第8話「初登校、そしてお誘い」
僕は考えていなかった。彼女と手を繋いで登校するというその意味を。
いや、分かっていたんだけれども……舞い上がりすぎて……テンパりすぎてその意味を忘れてしまっていたのだ。七海さんはありとあらゆるイケメンをフッてきた女性だ。
そんな彼女と、教室でも目立たない僕の様な陰キャが手を繋いで登校するという光景は、周囲から好奇と驚き、それに加えて嫉妬や憎悪など、様々な感情が乗った視線に晒されることになった。
……幸いなのは、朝が早くて登校している生徒数が少ないってところかな。それでも何人かはばっちり見ている。
流石に声をかけてくる人はいないが、七海さんの事を知っている人はひそひそと話をしていた。
あまり気分は良くないが……仕方ないと僕は割り切る。七海さんはどうかなと隣をチラリと見ると……。
「……噂になっちゃうかもね?」
流石は七海さんだ……この状況を楽しむように、そして僕を揶揄う様に……僕に対してその綺麗な歯を剥き出しにした笑顔を浮かべている。真っ白い歯がキラリと光っている。
ちなみに、ここまでの道中で彼女は、昨日とはうって変わって僕に喋りかけまくってきていた。
趣味は何なの?とか、休みの日は何してるの?とか、付き合った女の子って他にいるの? とか、そんな話を終始しながら僕等は道中を歩いてきていた。
昨日のバロンさんからのアドバイスでは『あまり自分のことは話さず、彼女の事を聞くようにね。君は聞き上手に徹するんだ』と言うような事を言われていたのに、それが全部無意味だった。
僕はとにかく、自分の情報を喋りまくっていた。
また彼女の話し方も実に上手いのだ……会話の膨らませ方が上手いと言うか……趣味の事を聞かれた時に、ゲームって答えたら、アイコンのキャラがゲームキャラであることを看破され、それから彼女自身はゲームをやったことが無いけど休みもこのゲームをしてるの?と言う質問に繋げ……。
何と言うか、会話会話の間の質問の繋げ方が秀逸なのだ。僕は気がつくと、昨日バロンさんから忠告を受けたことも忘れてほとんど自分の事ばっかり喋ってしまっていた。
これが真の聞き上手というやつなのか……僕なんかとは大違いだ。
自分の事ばっかり喋ってしまい、七海さんにつまらないと思われたら申し訳が無いが……とりあえず楽しそうだったので間違ってはいなかったと思いたい。
「そうだね、僕なんかと噂になっちゃって……七海さんには申し訳ないと思うよ」
そう言ったとたん、彼女は頬を膨らませた。
「なにそれー? 欲しかったリアクションじゃないんですけどー? 私達、付き合ってるんだから良いじゃない」
プクッと膨れたほっぺたを僕はつつきたい衝動に駆られる。どういうリアクションをするのが正解だったんだろうか? この辺は、七海さんの嗜好を把握しなければ難しいかもなぁ……。
「それに、僕『なんか』って今後はやめてよ。陽信は今、私の彼氏で……昨日は私を助けてくれたんだから……格好良かったよ。だからさ……対等なお付き合いをしましょう?」
……これ、罰ゲームのお付き合いのはずだよね?
あぁ、そう言う事か。対等なお付き合い。それが彼女が理想とするお付き合いの形と言う事か。それを僕でシミュレートしていると。そう言う事か。理解したよ。
「うん、わかったよ……七海さん」
僕が答えると、彼女も僕に笑顔を返してくれるのだが……その笑顔がほんの少しだけ曇る。先ほどまでの華のような笑顔とは一転して、哀しそうな笑顔だ。
「……私の方こそ……ごめんね」
その謝罪はどちらの意味なのだろうか、噂になることに対する謝罪なのか……それとも、これが罰ゲームのお付き合いだという事への謝罪なのか。
もしも、罰ゲームであることを僕が知っていると彼女に伝えたら……彼女はどんな顔をするのだろうか?
