第3話「罰ゲーム執行」

「ねぇ……簾舞みすまい……今日の放課後、時間もらえる?」


「あぁ、うん……茨戸ばらとさん……大丈夫だよ」


「ありがと……んじゃ、放課後ね……」


 早朝のまだ生徒がほとんどいない教室で、僕は七海さんにそれだけを告げられると……彼女はさっさと友達二人の所に戻って行った。遅刻が嫌なので僕は割と早く教室に来るのだけど、今日は彼女達も同じくらい早く登校していた。


 もしかしたら、騒ぎにならないように早朝を選んだのかもしれない。友達二人は不自然なほどに僕に視線を送ることは無く、七海さんの背中をさすったり、「がんばった……がんばったよ……」と励ましている声が聞こえてきた。


 ……そう言えば僕、喋る時は苗字で呼んでるくせに心の中では七海さんて呼んでるな。まぁ、良いか。


 それから僕と彼女の接点は放課後まで一切無かった。僕は数少ない友人達と一緒に過ごし、彼女は彼女で友達やクラスの陽キャ達と一緒に居たのだ。


 だけど、完全に意識しないというのは無理で時々僕は彼女をチラチラと見てしまっていた。それは彼女もそうなのか、僕と彼女の視線が合うタイミングが時々あった。


 その度に彼女は、慌てて顔を逸らすのだが……これ、罰ゲームだって知らなかったら勘違いしてたな……。


 彼女はきっと緊張しているんだろう、僕も緊張しているが……昨日バロンさんから色々とアドバイスを受けたおかげなのか幾分か冷静になれていた。


 そして……あっという間に放課後になる。


「簾舞、お待たせ……じゃあちょっとさ、一緒に来てくれるかな……」


 誰も居なくなった放課後の教室に、僕と七海さんの二人だけになる。彼女の友達もここにはいない。罰ゲームだというからてっきりここで告白するのかと思いきや、どうやら場所を変える様だ。


 お互いに言葉は無く、僕はただ黙って彼女の後を付いて行く。


 ……いかん、冷静になっていたはずなのに付いて行くたびに徐々に緊張してきた。あと、彼女が歩くたびにお尻を振るから視線がそっちに……ダメだ……いけない。昨日、バロンさんに言われたことを思い出せ。


『いいかい、女性って言うのは男性が思っている以上に視線に敏感だ。告白を受ける時だけど、ちゃんと彼女の目だけを真っ直ぐに見るんだよ。間違っても胸の谷間とか、足とか……そう言うところに視線を泳がせちゃダメだよ』


 うん、冷静に……冷静にだ……。視線は真っ直ぐ、真っ直ぐだ。


 歩き続けて辿り着いたのは校舎裏……周囲には柵があり、人の気配もなく、誰にも見られる危険性の無い場所だ。その代わり、周囲には廃材などが雑多に置かれていてそう言う意味での危険性は高そうだ。


「ここでいいかな……」


 彼女はそれだけを呟くと、立ち止まり僕の方へと向き直る。その仕草だけで僕の心臓は跳ね上がるが、あくまでも冷静にだ。これは罰ゲームの告白だ……でも、そうだと分かっていてもドキドキする。


「簾舞、来てくれてありがとね……えっと……ちょっと言いたいことがあってさ……私の言いたいこと……わかる……かな?」


 彼女は僕とだいぶ距離を取ってから話を始める。


 その距離は警戒されている距離なのか……彼女が男性に慣れていないという事の表れなのかは分からないが……僕は黙って彼女の言葉を最後まで聞いてから返答する。


「ごめん……えーっと……茨戸さんとは普段話さないしさ、なんで僕が呼ばれたかちょっと分からないんだよね……お金とかなら僕、あんまり持ってないよ?」


「カツアゲとかそう言う話じゃないよ!」


 あくまでも僕は何も知らない体で呼び出された内容を惚ける。とりあえず、上手くはぐらかせているかはわからなかったが、彼女からのツッコミを聞く限りは大丈夫そうだ。


「えっと……えっとね……あの……私……私ね……私……」


 彼女は言葉をつっかえつっかえで中々本題に入らない。その姿は、本当に今から勇気を出して告白をする女の子そのものだ。とても罰ゲームの告白とは思えない。

 嘘だと分かっててもドキドキしているが……僕は彼女の顔を真正面から見て視線をその目から外すことはしない。


 ただ、意識しようとすればするほど視線は泳ぎそうになる……確かバロンさんはそう言うときは下を見るのではなく少し上を見るように言ってたっけ……下だと彼女の身体を見るようだし、上ならそうは見られないって言う話だっけ……。上の方……上の方……。


