第4話「告白への返事」
「……あれ、ここは……保健室?」
目覚めると、見知らぬ天井……では無かった。そこは保健室の天井で、見た事のある天井だった。だから、場所を把握できたのだが……。
なんで僕、保健室にいるんだろう?
えっと……確か……七海さんに呼び出されて……罰ゲームの告白を受けて……あぁ、そうか。なんかバケツが落ちてきて……。
「簾舞!? 気がついた!!」
僕が思考していたところで、横から女の子の声が聞こえてきた。僕を呼び出した女の子の声……七海さんの声だ……あぁ、彼女が僕を保健室に運んでくれたのかな?
「あぁ、うん……茨戸さんが僕を保健室に運んでくれたの? ありがとう……結構重かったでしょ僕?」
「良かった……気がついてくれた……良かったよぉ……」
僕の言葉には返答せずに、彼女は涙を流しながら僕が起きたことを喜んでくれている。
心配させてしまったようで申し訳なくなると同時に、僕の様な男が彼女に心配されているという事が少し嬉しくなってしまう。
……まぁ、僕の事は良いや。とりあえず彼女はいつもの制服姿で、着替えた様子は無かった。
「えっと、茨戸さんは服が汚れたり怪我したりしてない?」
「うん……簾舞のおかげで私は平気だよ……って私の事は良いの!! 簾舞は大丈夫なの?! 血がいっぱい出てたし、汚れた水でばい菌入ったりしてない? 気分とか悪くない?」
そんなに血が出ていたのだろうか? 治療されたからか特に痛みは無いし……頭からの出血は派手に見えるって言うからそのせいじゃないかな?
今は特に痛みも無いし、気分も悪くない……身体を起き上がらせても大丈夫そうだ。
「僕は大丈夫だよ。でも良かったよ、茨戸さんに怪我が無くて」
ベッドの上で上半身を起こしながら僕は茨戸さんに笑顔を向けたのだが、彼女は僕から顔を逸らして真横を向いてしまった。あれ? 何か怒らせてしまっただろうか? 別に怒る要素は無かったと思うんだけど……。
「……あの……ちょっと……簾舞……寝ててもらえるかな……その方がちょっと……私としては……嬉しいかな……」
彼女は顔を赤くしながらチラチラと横目で僕の方を見る。何か変だと思い僕は自身の身体を見ると……僕は上半身には何も着て居なかったのだ。裸だ。裸で寝ていた。
上半身だけとはいえ、初めて女子に裸を見られたことで僕の顔も見る見るうちに熱を帯びていく。
「ご……ごめん!! お見苦しいものを……!!」
「い……いや、えっと……意外と簾舞って筋肉あるんだね……細マッチョってやつ……? あッ……いや、じっくり見たわけじゃ無いからね?!」
友達と遊ぶことがあまりなく、家でソシャゲか筋トレしかしていなかったので割と僕の身体には筋肉がついている。
……実用性は全くないが、初めてそれを見られた恥ずかしさと、僕の身体を見てしまったことを白状した七海さんはお互いに黙りこくってしまう。
しばらく、気まずい沈黙が流れるのだが……その沈黙を破ったのは保健室の先生だった。
「おやおや、お互いに真っ赤になってどうしたのかね? まさか保健室を逢引場に使っていたとか無いだろうね? ほら、男子生徒君、君の着替えを持ってきたよ。汚れてた制服はまとめといたので、クリーニングに出すか自分で手洗いしたまえ」
どうやら着替えを持ってきてくれたようで、沈黙が破られてホッとして僕はその着替えを受け取り、僕が着替えるために七海さんがその場から一時的に立ち去った。
着替えも学校指定の制服で、こういう時の為に常備しているのだろうか? ともあれ、一人だけ体操服で登下校するとか、授業を受けるとかせずにすみそうで助かった。
僕がその服に袖を通している間に、先生は事のあらましを教えてくれた。
どうやら僕は、倒れた後は七海さんが呼んでくれた男性教諭によって保健室に運ばれたようだった。頭を打ったから下手に運べないし、自分だけでは無理だと判断した彼女は、脇目もふらずに職員室に飛び込んだそうだ。
結構冷静だね、七海さん。僕が逆の立場なら慌てて自分で運ぼうとしちゃうよ。
誰が窓から汚水を捨てたのかは結局わからずじまいだ……監視カメラも無いし分かることは無いだろう。まぁ、その辺はどうでもいいか。
「女子生徒ちゃんに感謝しなよ。君が保健室に運ばれてからもずっと付きっきりで、君の事を見てたんだ。いいねぇ、若い子は。青春だね」
そんなことを言われると自然と頬が熱くなる。とりあえず僕はその言葉には反応せずに黙々と着替えをし続けることを選択した。
「あぁ、頭の怪我は大したことなかったけど、切れてた部分は治療しといたよ。気分は悪くない? 痛みが継続しているとか……ふらつくとか……少しでも違和感を感じたら、明日にでも病院に行くことを勧めるよ」
着替え終わった僕は、頭部にガーゼが付けられていることに気がついた。だけどそれ以外には特に痛みも吐き気も、気分の悪さも無い。意識もはっきりしているし……。たぶん、病院に行かなくても大丈夫だろう。
「女子生徒ちゃん、彼氏君の着替えが終わったみたいだから来ていいよ。しかし君はあれだね、見た目に反して初心だねぇ。上半身程度で真っ赤になるとか」
僕の着替えが終わったタイミングで先生は七海さんを呼び、入れ替わるように出ていった。いや、彼氏では……あれ、罰ゲームとは言え告白されたし、僕はそう言う立場になるんだろうか?
