第27話 作戦の始まり

 遂に2時になり、緊張の授業が始まる。家を出ると、彼女から、


「頑張ってね!」


と声をかけられた。笑顔で頷くと、彼女は小走りで行ってしまう。彼女は、ターゲットの死角を突いて、俺より先に公園に侵入するので、ここでお別れなのだ。一方の俺は、今日はジョギングはせずに家からそのまま公園へ向かい、いつものベンチに座る。そう、今日は本当に一人なのだ。彼女の助けは、無い。

 彼女が無事滑り台に到着したのを遠目に確認すると、俺を見つけたターゲットが、いつも通りこちらへ近づいてくる。

 いよいよ、作戦開始だ。


「こんにちは、おじちゃん」


「こんにちは。今日はなにをしてたの?」


「今日は、縄跳びしてるの。おじちゃんもやる?」


「おじちゃんはいいよ~。運動してないから、すぐ疲れちゃうんだ」


「そっか~。でもおじちゃん、いつも走ってるじゃん。そういえば、今日は走らなくていいの?」 


「うん、実はね、今日はおじちゃんの娘を連れてきたんだ。まこちゃんと同じ、5歳の女の子だよ」


「ほんと~?!」


「うん。今、滑り台のところにいる赤いセーターを着た女の子、見える?」


俺はそう聞きながら、ターゲットの肩に軽く手を置く。こういうスキンシップも、自然にできるようになったし、ターゲットも俺を完全に信頼しているため、何の前触れが無くてもびっくりすることはない。


「うん」


「その子だ。仲良くしてくれる?」


「うん!行ってくるね!」


そう言って彼女の元へ走り出すターゲット。ここまでは順調だ。

 その後、無事接触した彼女とターゲットは、これまた予定通り2人でターゲットの母親の元へ行く。そう、ターゲットの母親は、いつも公園に来て、ベンチに座っているのだ。とは言っても、俺が座るベンチとそのベンチの間には、小高い丘のようなものがあるので、顔を見たことも、見られたこともない。

 俺は意を決して立ち上がり、荷物を持って、3人がいるベンチへ歩く。


「あ、パパだ~!」


彼女があのロリ顔とロリ声で俺に手を振る。鼻血が出そうになるのをこらえ、手を振り返し、母親に向かって軽くお辞儀をする。


「はじめまして、まなの父の、田中隆と申します」


「まな」というのは、彼女の仮名だ。まぁ、「まなみ」と「まな」なので、変わらないといえば変わらないのだが。


「はじめまして、まこの母の奥村紗枝です」


率直に、キレイな人だなぁと思った。いや、タイプとかではないのだが。互いに軽い自己紹介を終えると、彼女は、


「まこちゃん、シーソー乗ろう!」


と言って、ターゲットを連れて、走っていく。すると母親は、ベンチの右側にずれて座り直し、俺にどうぞという手振りをしたため、隣に座らせてもらう。そして母親は、俺にこう言った。


「あの、娘がいつもお世話になっております。たかし、おじ、ちゃん...?と娘が呼んでいると聞いたので、てっきり40代とか50代の方かと思ってたんですが、思ってたよりお若かったです。おいくつなんですか?」


「えと、今年で33になります」


「え?!本当ですか?20代かと思いました」


「はは、お世辞でも嬉しいです」


「いえ、お世辞なんかではなく本当に!」


「あはは、ありがとうございます。素直に喜んでおきます」


「ええ。...というか娘さん、すっごく可愛いですよね」


「まぁ、はい。妻に似て」


「あ、じゃあ奥さんもおキレイなんですね」


「ええ、すごくキレイな人でした。もういませんが」


「...えと、もしよかったらでいいんですが、それはどういう...?」


「...亡くなったんです。1年前、事故で」


「あ、そうだったんですね...ごめんなさい、私、そうとも知らずに」


「いえ、いいんです。謝らないでください。その現実を受け入れて、あの子を一人で育てることを決めたんですから」 

 

この作り話は、行為のための作戦のひとつ。彼女曰く、自分の娘を一人で他人の家に預ける(行為予定日のこと)となった場合、一番気にするのは、その家に住む子ども、ではなくその親なのだそうだ。今の状況だと、俺がその立場になるため、なんとしてでも好印象を与えなければいけない。そのために、こんな作り話をする。そしてこの後、その好感度がかなり上がるものを披露する。今になって、上手く出来るか、緊張する。

 母親と適当かつ慎重に会話を続けていると、10分程して、彼女とターゲットが戻ってきた。

 

「パパお水~」


と、軽く息が上がった感じと、自然に乱れた髪を作ってそう言う彼女に、バッグから飲料水を取り出し、渡す。もちろん、子どもが開けられないペットボトルのキャップを、さりげなく開けてから。

 その後、


「まな、髪ボサボサになってるよ~」


と言いながら、手を温めるために着けていた手袋を外し、その温かい手で彼女の前髪を頭頂部の辺りにヘアピンで固定し、おでこを出す。その後、慣れた手つきで手ぐしをし、後ろの髪を残して、右左両サイドそれぞれで三つ編みをつくる。それを後頭部辺りで合体させ、ヘアゴムで固定する。そう、俺が練習してきた技とは、「髪結び」だ。彼女が少し嬉しそうに


「ありがとう」 


と言うと、ターゲットは、


「可愛い!まこのもやって~」


と言った。狙い通りだ。俺は、


「うん、いいよ」


と言ってターゲットの髪も手ぐしする。ターゲットは、彼女とは違い、ボブなので、彼女と同じ髪型にはできない。しかし、それも踏まえて、もう一個できるものがある。ターゲットの右サイドの耳より前の髪を三つ編みにする。これだけだ。これだけで、ワンポイントになり、可愛く見える。ターゲットが、目を輝かせながら、


「ありがとう!」


と言ったので、


「どういたしまして」


と笑顔で返した。するとまた彼女の声で、子ども2人は遊具の方へ駆け出して行く。


「すみません、うちの子まで」


「いえ、全然!ボブは初めてだったので、少々不安でしたが笑」


「髪結ぶの、お上手なんですね」


よし。やはり触れてきた。これは好感触だ。


「そんなことはないですよ。あれくらいできるようにならないとなと思って、めちゃくちゃ練習したんです」


「子どものために努力して、できないことをできるようにしようとするなんて、尊敬します」


「あは、紗枝さんは本当にお世辞がお上手なんですね」


「いやですから、お世辞じゃないですよ?!」


その言葉で、2人で声をあげて笑った。彼女の計画通り、これで俺の好感度はかなり高いはずだ。一方の彼女も、ターゲットと完全に打ち解けた様子で、色々な遊具を2人で遊び回っていた。演技とはいえ、夢中で遊ぶ彼女は、可愛すぎて尊かった。

 家に帰った後、彼女に今日紗枝さんと話したことと、その間の雰囲気を簡単に説明した。すると、


「順調そうでよかったわ。実はすごく心配だったんだけど、その調子なら明日も大丈夫そうね」


と言ってくれた。そして俺が、


「先生もずいぶん楽しそうだったね」


と言うと、


「ええ、久しぶりに童心に返れたわ...って、私バリバリの童心だったわね」


と言って笑った後、


「おかげで、今日は久しぶりに眠れそうよ」


と言ったので、それは良かったと、心からそう思った。

 

 彼女のこの発言が、あの事件の始まりだったとも知らずに...

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