第9話「初の彼女のお弁当」

 彼女と一緒に昼食をとる。男なら誰でも一度は絶対に妄想しているはずだ。そこに陰陽の差など無いと僕は思う。


 いや、絶対かは知らんけど。


 少なくとも僕は、陰キャなりに妄想したことはある。妄想は自由だ。


 それはこんな内容だ。


 僕と彼女は屋上に二人きりで行く。彼女は少し恥ずかしそうに、失敗しちゃったと予防線を張りつつも、お弁当箱をゆっくりと開く。


 しかしその中身は、彼女の言葉とは裏腹に完璧に調理された美味しそうなお弁当で、僕はそれを食べて美味しいよと言ってあげて彼女は笑顔になり、そのまま談笑しながら幸せな昼休みを一緒に過ごす……。


 そんな普通の妄想だ。


 それが僕自身の身に起こるなんて想像すらしていなかった。妄想は妄想のままで終わると考えていた。


 しかも、相手は七海ななみさんだ。


 罰ゲームで告白してきたはずの彼女は、待ち合わせをしてから僕と手を繋いで登校し、お昼のお弁当まで作ってきてくれた。


 罰ゲームへの本気度が違う。


 いや、これは僕が割と好かれているという解釈もワンチャンあるのではないだろうか?


 ……自惚れてはいけないな。僕はまだ、彼女にそこまで好かれる事をした覚えが無い。僕は彼女にメロメロになってもらうための行動をまだ何もしていないんだ。


 これは彼女なりの「理想の彼女像」を追求した行動なのだと胸に刻んでおこう。


 そう思わないと……今の僕には耐えられない。主に周りの視線から。


 僕たち二人は昼休みの現在、屋上にいる。うちの高校は屋上が解放されているので、昼休みに屋上で食事する人は珍しくない。珍しくないのだが……。


 今日は人がかなり多い。


「天気が良いと屋上って気持ちいいね。あ、あっちのベンチ空いてる。あっちのベンチで食べよっか。行こう、陽信ようしん


「そうだね、七海さん」


 人が多い理由は言わずもがなだ。僕と七海さんの昼食を見学するために集まった人達だ。だから人は多くても僕と七海さんの周りには露骨に人が少ない。


 みんな、遠巻きに眺めるために僕と七海さんを中心に集まっているような状態だ。授業で習ったドーナツ現象みたいなことが起こっている。


 ちなみに、音更おとふけさんと神恵内かもえないさんはここにはいない。


 彼女達は彼女達で、久々に自分の彼氏と昼食を取ると言って去って行った。二人とも……こっそりと学外に出ているらしい。


 昨日までは、七海さんと三人でお昼を過ごしていたらしい。


 それはきっと男性慣れしていないという七海さんへの、彼女達なりのガードだったのだろう。


 そしてそれは、僕に引き継がれた。いないという事はきっとそう言う事だ。これは大役を仰せつかってしまったとプレッシャーを感じてしまう。


 しかしそれ以上に、この視線の量は本当にきつい。


 女子達からの好奇の視線はまだいい。これは不快ではあるが実害がないし、むしろ彼女達の興味は僕よりも七海さんにあるようだ。なぜ僕を選んだのかと言う意味でだが。


 問題は男子達の視線だ。


 憎しみ、恨み、怨嗟、嫉妬、悔恨、怒り……そのような様々な感情の乗った視線を僕に向けてきている。


 七海さんがいるから襲い掛かっては来ないようだが、今にも襲い掛かってきそうな視線を感じてしまう。


 憎しみで人が殺せたらとか、視線で人が殺せたらと言う表現があるが、僕はこの視線を受けて言いたい。


 憎しみに殺されそうだと。


 視線で殺されそうだと。


 胃に穴が開きそうだと。


 七海さんは罰ゲームでやってるだけだから心配しないでと叫びたいが、それはできないので、とにかく僕が耐えるしかない。


「陽信、どうしたの? 早くおいでよ」


