第10話 両雄まみえる

 トロイア王宮の御前会議に大胆にも単身乗り込んできたアキレウスに、一瞬、座は凍り付いた。

 次いで、悲鳴とも歓声ともつかないどよめきが会議場を満たした。

「アキレウスが‥‥」ヘクトール兄上が絶句する。

「アキレウス、アキレウス殿とは‥‥いったい何用じゃな?」

 われに返ったプリアモス王が、緊張でかすれた声で、アイネーアスの方に顔を向けて訊ねる。

「アキレウス殿には、じかにプリアモス王陛下にお願いのがあるとのことで、同行して参ったものです」アイネーアスが答える。

 アキレウスが床に膝を突き、王に向けてうやうやしく一礼する。

「やんごとなきプリアモス王よ。われの願いはただ一つ。ご息女ポリュクセネー姫を、ぜひともわが妻として、ミュルミドン族の国、テッサリアの正妃として迎えたく、アイネーアス殿に無理を申して参上つかまつった次第です。」

 そして、言葉を切り、息を吸い込むと続けた。「さすればわれらとトロイア王家とはもはや親族。戦う理由はありません。姫を伴いテッサリアへ引き上げましょう。そうなればほかのギリシャ勢もわれらに習い、長すぎる無益なこの戦争も、終わりを告げましょう。」

 一息に言い切ると顔をあげ、一座に素早く視線を走らせた。まるでポリュクセネーをその場に探し求めるように。

 と、視線が止まった。

「そちらは確か、カサンドラ殿‥‥」

 わたしは顔をあからめて目をそらした。

夏至げし祭のときにも奉納の舞を拝見つかまつった。ポリュクセネー姫に劣らずお美しい」

 いけない!なぜか胸が高鳴る‥‥「カサンドラ殿もどうかお口添えを」

 わたしは意を決し、アキレウスの意向を受けて口をひらこうとした、その刹那せつな

「アキレウスよ、帰っていただこうかな」

 大音声が会議場に鳴り響いた。キッとして声の方を向くアキレウス。「ヘクトールか、なにゆえだ」

「ポリュクセネーはわが最愛の妹にしてトロイアの宝玉。あんな、テッサリアのような蛮地にやるわけにはいかん」

「そうじゃ、アキレウス殿。あそこにはキュクロプスとかいう一つ目の巨人がいて、若い娘をさらっては食らうというではないか」

 プリアモス王がたたみかける。

「ヘクトール殿!国王陛下!」アイネーアスが声を振り絞るようにして二人を諫めにかかる。

「ヘクトール、貴殿は‥‥」

 アキレウスの顔が怒りで朱に染まる。「このアキレウスを敵に回して無事に済むとおもうのか」

「フン、アキレウスよ。貴殿とはいちど手合わせしたたであろうが。あの時は私が押していたぞ」

「もう一度まみえればわれが勝つぞ。そう思ったからこそ、あれ以来、われの前には姿を現わさないのではないか、ヘクトール殿」

「何をいうか、アキレウス。姿を見せないのは貴殿の方ではないか。いつもアガメムノンと仲たがいしたとかいうが、陣屋の奥にひっこんで昼寝でもしているのかな」

「なんだと!」

「ヘクトール兄上、おやめください!アキレウスさまも‥‥」

 たまりかねて二人の間に割って入る。「アキレウス様、ヘクトール兄上はこのカサンドラが、必ず説き伏せてみせます」

「カサンドラ殿‥‥」感謝の眼差しを一瞬向けると、アキレウスは正面、プリアモス王の王座に向き直った。

「あと三日で休戦期間が終わる。されどわれは更に一週間、返答を待ち戦場に出ることを控えましょう。もしそれでも色よい返事が貰えないとなったら、そのときはトロイアの運命は窮まると思召されよ」

 言い放つと、頭巾を目深にかぶり直し、靴音を響かせて会議場を出て行ったのだった。

 アイネーアスが慌てて後を追う。

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