それを告げた時の彼女の顔を、僕は少しだけ見たくなったのだが…その誘惑をぐっとこらえて……
彼女の頬を人差し指で突っついた。
唐突にした僕の行動に、彼女は目を丸くして僕を見た。ちょっとした悪戯のつもりだったんだけど、予想外に驚かれて僕も目を丸くしてしまう。
「な……な……なななな……何をッ?!」
「あ、ごめん……七海さんが対等なお付き合いをって言い出してたのに、いきなり謝り出したからさ……。嫌だったかな、ごめん」
「……い……嫌じゃないけど……ビックリしたって言うか……うん……ビックリしただけ、ビックリしただけ……」
ビックリしたを強調する彼女のその顔は真っ赤で、目が泳いでいる。相当に驚かせてしまったようだ……申し訳ない事をした。
そのまま彼女は少しの間だけ無言になると、いつの間にか学校に着いていたようだ。僕等はいったん手を離し、靴を外履きから内履き用の靴に変える。
教室は同じだし……手を繋ぐのはここまでかなと思ったら……彼女は靴を履き替えた後にも手を差し出してきた。……この短い時間でも手を繋ぐと申しますか。そうですか。
「流石に……ちょっと恥ずかしくない?」
「いいじゃない、朝だし人も少ないから……もうちょっとだけさ……」
その言葉に、僕は観念して彼女の手を取る。教室にはまばらに人が居て……僕等が入ってきた瞬間に教室内がざわついた。騒いでいないのは七海さんの友達の二人だけだ。……彼女達もずいぶん早く来ているな。
教室内がざわつく中で、二人は真っ先に僕等に笑顔を浮かべて近づいてくる。
……えっと、この二人の名前なんて言ったっけ……?
「……七海ー、ずいぶん大胆だね。まさか手を繋いで入ってくるとは思わなかったよ」
「初美……うん……ちょっとね……」
ロングヘアーの方の友達……初美さんは、七海さんの行動に驚いているようだがその口調はとても優しく、どこか安堵感を感じさせるものだった。その言葉に七海さんは、はにかんだような笑顔を浮かべて返答している。
「おめでと~、おめでと~」
「歩、ありがと」
ショートヘアでゆるい笑顔を浮かべた女子……歩さんは、ぱちぱちと手を無邪気に叩いている。僕等を素直に祝福してくれているようだ。僕の方にもその笑顔を浮かべて「おめでと~」と告げて、ぱちぱちと手を叩いていた。
うーん、この二人が罰ゲームで告白って言い出したとは思えないリアクションだな。
それどころか、僕と彼女の交際を心から祝福しているようにも見える。てっきり、もうちょっと引きつった笑顔を浮かべるかと思ったんだけど……この笑顔が演技なら、僕は女性不信になりそうだ。
「簾舞、彼女借りてって良いかい? 話を色々聞きたくてさ」
「あぁ、うん……構わないよ……七海さん、また後でね」
僕が手を離すと、彼女はほんの少しだけ残念そうな表情を浮かべるが、すぐに二人の友達に連れられて教室から出ていった。まぁ、罰ゲームの話をするんだから僕が居るところでは話しづらいよな。
僕は彼女が出ていった後に、空になった手を見る。そして、余韻に浸る様にまだ彼女の手の温かさが残っているその手を、閉じたり開いたりする。
「こういうのを分不相応って言うのかなぁ……」
とりあえず、彼女を見送った僕は自席に座る……鞄を置いて……さて……ここからどうしたものか。
僕は周囲をさりげなく見る。
先に教室にいた好奇の視線を僕等に向けていた数人が、何かを聞きたそうにそわそわしているのが良く分かった……。僕の周りに群がるまで、おそらく数分とかからないだろう。
その数人に対する質問の内容は想像がつくが……さて、どう返した物か……そもそも、七海さんが戻ってくるまで僕は生きていられるのか……。それが問題だ。
そして最初の一人が僕の席に来て……二人目が来て……顔と名前の一致しないクラスメートが次々と僕の周りに群がり質問と言う名の矢を僕に飛ばしてくる。