 僕の葛藤を他所に、いつの間にかベンチに座っていた七海さんは、自身の隣をポンポンと手でたたいて僕を誘う。隣に座れと言う事らしい。

 僕は彼女に促されるままに、彼女の隣に座る。彼女の手には二つの小さなお弁当箱が持たれており、そのうちの一つを僕に手渡してくる。


「……もしかして、今日、早起きしてやることってこれだったの?」


「……うん……そう」


 ちょっとだけ頬を染めて彼女は恥ずかしそうにする。……僕のために早起きして作ってくれたお弁当。


 うん、なんだろう。今なら僕に注がれる視線にも耐えられる気がしてきた。我ながら現金というか、調子がいいというか……。


「本当はお昼にビックリさせたかったんだけど、陽信がお弁当だったらどうするのって、朝に初美につっこまれてさ……。良かったー、陽信がお弁当持ってきてなくて」


「僕も、まさか七海さんがお弁当を作ってくれるなんて思ってなかったよ。嬉しいよ」


 僕は昼食代を親からもらっているので、基本的に購買でパンを買うか学食で食べるかなんだけど……今日の分のお昼代が丸々浮いてしまったな……。


 まぁ、たとえ弁当を持ってきてたとしても、これは食べていただろう。食が太い方では無いが、それくらいならきっと余裕だ。


 いや、無理してでも食べる。それくらいこの弁当は重要だと、いくら僕でも理解できる。


「ねぇ、ボーっとしてないで開けてみて欲しいんだけど……」


「あ、あぁごめん。そうだね、じゃあいただくよ」


 僕は渡されたお弁当箱を満を持して開けてみる。


 ここで実は七海さんが料理下手で僕は頑張ってそれを完食する……と言う下手な展開は一切なく、お弁当は普通……いや、かなり美味しそうなものだった。


「わぁ……」


 初めて見た女の子の手作りのお弁当は、なんだろうか……僕には眩しすぎるくらいに美しく見えた。


 ちっちゃな可愛らしいサイズのお握りが3つ、それもノリを巻いたり、ふりかけをまぶしてたりと、お握りなのにカラフルだ。


 卵焼きはコゲもなく綺麗な黄色をしており、まるで黄金のように輝いて見える。


 メインには唐揚げが4つほど入っているが、周りにレタスとプチトマトが置かれており彩も鮮やかだ。


 僕はその開けたお弁当をゆっくり、慎重にまずはベンチに置く。その僕の行動に七海さんは首を傾げるが……僕は構わずスマホを取り出して、そのお弁当の写真を撮る。


 それも連写で何枚も、様々な角度でだ。


「ちょっと! 何やってるのよ!?」


「いや、この芸術作品は記録してからで無いと勿体なくて食べられないんだよ」


 困惑する七海さんを尻目に、僕は十数枚ほど写真を撮ると、満足して改めてお弁当と、そして七海さんに対して手を合わせる。


「いただきます」


「……召し上がれ」


 少し恥ずかしそうに頬を染めながらも、七海さんはそう答えてくれた。それがなんだか嬉しい。


 おにぎりは硬めのご飯をふんわりと握っており、口の中でお米が解けるような食感。


 卵焼きは硬すぎず柔らかすぎず、甘めの味付けで僕の好みにぴったりだ。


 唐揚げは冷めてもサクサクした衣の食感はそのままで、濃い目の味付けに箸が止まらない。


 要するに、全部美味い。


 夢中で食べていたが、何か気の利いた感想を言わなばならないと、僕は二個目のおにぎりを手にする。


「おにぎり、ちっちゃくて可愛いサイズだね。綺麗にまん丸だし」


「ありがとー。私の手ってこーんなちっちゃいからさー、どうしてもそのサイズになっちゃうんだよね」


 七海さんは両の掌を僕に向けてフリフリと振る、僕はそこで彼女のあの細い指がこのおにぎりを形成したことを強く意識してしまった。

 ……意識するとヤバい。なんかもう色々、ヤバい。何がとは詳しく言えないけどヤバい!