「……簾舞……大丈夫?」
「あぁ、うん。茨戸さん、大丈夫だよ。先生呼んでくれたんだってね、ありがとう。助かったよ」
「私の方こそ……ありがとうね……守ってくれて」
守る? 単にバケツとぶちまけられた水から庇っただけだし、そんなに大げさな物じゃないんだけど……そう言われると少し照れ臭いな。
僕たち二人の間に、妙な沈黙が流れる。えっと……こんな時は何を話せばいいんだっけ……バロンさんのアドバイスを思い出せ……。
「……返事……」
「へ?」
僕が昨日のアドバイスを必死に思い出そうとして、こういう時の話はアドバイスに一切無かったことに思い至っていると、七海さんはぽつりと返事と呟いていた。……返事?
「私……さ……簾舞に告白……したんだよ……ね……それでさ……その返事が……欲しいかなって……えっと……うん……そう思うんだけど……覚えてる?」
……あぁ、そうだ。僕は返事する前に彼女に駆け寄ったから、その事を何も言ってなかったんだ。返事を受けるという事を前提に考えてたからすっかり忘れていた……頭を打ったから一時的に混乱していたのだろう。
彼女を見ると不安そうにもじもじとして、下を向いている。見た目は派手なギャル系だというのに、そう言う姿はまるで大人しい女の子のようだ。もしかして、こっちが素なのだろうか?
えっと……確かバロンさんが言ってたっけ……返事をする時は相手の目を真っ直ぐに見て……彼女の目を……目を見る……。少し照れ臭い……勇気を出せ、僕。
「うん……なんで僕なのか分からないけど……僕なんかで良ければ……これからよろしくね、茨戸さん」
僕の言葉に、不安気だった彼女の顔が一転して笑顔になる。こういうのを、華の様な笑顔と言うのだろうか。いや、まるでこれは大輪の華だ。演技なのかもしれないが、この笑顔が見られただけでも収穫だ。
だけど彼女はその笑顔を少しだけ陰らせ、ほんの少しだけ頬を膨らませた後に……また小さく呟いた。
「七海……」
「え?」
「これから付き合うんだしさ……七海って呼んでよ……私も名前で……陽信って呼ぶからさ……」
上目遣いでそんな可愛い事を言われたら、男なら絶対に従うだろうという仕草だ。非常にあざといと言うか、反則的な可愛さだ。心の中だけで七海さんって呼んでたけど……これから僕はそれを口にするのか。
「えっと……うん……わかったよ……よろしくね、七海さん」
「……うん、よろしくね陽信」
僕は彼女に右手を差し出す。これはバロンさんからのアドバイスには無かったものなのだが、なんとなく僕は右手を出して握手を求めることにした。
彼女は少しだけ躊躇いがちだったけど、僕の手を握り返してくれた。初めて触る女の子の手は柔らかく温かく……とても小さかった。
「なんだ、まだ彼氏彼女じゃなかったのかい。いやー、いーもんみたわー。青春だねー。おめでとう、男子生徒君、女子生徒ちゃんー。あ、だけど高校生らしいお付き合いを心がけなよ? やるときは絶対に避妊することね?」
覗き込んできた保健室の先生の言葉を聞いた僕等は、慌てて握手していた手を離す。彼女の顔は真っ赤になっており、僕の顔も先生の言葉で赤くなってしまう。
「先生……そこはそもそもやることを咎める場面なんじゃないですか?」
「逆だよ男子生徒君。高校生だからこそ正しい性教育をしておかなければならないんだ、やるなと言えばやりたくなるのが思春期だろう?」
僕の抗議の声に涼しい顔で先生は答えてくる。……まぁ、一ヵ月限定の僕と彼女がそう言う事になる可能性は限りなく低いが、大人からの忠告は素直に聞いておこう。バロンさんのアドバイス同様、これも心に留めておこう。
それから、問題が無くなった僕等は一緒に帰宅をした。
一緒に帰宅しているのだが、七海さんはなんだか口数が少なかった。僕もこういう時に何を話せばいいのかわからなかったので、バロンさんからこういう時の話題の作り方を聞いておけばよかったと後悔する。
ただ、七海さんから僕の連絡先交換を提案されたのは意外だった。てっきり僕から言わないと交換してくれないと思っていたのに……。交換した時の彼女は妙に嬉しそうだった。
罰ゲームなんだから、もっと嫌々に交換するかと思っていたのに……。女心は分からないなぁ。これが演技なら、彼女はすぐにでも女優として食っていける気がする。
僕等は途中の駅で別れてしまうので、最後まで一緒と言うわけにはいかなかったのだが……別れ際に僕は彼女に「また明日、七海さん」とだけ伝える。
僕の気のせいだろうけど、その時の彼女の表情は、なんだか妙に名残惜しそうに見えた。
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