14 悪役令嬢、必死に筆を動かす
「姉さん、大丈夫? なんか疲れているように見えるけど……」
デインが顔を覗いてくる。
…………ルビーのような瞳、綺麗ねぇ。
「やっぱ、姉さん疲れてるよ。目がとろーんとしてるよ? 今にも寝そうだよ?」
午前中のスケジュールに組み込まれていたダンスのレッスンと勉強を終え、私はとデインともにアトリエへと足を運んでいた。
ここ最近は夜遅くまでアトリエで作品を作っているせいか、さすがに体に疲れが出ている。体が重い。
それでも……絵は描かないと。
私には時間がそんなにない。
閉じそうな目を無理やり開き、鉛のように重い足を動かす。
「このくらいなんともないわ」
こんなことは前世のテスト期間の時に何度も経験した。
前世での私はそこまで頭は良くなく、また勉強も進んでするタイプではなかった。だから、テスト期間中はいっつも徹夜。
夜更かしなんて慣れっこ。
アトリエの前に着くと、デインがまた声を掛けてきた。
彼の顔を見ると、不安という文字が見えるくらい心配気な顔をしていた。
私、そんなやわじゃないわ。
まぁ、疲れてはいるけど。
「……姉さん、無理はしないでよ」
「うん、大丈夫よ。デインこそ無理はしないでね」
私はデインと別れ、アトリエの部屋に入る。
いつもより椅子までの距離が長く感じたが、何とか描き途中にしている作品のところまでついた。
作品の前に置いていた丸椅子に腰を掛ける。
よっこいしょっと…………これじゃあ、おばあちゃんの体ね。
私はまだ若々しい10歳なんだから、もっとシャキッとしないと。
パンっ。
思いっきり頬を両手で叩き、背筋をピンと伸ばす。
最高の作品を作るって決めたんだ。
入学までに有名な画家になるって決めたんだ。
だから、今は絵に集中。
目の前の作品に集中。
私と向き合うキャンバスはいつもより大きく感じた。
まるで大きな壁ね。
今度、壁に絵を描いてみるのもありかも。
どこの壁がいいかしら。
訓練場の裏の壁?
いっそのこと自分で壁を作る?
……………………。
脱線していたので、首をブンブンと振って現実に目を向ける。
今は目の前の作品に集中!
集中よ、私!
すでにカラフルになっているパレットと相棒の筆を取る。
そして、私は疲れと戦いながら、キャンバスに色を乗せ始めた。
★★★★★★★★
数時間後。
窓の外はすでに暗く、月も出ていた。
部屋にはそっと青白い月明かりが入ってくる。
いつもなら寝ている時間でも、私は憑りつかれたように筆を動かし続けていた。
まだ、まだ描ける……描かないと。
ランプの明かりが私の作業場所を照らす。
絵はほとんどの場所に2層目の色が乗っていた。
油絵は水彩画などのようにすぐに乾くわけではない。
油の種類にもよるが、最低2日は置いておく必要がある。
しかし、焦って乾かさないまま色を乗せると、キャンバス上で色が混ざり、せっかく作った色が台無しになる。
油絵を描くのに慣れていない頃はキャンバスを茶色、もしくはマーブルにしてしまっていた。
今日は
だから、あとちょっと……。
少女に手を加えようとした瞬間、視界がゆがみ始めた。
世界がグルグルになっていく。
筆もうまく動かない。
妖精の少女の服に黄色の絵の具がつく。
…………あれ? なにこれ?
パタン。
その瞬間、全身に痛みが走る。
視界には床が見えていた。
持っていた筆がコロコロ転がり私から遠ざかっていく。
まだ……まだ絵を描かないと。
倒れている場合なんかじゃない。
筆を取らなきゃ。
立ち上がって…………私の体、動いて。
そう願ったが、私の意識は強制シャットダウンした。
★★★★★★★★
僕、デインは1人、廊下を歩いていた。
外を見ると、暗闇の中に青白い月が見える。
姉さんはもう寝たのだろうか?
最近の姉さんは午前中とか勉強や稽古の時間に取られて、絵を描く時間が減っていた。
だから、夜遅い時間になっても絵を描いていたのだけれど、今日は一段と疲れがあるようだった。
姉さんは心配したメイドたちに怒られて、仕方なく寝ているかもしれない。
と思いつつ心配症だから、僕は姉さんのアトリエに向かっている。
姉さんは絵に関しては命よりも大切にしているようだった。
ある時は食事もしない、僕が話しかけても反応しない。
全てを絵に捧げていた。
…………まぁ、ときおり不気味な笑い声を上げていたのだけれど。
それでも、姉さんは睡眠だけはちゃんとしていた。
本人曰く「寝てないと頭が働かない、満足する絵は描けない」だとか。
時間がより一層無くなってからは、その睡眠時間でさえ削っていたのだけど。
アトリエの前まで着くと、扉の隙間からほんのりと明かりが漏れ出していた。
やっぱ姉さん、絵を描いてる……。
反応しないと分かっていても、僕はノックして声を掛けた。
「姉さん?」
……………………。
反応はない。
想定内のことだ。
試しにもう一度姉さんを呼ぶが、もちろん返事なし。
うーん。少しくらいは反応してほしいな。
でも、姉さんはそのくらい絵に本気なんだろう。
僕は彼女の仕事を邪魔しないように、そっと扉を開ける。
部屋の中にいたのは必死に筆を動かしている姉さん…………ではなくキャンバスの前で倒れた姉さん。
描いている途中で倒れたのか、絵はぐちゃぐちゃになっていた。
丸椅子も倒れ、黄色が付いた筆も部屋の隅に転がっている。
「姉さんっ!」
僕はすぐに姉さんの方に駆け寄った。
彼女の額に手を当てると、かなりの熱。息も荒い。
姉さんを横抱きにする。
意識のない彼女の体は普段より重くなっていた。
きっと無理し過ぎたんだ。
最近の姉さんの生活はキャパオーバーだったんだ。
ぐちゃぐちゃになっていた前髪を左右に避ける。
そこには頬を真っ赤に染める姉さんの顔。
熱のせいか汗もかいているようだった。
…………僕が早く休ませておいたら、姉さんは倒れることはなかったのに。
姉さんを抱きかかえた僕はアトリエから出る。
姉さん、死なないで。
そう思いながら、急いでメイドたちを大声で呼んだ。
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