第9話 何を読めば良いのか、という疑問に対する、僕が何を読んできたか、という言い訳
僕の読書歴も創作には意味があるのでしょう。
まずは中学生時代は「スターウォーズ」の小説をひたすら読んでいました。五十冊くらい読みましたねぇ。
その次にライトノベルが来て、スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫、電撃文庫を集中的に読みました。吉田直さん、三雲岳斗さん、三枝零一さん、甲田学人さん、志村一矢さん、清水文化さん、浅井ラボさん、十文字青さん、賀東招二さん、もっと大勢いますが、ちょっと書ききれない。
その次に来たのが一般文芸で桜庭一樹さんがこれはきっかけでしたね。タイトルを挙げると「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」です。この作品はライトノベルのレーベルで出ましたが、ほとんど一般文芸でした。のちに一般文芸の文庫、そしてハードカバーにもなりました。
何を思ったか、江國香織さんを集中的に読んだり、石田衣良さんとかも読んだりしつつ、その後にミステリの波が来て、森博嗣さん、綾辻行人さん、東野圭吾さん、松岡圭祐さんなどを読みつつ、さらにその次に来たのがSFになります。これよりかなり前に、神林長平さんの「戦闘妖精雪風」が好きでしたが、伊藤計劃さんがSFに踏み込む最大のきっかけで、藤井太洋さん、宮内悠介さんへと繋がっていきます。
これとほぼ同時に、僕の中に海外小説が入ってきて、事前にはデュマの「モンテ・クリスト伯」を読んだりしましたが、本格的には、ガルシア・マルケス、バルガス・リョサの南米の作家がまず来て、海外SFでは、ジャイムズ・ティプトリー・ジュニアとか、フィリップ・K・ディックとか、新しいところだとアーネスト・クラインが来たし、海外ミステリも、レイモンド・チャンドラーとか、最近になりますがエイドリアン・マッキンティ、ピエール・ルメートルも読みました。
流れとは全く別で、寺山修司さんもだいぶ押さえたこともあるし、シェークスピアの戯曲を読んだりもしました。戯曲といえば、エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」も読みましたね。これは良い作品。
最近では時代小説、歴史小説の波も来て、池波正太郎さんの「剣客商売」、「鬼平犯科帳」、「人斬り半次郎」辺りや、司馬遼太郎さんの「関ヶ原」、「燃えよ剣」、「国盗り物語」などを読みました。何よりも凄いのは、塩野七生さんですね。「ローマ人の物語」はすごく良かった。やや長いですが。
そんな非常な乱読の中で、これを押さえるべき、という本を選ぶとすると、東京創元社から出ている、桜庭一樹さんの読書日記のシリーズが、最適になりそうです。おそらく全四巻で、これが非常に勉強になる。僕はこの本に紹介されている本をだいぶ読んで、それで自分を鍛えた感じです。マルケスの「百年の孤独」はこの読書日記で興味を持ちました。この「百年の孤独」は、傑作ですので、ぜひ、読んでください。
作家になるために、いい作品を書くために、これを読んでおいたほうがいい、という小説は、思い返してみても、あまりありません。本の内容よりも、何を感じたかのほうが、重要じゃないでしょうか? 世の中にはテクニカルな文章を書く作家が大勢いますが、このテクニックは、個性と言ってもいいように思います。僕の感覚では、読んだ本によって僕自身の個性は変化します。桜庭一樹さんのエッセイを読めば桜庭一樹さんが乗り移ったようになるし、森博嗣さんのエッセイを読めば森博嗣さんが乗り移ったようになる。あるいはこういう、憑依からまた憑依、憑依に次ぐ憑依みたいなのを繰り返すことで、少しずつ僕の根本的な個性が、よく言えば磨かれる、悪く言えば、塗り替えられているのかもしれないと思います。
何度も書いている通り、物語を書いていく中では、世界観、登場人物、ストーリーと、とにかく新しいものを求める必要性があり、それが連想だったり、組み合わせだったりするわけですが、より多くの小説を読んでいる方が有利であるといえば有利ではある。組み合わせるピースや連想のきっかけは、世に出ている本にその断片があるからです。当然、小説には限定されません。映画、ドラマ、漫画、詩歌、もしかしたら全く名前を知らない地方営業中の売れない芸人のコントにすら、新しい何かがあるかもしれない。
僕も一時期、だいぶオリジナルにこだわりましたが、成功したかは、わかりません。今はあまり考えないですね。自信はないですが、オリジナル以外は書けない、とも感じるからです。
もしアイディアが出ないという人は、これはちょっとした僕の中の直感ですが、図書館に行ってみるといいと思います。僕は図書館で本は借りませんが、おすすめの書籍の棚を頻繁に見ます。するとちょっとしたことがきっかけになって、アイディアが湧くことがある。本といっても小説が全てではありません。むしろ、小説は基本的に拾い読みが不可能なので、このアイディア収集には向かないでしょう。歴史を解説した本やちょっとした図鑑、マイナーな新書などが、僕の中ではきっかけになります。これが僕が日頃から行っている、連想ゲームにおける、最初の一つ、巨大なドミノで最初に倒れる、小さな一枚のように感じます。
書店の利用方法は、僕にはあまり経験がなくて、地元の本屋は都会と比べると小さかったので、東京に出てみて、紀伊國屋書店とかジュンク堂とか丸善とかに接してみると、こんなに本があるのか、と驚きました。僕が書店を利用するのは最近ではもっぱら、買うものを決めて利用する、となります。あまりおおっぴらには言えませんが、新品よりもブックオフで中古を買うことが多い。そしてスマホのメモ機能の中に、欲しい本のタイトル、著者名、出版社名のメモが大量にあります。
読む本の新しいとか古いかは、あまり関係ないでしょう。古いものでも優れているものは優れています。それも評価されていなくても、忘れ去られていても、です。国内小説で例をあげれば、村上春樹さんの「1973年のピンボール」が僕はすごく好きで、この作品はいつ読んでも古びた感じはしません。古い作品といえば、たまたま知った、景山民夫さんの「虎口からの脱出」は良かった。都筑道夫さんの「未来警察殺人課」も良かったな。こういう出会いを経てくると、出版された時期とか、評価とか、あまり意味がないと実感のようなものが持てます。
小説を書くために小説を読む、ということを、僕はしたことがありません。常に面白い作品を求めている、本を読みたいだけの、飢えた動物のようなものです。本当に読書が好きなんです。なので、これを読めば書けるようになる、みたいなことはたぶん起こらなくて、それどころか、誰もが、何も本を読まなくても何かは書ける気もする。そもそも文章は小説だけじゃないとも思います。
これは統計でも取りたいですが、現代日本の教育を受けた人は、小学校とかで作文をやらされる。これが実はよくないことで、苦手意識が植え付けられてしまうのでは? と思います。僕は小説を読むようになってから、作文が好きになりました。つまり、何のインプットもないような段階で、アウトプットさせようとするのは、苦痛以外の何物でもないのでしょう。
小説を書くにあたって、近道も遠回りもなくて、まずは書けばいいと思います。僕が近道をしたのか遠回りしたかはわからないし、どちらにせよ、書かなければ、何も始まらない。もしかしたら、まだ読んでいない本で、それを読めば天啓を受けるかもしれない。でもまずは書かなくては、と思います。
では次が最終回の予定です。
次回へ続きます。
オススメ曲
Mr.Children 「Tomorrow never knows」
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