第6話 ギリシャ軍の侵攻・アキレウス登場

 ギリシャ側の12人の使者は、半数が斬首され、残りの半数は一個ずつ仲間の首を渡されて追い返された。

 一年後、塔の部屋で見た夢の通りのことが起こった。


 水平線いっぱいを帆影が埋め尽くして、みるみる近づくと千を数えるギリシャの軍船になった。一隻ごとに百の兵士がひしめいていて、全部で十万の、見たことも聞いたこともない大軍が、津波のようにトロイアの都めがけて進軍してきた。

 先頭に立つのは、銀色の鎧兜よろいかぶとに身を固めた、まだ若い、アエネーアスと同じ年頃の戦士だった。

 城壁に立って見ていたわたしの脳裏に、記憶の奥底に、うごめくものがあった。

「アキレウス‥‥」

「アキレウス。ではあれが噂の、不死身の勇士、アキレウスなのですか」並んでみていたマルペッサが呻くようにいった。

「そう。いつか夢で見たのだわ。生まれた時に母なる女神テテュスによって黄泉に付けられて不死身になったという、恐ろしい戦士。いつかヘクトール兄さまも、アキレウスに倒されてしまう‥‥」

「まさか、ヘクトール様に限ってそんなことは‥‥」

 若いギリシャの戦士が、何ごとかを叫んだ。どうやらトロイア第一の戦士との、一騎打ちを望んでいるらしかった。

 トロイア第一といえば、ヘクトール兄上ではないか‥‥。

「いけない、ヘクトール兄さま、出てはいけな~い!」

 思わず喉を突いて出たわたしの叫びは、けれど、たちまち強い浜風にかき消された。

 夜明け前、ギリシャの艦隊が近づいてくるという知らせを受けて、ヘクトールは出陣すべくアポロンの神殿を訪れ、このわたしから勝利祈願の盃を授かっていた。だからアポロンの巫女の立場としては、ヘクトール兄上の勝利をひたすら祈願しなければならないはずだった。

 けれども、黒雲のように胸を覆う不安と恐怖は払いのけようがなかった。


 ヘクトールが城門を開いて現われた。三頭の獅子をあしらった盾を手にして。

 歓声が、城壁の上を埋め尽くした女たちから沸き上がった。

「ヘクトールさまアー!」

「ヘクトールさま、負けないでぇー!」

 二人の戦士はお互いに朗々たる声で名乗り合うと、右手に槍、左手に盾を構えて激突した。

 わたしはアポロンの加護を念じつつ思わず目を閉じる。

「カサンドラさま、ほら、見て、ヘクトール様が押してる!」

 マルペッサの声に目をひらくと、たしかに、お互いに槍を盾で受けるたびに、アキレウスがジリジリと後退し、その分だけヘクトールが少しずつ前進しているように見えた。

「さすが無敗の英雄、われらがヘクトールさまだわ!」

 二人の戦士の姿が、いつのまにか城門から離れた。と、その時ー-

 アキレウスの背後のギリシャの軍勢から、一団の兵士の群れが押し出してきてヘクトールを囲む勢い。

 アキレウスが何か叫んだ。きっと、手出しするな!といったのだろう。

 すると城門からもトロイア方の軍勢が押し出してゆく。先頭に立つのはヘクトールの副将、アエネーアス。

 あとは乱戦だった。二人の勇士の姿も、兵士の群れの中に没して見えない。

 戦いがやんだのは日没を迎える頃だった。

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