 昨日のアドバイス通りに僕は視線を上にあげる。だから……僕がそれを見たのは偶然だった。


「私……簾舞の事が……す……す……す……す……好き……なんだよね、だからさ……付き合って……くれない……かな……」


 彼女の言葉を聞き終えるよりも早く、僕は彼女に向って駆けだしていた。家にいる時はゲームをするか、動画を見ながら筋トレするかしかしてない僕だ……この距離程度なら間に合うはず……!!


 走ったことないけど、間に合うはずだ。自分を信じろ!!


 僕が偶然見たのは、校舎の窓が開かれ、そこから覗く大きなバケツだ。掃除用に学校に常備されているバケツ。それが窓から顔を出している。

 それを見た瞬間に思い出したのだ、ここはたまに、生徒が掃除後の汚水を捨てるのを面倒くさがって窓から投げ捨てる場所だってことを。


 そして、そのバケツの下には七海さんがいる。このままでは彼女が汚水を被ってしまう。


 そう思った瞬間に、身体が思わず動いていた。


 別に怪我をするわけじゃない。このまま汚水を被ってしまうだけだ。


 罰ゲームで告白しているのだ、それくらいは当然の罰なのかもしれない。


 だけど、罰ゲームの告白とは言えあそこまで顔を真っ赤にして、つっかえつっかえ言った彼女の姿を見て……。


 演技なのかもしれないが、男性に慣れていない彼女が必死に勇気を出しているように見えた彼女が、このまま汚水を被るのは……なんだか僕が嫌だった。


「え? キャアアアァァァァァッ?!」


 彼女は悲鳴を上げるが僕は構わずに彼女の上に覆いかぶさる。良かった、間に合った!!


 僕が安堵した瞬間、僕の背中から全身に冷たい水が叩きつけられる。思ったより痛い!! 冷たいし汚いし痛い!! 制服にしみ込んだ冷たい水が一気に体温を奪っていき、身体は冷えて震えてしまう。

 掃除にこんな冷たい水を使うな!! もうちょっとぬるま湯にしろ!! いや違う、そもそも窓から捨てるな!!


「え……? え……? え?! 何これ?! 水?! なんで?!」


 困惑した彼女は、やっと現状を把握できたのか僕の下で周囲を見渡している。僕はそんな彼女を見て、地面は舗装されていないから制服の背中を汚してしまったかなとかそんな見当違いの事を考えていた。


 それから、僕が何かを言うよりも早く……頭に重たい衝撃が走った。同時に僕は視界の端にバケツを捕らえる。どうやら、悲鳴に驚いた窓から水を捨てた誰かがバケツを落としてしまったようだ。


 中には少し水が残っていて、バケツから零れた水が地面を濡らす……良かった、これが彼女に当たっていたら、怪我をしていたかもしれない。


 僕は上から七海さんの顔を見ると、その頬に赤い点が付いていた。あれ、もしかして怪我を……?


「大丈夫? 七海さん……? 怪我してない?」


「私は……大丈夫……いや、簾舞こそ大丈夫なの?!」


「僕は大丈夫だよ、ちょっと身体が濡れて冷たいくらいで……怪我は……」


「怪我してんじゃん!! 額から血が出ちゃってる!!」


 言われて僕は気づいたのだが、どうやら当たったバケツで頭を少し切ってしまったらしく、彼女の頬の赤い点は僕の血のようだ……。


「あぁ、ごめん……血で汚しちゃうといけないから……今どくね……七海さんは……濡れてない?」


「そんなことどうでも良いよ!! 簾舞こそ……」


 僕が耳にできた言葉はそこまでだった。僕は七海さんから離れて立ち上がった瞬間に、そのままグラリと身体を大きく揺らす。思ったよりもバケツの衝撃が大きかったようで……まるで立ち眩みした時の様な感覚が僕を襲う。


「簾舞!! 簾舞!!」


 最後に僕が聞いた言葉は、僕の名前を心配そうに叫ぶ彼女の声だった。

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