場から立ち去って行く。


 たぶん、体育館に行ったんだろう。昼休みはまだ時間があるし、昼のうちに勝負を終わらせてしまおうか。


 七海さんと過ごす時間は減るが仕方ない。


「陽信……いいの? 勝負なんて……しかもバスケのスリーポイントって……」


「あぁ、うん。大丈夫だよ七海さん。なんて言うか……僕も七海さんを景品扱いする先輩にはちょっと怒ってるんだ……。だからさ、七海さんは気楽に僕の無様なスリーポイントを見ていてよ」


「でも……負けたら私……」


 不安そうに俯く彼女を安心させるように、僕はその肩に手を置いた。僕に触れられた事で、彼女は身を震わせてから顔を上げた。


 ……しまった、つい触っちゃったけど……まずかったかな?


 あ、でもなんか七海さんの表情が安心したようなものになってるから……って七海さん? 肩に置いた手になんでほっぺた乗っけてくるの……?


 うっわ、手の甲が柔らか……。スリスリって……いや、じゃなくて言葉を続けないと。


「いや、僕は条件に付けたよね。勝負の結果はどうあれ、どうするかは七海さんに決めてもらうって。まぁ、七海さんがスリーポイントを見事全部決めた先輩にときめいちゃったら別だけど……そんなことないでしょ?」


 ……そんなことないよね?


 内心でちょっと不安がる僕の言葉に、七海さんは少しだけ考えるそぶりを見せて……それから合点がいったように手をパンと打ち鳴らした。


「あぁ、そう言う意味だったんだ……」


「うん、まぁ……先輩は最初に自分で言った『勝負に勝ったら七海君を貰う』って言う言葉しか覚えてないんだろうね。あの人、言っちゃ悪いけど……馬鹿っぽい感じだ」


「あー……うん……バスケに関しては凄いんだけどねあの人……」


「そうなんだ……。じゃあいこっか、体育館」


 僕はここで七海さんへと手を差し出した。


 僕から手を出されたことにビックリした彼女は、それでもゆっくりと僕の手を取ってくれる。それから僕等は二人で手を繋いで体育館へと移動した。


 体育館に到着した時に、先輩が羨ましそうな、妬ましそうな目で僕等を見ているのが少しだけ楽しかった。


 視線は繋がれた手に集中している。我ながら性格が悪いとは思うが……。これくらいの精神的揺さぶりは良いだろう。


 そして僕は嫉妬の目を向ける先輩と、スリーポイント勝負を実施した。当然、条件そのままに……。彼は素直に、僕の言葉に従って勝負を受けてくれた。


 その結果は……。


 僕の足元で先輩が先ほどと同じように、膝から崩れ落ちて両手を地面に付けていた。


「馬鹿な……馬鹿な!! 僕が負けただと……?」


「えぇ……僕の勝ちです先輩。七海さんは僕の彼女……認めてくれますよね?」


 悔し気な先輩はそれでも一度口に出したことを曲げることはしたくなかったのか……呆然とした表情で僕の顔と、僕の横にいる七海さんの顔を交互に見ながら……フッと少しニヒルに笑う。


「あぁ、負けたよ簾舞君……そして……茨戸ばらと君……君たちはお似合いのカップルだよ。畜生、悔しいな」


 最後の最後、先輩は体育会系らしく爽やかな笑顔を浮かべ、僕等を祝福してくれた。


 僕はその笑顔を見て、ちょっと……だいぶ汚い手を使った自分を少しだけ恥じたが、まぁ、この人も唐突に僕たちに勝負を吹っかけてきたしお相子ということで……。


 僕と先輩はがっちりと握手を交わし、周囲で見ていた人たちは歓声を上げるのだった。

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