第5話 塔の部屋、くりかえされる凶夢

「もう、プリアモス王さまったら。やんごとない最高巫女のカサンドラさまをこんなところに閉じ込めて‥‥」

 鍵を開けて入ってくるなり、円形の狭い部屋を見渡して、マルペッサは言った。

「カサンドラ。監禁の期間が過ぎた。神殿に帰っていいそうだ」

 続いて入ってきたのはアエネーアス。パリスの花嫁ヘレネ―に向かって失礼なことを叫んだ罪でわたしは7日7晩というもの、王城のはずれに立つ塔に監禁されてしまっていたのだった。

「アエネーアス、マルペッサ。ありがとう。もうお祭り騒ぎは終わったのね」

 この七日というもの、城内のどよめきは塔の上まで伝わってきていた。トロイアの第二王子パリスと世界一の美女ヘレネ―との、盛大な婚礼の祭典なのだった。

 そのあいだじゅう、お祝い気分をぶち壊しにされないよう、不吉なことばかり金切声で叫ぶ予知姫は、遠ざけられていたというわけだった。

「それにしても、プリアモス王も、ヘカベ王妃も、ヘクトール殿まで皆が皆、なんでまたカサンドラの言葉に耳を貸さないんだろう」

「それが、あの女の‥‥いえ、あのヘレネ―さまの、魔力ですわ。あのお方にうるんだ目で見つめられると、みんながみんな、メロメロになってしまうんですよ」

「アエネーアス、マルペッサ。ゆうべもわたしは夢で見たわ。水平線いっぱいを帆影ほかげが埋め尽くして、みるみる近づくと千を数えるギリシャの軍船になったの。一隻ごとに百の兵士がひしめいていて、全部で十万の、見たことも聞いたこともない大軍が、津波のようにトロイアの都を襲うのだわ‥‥」

「カサンドラさま‥‥」

「カサンドラ。安心していいよ。そんなことには絶対させないから。このアエネーアスが、何とかしてヘクトール殿を、そしてプリアモス王を説きふせて、ヘレネ―を返すようにさせて見せるから‥‥」

「アエネーアス、お願いね‥‥」わたしは頭一つ分だけ高い従兄の顔をみあげてにっこり笑った。何となく、希望の光が点ったようだったから。


 けれども、アエネーアスの説得工作も、遅々として進まないようだった。そして半年後には一艘の快速船が、ギリシャ側の使者を乗せてやってきた。

 ギリシャでは、ヘレネ―の正当な夫君であるスパルタ王メネラウスの兄に当たる、ミューケナイのアガメムノン王を総大将として、十万の大軍を動員したという。

 エーゲ海を挟んでトロイアと向き合っているアウリスの港には、千隻の軍船が集結し、トロイア側との交渉がうまく行かなければすぐにでも出発できるよう、準備を整えつつあるという。


 ヘレネ―を直ちに返すようにというギリシャ方の要求を受けて、王宮では連日のように主だった者の会議が開かれた。アエネーアスが要求をのむように力説し、一時は会議の趨勢はそちらに傾いたかに見えた。

 それをひっくり返したのが、パリスに伴われて出てきたヘレネ―の、涙ながらの訴えだった。

 男しか出られないはずの国の最高会議にヘレネ―が現れたと聞いてわたしは、頭に血がのぼった。

 それなら国の最高巫女の地位にあるこのカサンドラ王女こそ、出る資格があるはずではないか。

 わたしはマルペッサの止めるのも聞かず、警護の兵も押しのけて会議場に入り、恐ろしい予言を叫んだ。


 結果はまたしても、王城のはずれの塔に押し込められるに終わってしまった。

 アポロン神殿の予知姫は気がふれているという風評が、決定的になったのはそれ以来だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る