第7話「初待ち合わせ」
その日の僕は、いつも以上に寝不足だった。いつも割と寝不足気味ではあるのだが、今日は輪をかけて寝不足で、その理由はいつもと全く異なる。
今日は、僕が生まれて初めて女子と待ち合わせをするという日なのだ。
それがたとえ罰ゲームの結果だとしても、僕にとって生まれて初めての女子との待ち合わせだ。浮足立っても仕方ないと言うものだ。
バロンさんからは7時には着くように……と言われたのだが僕はそれよりも早く待ち合わせ場所に着こうとしていた。眠れなくて起きてしまったので、ほぼ始発に乗り、現在時刻は6時半……。
母さんには、学校でちょっと用事があってと適当に言ってごかまして出てきた。まさか女子と待ち合わせしてるからとはなんだか気恥ずかしくて言えなかったのだ。
この分だと予定より1時間も早く待ち合わせ場所に着きそうだ。まぁ、遅刻するよりは大分マシだし、待っている間はソシャゲで時間を潰しておこう。
僕はそんなことを考えていたのだが……予想外の事態に困惑した。
彼女……七海さんは、待ち合わせの時間まで1時間も早いというのに、僕なんかよりも早く待ち合わせ場所に着いていた。一人佇むその姿も華があると言うか……朝だからまだ人数は少ないが、道行く男性は一回は彼女に視線を送っていた。
あれ? 僕、待ち合わせ時間を間違えたかな?
……いや、スマホの時間は6時半、彼女からのメッセージは7時半だ……僕は間違っていないし、時空も歪んでなんかいない……。時間は正確だ。
え? なんでこんなに早くいるの?
困惑する僕だったが、ともあれ彼女を待たせるのは本意ではない。バロンさんも言っていたじゃないか、遅刻は相手を軽んじていると思われると。
いや、これは決して遅刻ではないけれど……見つけてしまった以上は彼女を待たせるのは申し訳ない。
彼女の姿を見つけて焦った僕は、小走りで彼女に駆け寄る。
僕が駆け寄る際に、一瞬だけ彼女は自身に近寄ってくる存在に怯えたように身を竦ませたのだが、それが僕だと分かるとホッと安堵の表情を浮かべて笑顔を僕に向ける。
「七海さん、ごめん。待たせちゃった? 待ち合わせは7時半だって聞いてたけど……もしかして待ち合わせ時間、間違えてた?」
「ううん、間違えて無いよ。私がちょっと早く着いちゃっただけで……おはよう、陽信」
「あ……おはよう、七海さん」
どうやら時間は間違えていなかったようだ。早く着いてしまったとは……早すぎないだろうか。笑顔で僕に朝の挨拶をしてくれた彼女に、僕も挨拶をし返す。
……まさか僕の人生にこんな風に、女の子と挨拶をするときが訪れるとは思っていなかった。
彼女はいつもの制服姿に、昨日よりちょっと大きめの肩掛け鞄をかけていた。昨日の帰りはもう少しコンパクトな鞄だった気がするのだが、女子らしく気分で変えているのだろうか?
……僕、昨日この子に告白されたんだよな。罰ゲームとは言え……。一日たって改めて彼女の事を見ても、なんだか信じられない気分だ。
「でも、私も早く着いたけど、陽信も早いよね。私はちょっと、やることがあったから早起きしちゃったんだけど……」
彼女の一言で僕は現実に引き戻された。……どうしようか、ここは素直に言っておこうか。と言うか、変なごまかしの言葉を言ってもここは特に意味は無いし。
「あぁ、ごめん……女の子と待ち合わせなんて初めてだから緊張してよく眠れなくてさ……早く起きちゃったんだけど……良かったよ、七海さんを待たせなくてすんで」
「ふーん……そうなんだ。そんな気にしなくていいのに……でも、そうだね、そのおかげで今日は早く会えたんなら、良かったよね」
そっけない言葉とは裏腹に、彼女の顔には笑顔が浮かんでいた。早く会えて嬉しいと言わんばかりの笑顔に僕はちょっと困惑する。いや、僕も早く会えて嬉しいんだけど……。
むしろ彼女にしてみれば、罰ゲームで付き合うことになった僕なんかとはそんなに長く一緒に居たくないのではないだろうか?
