第2話 アポロン神殿の予知姫

 巫女になるべくアポロン神殿に入ったのは、まだ幼なさの残る頃だった。

 王宮にいたころから、二日か三日後に起こることを、ごく些細ささいなことだけれど予言して、予知姫という異名をとっていた。

 アポロン神殿で巫女の修行を積めば、いずれは国を導く偉大な最高巫女になることはまちがいなし、と期待されたのだった。

 

 もっとも、そのうち美の女神アフロディーティに見まがうほどに美しくなると噂されていた素質を、惜しむ声もあったらしい。

 でも、神殿の最高巫女はアポロンの花嫁とも呼ばれていて、それにはトロイア王家の数ある姫君たちの中でも、カサンドラ王女こそがふさわしいというのも、衆目の一致するところだった。


「ねえ伯母上。アポロンの神様の託宣たくせんというのは、どうやっていただくのですか?」

 神殿入りして間もない頃、元・最高巫女で、今はわたしの教育係のへロフィレ伯母上に、尋ねたものだった。「元」というのは、色香が薄れたせいでアポロン神の託宣を貰えなくなり、最高巫女の位を退いたから、ということだった。

「カサンドラどの、まず斎戒さいかい沐浴して身を浄め、七日七夜夢殿に籠るのです。」

「夢殿‥‥」それは、聖域アポロン神殿のなかでも聖域といわれる、六角形の白亜の殿堂。周りを囲む広いバルコニーには、託宣を求め、トロイア国内ばかりか南はキプロス島からフェニキア、北は黒海の彼方の女戦士の国アマゾンにいたるまでの、多様な参拝の客がいつも群れているのだった。

 一般庶民の参拝者の相手をするのは下級の巫女たちだった。お布施を受けては夢殿に籠り、(あとで聞いたことだが)託宣と称して適当なことをいって、さらに多くの金品を巻き上げていた。

 中には、託宣だけでなくからだを売ってひと財産こしらえたり、外国の貴族や富豪の夫人に納まった者もいるとか。


「そうしているうちにたいてい七日目の夜に、アポロン様が闇の中からそれは神々しいお姿を現わし、竪琴を爪弾きながら歌われるのです。その歌を記憶して隠れた意味を読み解くのが、託宣をいただくということなのです。」

「歌を‥‥」何かひっかかるものを覚えて、わたしはさらに問うた。

「でも、どうして歌なのです?」

「それは、決まってるじゃありませぬか。アポロン様は予言の神にして歌舞音曲の神でもあるのですから」

「アポロン神って、太陽の神さまじゃなかったのですか?」

「はアー?」

 ヘロフィル伯母上の瞳が、いぶかりで大きく見開かれた。「何をいうのです。太陽の神様はヘリオスさま。あんな立派なお宮が、東の森に立ってるではありませぬか」

 

 わたしはしまったと、うろたえた。ものごころついた頃からときおり夢に出てくる異国では、確かにそうなっていたのだけど。でも、それはあまり人には言わない方がいい禁断の知識‥‥

「きっとカサンドラさまは、旅の商人からでも聞いたんです。遠い異国にはそんなところもあるって」

 後ろに控えていたマルペッサが助け舟を出してくれて、その場はなんとか取り繕うことができた。

 マルペッサは乳母パルテナの娘で、わたしと同い年。世話役を兼ねて同時にアポロン神殿入りし、ともに巫女の修行を積んでいたのだった。


「マルペッサ、あなたにもアポロンさまが現れるの?」

 伯母上の部屋を出てから、わたしは聞いた。マルペッサは一足先に、夢殿に籠って託宣を受けることを許されていたのだった。

「いいえ、カサンドラさま。あたしたち中級巫女見習いの夢にあらわれるのは、十二人のムーサイのうちの誰かひとり」

「ムーサイって、音楽の女神様たちね」

「アポロンさまの代理っていうことになっていて、歌を歌って聞かせるのだけど、夢のなかではすっかり意味が分かってたはずなのに、目が覚めて少したつと、もう思いだせなくなってるんです」

「それじゃ困るんじゃないの?」

「それが、先輩の中級巫女殿に相談したら、お客には適当なことを言ってごまかしておけばいいんだって。自分たちだって、長年それでやってるからって」

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