 語彙力を失ってしまう程に混乱した僕は、それでも彼女のお弁当を味わって食べる。


 夢中で食べたからか、小さなお弁当箱だからか……僕はそのお弁当をあっという間に平らげた。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「お粗末様でした」


 彼女はまだ食べている途中のようで、少し早く食べすぎたかなと後悔した。


「七海さん、料理上手いんだね」


「お弁当作るのって、私の役割だからねー。今日はこっそり一つ分多く作って、持ってきたんだ」


 彼女も僕と同じく両親が働いてるのかな? それを手伝うためなのか、お弁当を作るなんて偉いなと……僕がそう思った時だった……。


 ググゥ〜……。


 僕の腹が鳴る……小さく、だけど七海さんにも聞こえる大きさで。


 僕の顔は赤くなり、彼女の顔は少し青くなった。


「ご…ごめん!! そうだよね、男の子だもんね、私の予備のお弁当箱じゃ量が足りないよね!」


 彼女は慌てて僕に謝罪した。


 僕の胃の馬鹿野郎!


 何故もう少し我慢できなかった。せめて七海さんと別行動を取るまで耐えろよ男なら!


 そう、正直に言って……僕が大食漢では無いと言ってもこの量はちょっと物足りなかったのだ。


 だから後で購買でパンか何か買おうと思ってたのに……根性無しの胃のせいで彼女に恥を……。


「ごめんねー、私の方まだあるからさー……はい、唐揚げどうぞ?」


 僕が自分の胃に叱責を送っていると、七海さんは自分の箸で摘んだ唐揚げを差し出してきた。


 え?


 どーゆーこと?


 これはいわゆる「あーん」の構図だ。漫画とかで数々見てきたから間違いない。


 彼女もそのことに気づいたのか、後から顔を真っ赤にするが……箸は取り下げない。


 周囲から音が消え……全員が僕らを固唾を飲んで見守っているように感じた。


 僕は震えながらも、これ以上待たせてはいけないと、彼女から差し出された唐揚げを頬張った。


 ……緊張で味が分からないが……きっとさっきよりも美味いだろう。不味いわけがない。


 僕の胃よ……お前はいい仕事をした。


 掌がドリルのようにクルクル回転しすぎているが問題ない。とにかく、お前はいい仕事をした。


 箸をおずおずと引っ込めた七海さんは、残りのお弁当を黙々と食べ進める。


「は……初美達とは……よく……こうやって……食べさせ合いっこ……しててさー……」


「へ……へぇー……そ……そうなんだー……」


 それからしばらくは、まともな会話ができなかった。


 僕らが会話が再開できたのは、僕と彼女の顔の赤みが無くなり、普通の顔色になってからだった……。


 その会話の中で、僕は正直に量が物足りなかったことを告げた。今はもう色々な意味で満足してるが、もう少し食べたいのが本音だ。


「それじゃあ今日さ、帰りに陽信用のお弁当箱、一緒に買いにいかない?」


 思いがけない提案に、僕は思考が止まる。


「……それは明日も作ってくれるって解釈でいいのですか?」


「そのつもりだったけど……迷惑だったかな?」


「とんでもございません。恐悦至極に存じます」


 嬉しさとテンパってしまった影響で口調がおかしなことになってしまうが、彼女は小さく「よかった」とだけ呟くと、胸の前で手を合わせた。


 神様……僕はもうここで死んでも悔いなしです。僕の人生の絶頂はきっと今だ!


 色んな視線を送ってきてる奴らに殺されるかもだけど、構うもんか。僕はもうこれ以上の幸福はきっと無いんだから。


 そう思っていた時、七海さんは小首を傾げながら頬を染め、ちょっと恥ずかしそうな笑顔を浮かべながら小さな声で呟いた。


「放課後デートだね」


 ……神様……前言撤回させて下さい。


 僕はなんとしても生き続けます!

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