質問は異口同音に「なんでお前が七海さんと手を繋いで教室に?」と言うことだ。皆が皆、その答えを知りたがって僕に群がっている。
正直……その質問の答えは僕が一番知りたいものなのだが……。とりあえず、僕は正直に彼等に告げる。
「僕と七海さん……お付き合いすることになったんだ。それで……」
「嘘だー!!」
……信じて貰えなかった。いや、それはどちらかと言うと信じたくない叫びの様にも聞こえた。僕みたいな陰キャなんかが彼女と付き合ってるとか信じて貰えないよね、普通は……。
あぁ、また「なんか」って付けちゃった……七海さんに注意されたのに……。まぁ、いきなりは無理だけど……これから徐々にこの辺は改善していこう。
それから僕は七海さん達が戻ってくるまで質問攻めにあった。教室には徐々に人が増えていき、それに合わせて僕の周りの人数も増えていく……質問内容はやっぱり一緒だけど。
質問への答えに四苦八苦していると、その人だかりが突然に割れる。
まるでモーセの十戒の一場面の様に、人垣が割れて……そこに見えたのは七海さんと初美さんと歩さんの三人だ。
おぉ、まるで映画のワンシーンの様に割れた人垣を颯爽と歩く三人……その格好良さに僕は思わず見惚れる。そして三人が僕の目の前に立つと、全員の質問対象が僕から七海さんに移る。
「ねぇねぇ、なんで簾舞と手を繋いで来たのさ? なんかそう言う遊び?」
「ん? 私が昨日、陽信に告白して付き合い始めたからだけど? 彼氏と手を繋ぐって普通でしょ?」
あっさり言ってのける七海さんの言葉に、周囲は目を丸くする。男子はその目を絶望に染め、膝から崩れ落ちる者までいた。女子は女子で僕と七海さんを交互に見て信じられないという顔をしている。
……さっきまで僕が何を言っても信じられなかったのに、七海さんからだとあっさり信じられるのか……凄いな、カースト上位の影響力。
「ほらほら、あんたら散った散った。付き合い始めの男女なんだから見守ってやんな」
「そーだよーそーだよー。ほらほら、二人にさせてあげなー」
「あぁ、ありがとう……えーっと……初美さんと、歩さん……だっけ?」
彼女達の一言で渋々ながらも皆がそれぞれ自席に戻って行く。僕は彼女達にお礼を言うのだが、僕の言葉を聞いた七海さんがまた頬を膨らませた。
あれ、僕なんか怒らせるようなこと言った?
「……なんで初美と歩の二人はいきなり名前呼びなの? 私の事は最初、苗字呼びだったくせに……」
「あ、いや……それはその……」
……七海さん、拗ねてる。
いや、名前知らないだけで、さっき知った名前を口にしただけなんです。別に他意はないんですよ。そんな可愛い拗ね方されると、ちょっと僕はどう反応して良いか……。
「アハハハハハ、仕方ないよ七海。簾舞とアタシら接点なかったし、単に名前知らないだけでしょ。アタシは
「ウチはー、
「あ、うん、そうなんだよ……ありがとう。よろしく、音更さんに、神恵内さん」
助け舟を出してくれた二人にお礼を言いつつ、僕は二人を名字で改めて呼び直す。
すると、頬を膨らませていた七海さんの機嫌は直ったようで、笑顔を僕に向けてくれた。それから彼女は一回深呼吸する。
「陽信、今日のお昼ってどうするの?」
「お昼? 僕はいつも学食だけど……適当にパンとか食べたり……」
「私さ……陽信の分もお弁当作ってきたんだ……だからさ……良かったらなんだけど……その……一緒に食べない?」
「……喜んで」
教室中の視線を集める中で言われた思わぬお昼のお誘いに、僕はそう返すので精いっぱいだった。それと同時に、昨日と違う少し大きめの鞄を持っていたのは腑に落ちたのだが……。
これ、罰ゲームの告白からのお付き合いだよね? 七海さん、本気過ぎない?
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