女心は分からない……と思いつつ彼女の顔を見ると……彼女の髪型が昨日と違うことに僕は気づいた。昨日はストレートだったのに、今日は髪の毛を編み込んでいる。
そういえばバロンさんが言っていたな……
『いいかいキャニオンくん、彼女に些細な変化があったら必ずそれを褒めるようにするんだよ。君の彼女がモテる女性と言う事は、きっと彼女は日々の努力を欠かしていないと思うんだ。だから単純に可愛いという言い方じゃなくて……髪型が変わったならその髪型も似合ってるねとか、そう言う具体的な褒め方をするんだよ』
『それもネットの受け売りですか?』
『もちろん。僕はむしろ気づかなくて怒られるタイプだし、社会人だと下手したらセクハラ案件だからね。仮でも彼女相手だからできる芸当だよ』
うん、ネットの受け売りとは言え褒めるのは重要な事だ。鞄が違う事は誉め言葉が浮かばないから……せめて髪型の事だけでも褒めておこう。
……これで好感度は稼げるのか……賭けではあるが……いや、ここは褒めておこう。褒められて嬉しくない人なんていないと信じておこう。
「七海さん、今日は髪の毛を編み込みにしてるんだね。えーっと……その髪型も似合ってて……その……か……かわ……似合ってるね」
……ダメでした。僕に可愛いって言う言葉はハードルが高すぎて口から出すことができませんでした。似合ってるがせいぜい言える限界値です。
仕方ないよね……うん……可愛いってさらっと言える人はどういう精神構造してるんだろうか。誰か教えて欲しい。バロンさんにその辺を今日聞いてみよう。
「に……似合ってるかな? そう……良かった、似合ってたなら良かった……。陽信の為にこの髪型にしてみたんだよね」
「うん、似合って……え? 僕のために……?」
「ほら、陽信のメッセージアプリのアイコンって、この髪型の女の子キャラの絵だったじゃない。だから、こういう髪型が好きなのかなって思って」
僕はその一言に背筋がゾクリと冷えてしまった。
しまった! 女子と連絡先を交換したというのにアイコンを女の子キャラにしたままだった! しかもキャラクターは僕が好きなソシャゲの女の子だ!
そもそも連絡先を交換する相手が少ないし、相手は男連中しかいないから気にしてなかったけど……こんなことならもうちょっと無難なものに変えておけば……。
「ちょっと、いきなり絶望的な顔しないでよ。別にいいじゃないアニメのアイコン。今時、珍しくないでしょ。私もアニメの映画とか見に行くわよ。好きなら良いじゃないの」
僕の目の前に天使が居た。
そもそも僕の好きなキャラの髪型にしてきてくれた時点で、理解は示してくれていたのだろう。僕が早合点して、勝手に絶望的な気分になっていただけで、彼女は気にしていないのだ。
……なんていい娘なんだろうか。
「好きなんでしょ、この髪型。どう、可愛い?」
彼女は編み込み部分をほんのちょっとだけ指でつまんで、僕に首を傾げながら問いかけてくる。
ここまでしてくれた彼女に対して、僕はここでその一言を口にするのを躊躇うのか? いや、そんなことはできない。陰キャとは言え矜持はあるのだ。礼には礼で返す必要がある。
ここは現実ではなく、ソシャゲのチャット場だと思い込め、チャットになら今回の新キャラ可愛いよなと書けるんだ。これはその延長線上だと思え僕、だから……言うんだ!
「……う……うん……可愛いよ七海さん。その髪型、似合ってて可愛い」
言った!! 言ってやったぞ!! 先ほどは躊躇った言葉を僕は言った!! だけど消耗が激しすぎる。これだけで今日一日のスタミナを使い切った気分だ……早く回復アイテムで回復……いや、違う。ソシャゲじゃないんだから戻って来い僕。
戻ってきた僕が見たのは、真っ赤になって昨日も見せてくれた華の様な笑顔を見せる彼女の姿だった。喜んでくれたのか、その場でちょっとだけもじもじとしている。
……これ、回復アイテム要らないな……見ただけでスタミナが一気に満タンになった気分だ。
そんなやり取りとしていると、時間がちょうど7時になった。予定よりは三十分ほど早いが、これ以上立ち話するのもなんだし僕等は一緒に登校することにした。
僕は彼女と一緒に歩き出そうとしたところで……彼女は僕に対して右手を差し出してきた。
「ん……」
「へ?」
手を差し出して、一言だけ言う彼女の行動の意味が僕には理解できなかった。
あぁ、これはあれかな? 彼女料を払えってことかな?
そうだよね、こんなに色々してくれたんだもん、課金が発生するのは当然だよね。無課金で楽しもうなんて虫が良い話だ。十連ガチャ一回分くらいで良いのかな……。
いや違う、ソシャゲと混同するな僕。それに僕は基本的に無課金プレイだろうが。
ごそごそ財布を探して取り出そうとした僕は、我に返り彼女の目を見る。僕の視線と彼女の視線が交差すると、彼女は少しだけ頬を染めてから口を開く。
「付き合ってるんだからさ……手を繋いで学校行こうよ。それともさ、私と手を繋ぐのって……嫌……かな?」
「嫌じゃないです」
即答である。こんなの即答しないやつがいるのだろうか。
上目使いで小首を傾げた彼女の言葉を聞いた僕は、咄嗟に自分の右手で彼女の右手を握り返す。
……うん、これは握手だね。昨日もしたやつだ。慌てすぎた。
そんな僕の行動がおかしかったのか、彼女はプッと吹き出してから笑い出した。
「アハハハッ、これじゃあ昨日の握手と一緒じゃない。さすがに握手しながらだと学校行けないよ」
「うん、そうだね……えっと……こっちかな」
僕は改めて左手で彼女の手を握り返す。昨日も思ったが、柔らかく小さな手だ。朝から待っていたせいかほんの少しだけ冷たいのが昨日との違いか。
「何か照れるね、こういうの」
はにかんだ笑顔を僕に向ける彼女の顔は赤くなっていた。僕もそこでやっと、女の子と手を繋いでいるんだという事実に気付いて赤くなる。
……どうしましょう、バロンさん。目標がいきなり達成されてしまいました。
僕は昨日アドバイスと目標をくれたバロンさんに、心の中だけで報告するのだった。
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