第2話 かる~くひとまぜ

 寒っ!!

 僕は思わず身体を縮めた。


 冷気が身体にまとわりついて体温が奪われていく。

 ビックリした拍子に鼻と口から大量に冷たい空気が流れ込んできた。

 あぁ、これが初めての肺呼吸……


 いま、僕は新しい世界に誕生した。


 まぶたはまだ開かないけれど、光は感じる。この明るさは朝かな? 昼かな? まぁ、日中には違いない。

 耳には水が入った感じでゴボゴボとくぐもっている。

 でも、周りの慌ただしい様子は伝わってくる。


「産まれ……た。……子です!」

「おめ……うございます!」

 うん、まだちょっと聞き取りにくいけど言葉は分かるね。

 神さま、ありがとうございます。


 僕は、約束通りの形で世界に送り込んでくれた神さまに感謝した。


 さて、これはどうかな?

 周囲の様子に意識を集中すると、頭の中に四角いマップが浮かびあがる。部屋の平面図だ。その上にいくつかの印が表示されている。

 うん、この機能もお願いした通り。


 青い丸が、1の2の…9個。赤い丸が1つ、真ん中で点滅している白い星形が僕で、それと重なるハートマークがお母さんかな? マップには総勢12人が表示されている。ただの出産にしては随分と大人数だこと。


 それと、やたらと部屋が広い……その真ん中に衝立で囲われた大きなベッドが一つ。マップ上では部屋の間仕切りや家具なんかは白い線で表示されるので、ディテールまでは分からないけど大体の様子はつかめる。


 どうやらここは病院じゃなさそうだ。

 個人宅かな? だとしたら随分と裕福な家みたい。

 産まれる場所は神さまにお任せしたので、どんな家庭環境の中に誕生したのかはまだわからない。

 むふふ、いろいろと想像しているとワクワクしてくる。


 ただ一つ気になるのは、部屋の外に赤い丸が1人、窓から中を伺う位置にいるということ。


 このマーカーの色分けは神さまが追加してくれたマップの拡張機能で、僕に害意を持っている相手は赤く表示される……らしい。


 最初は、相手の心が全て読み取れる能力を付与されそうになったけど、自分に向けられた感情が包み隠さず見えてしまうなんて……恐ろしすぎるよね。それを直視できるほどメンタル強くありませんから。

 という訳で、丁重にお断りしたらこれになった。


 あれから神さまとはいろいろと話をした。

 神さまは、自分が作った世界をかき回してほしいと言っていたけど、若い世界は適度にかき混ぜないと育たないらしい。


 神さまは、僕が持っている知識の中から一番近いイメージと言うことで、造り酒屋の大きな仕込み樽を、長い棒でかき混ぜる映像を引っ張り出してきた。昔テレビかなんかで見た映像だ。

 なんでも、お酒と一緒で適度にかき回せば熟成が進むらしい。


 そのざっくりとした説明の後で、神さまと僕は、世界をかき回すためのあれやこれやを準備した。

 僕はもちろんのこと神さまもノリノリで、その時の神さまの楽しそうな様子が忘れられない。様子と言っても声だけしか聞こえないんだけどね。


 そんなことを考えていると、周りが妙にざわざわしているのに気が付いた。思わず聞き耳を立てる……ちょっと聞き取りにくいなぁ。


 よし、集音機能を試してみよう。

 神様にお願いして、マップ上の好きな場所の音をピンポイントで聞き取ることができる機能を付けてもらった。それがさっそく役に立つよ。


 僕のそばにいる2つの青いマーカーの間をタップすると、マップ上にマイクとスピーカーのアイコンがあらわれた。

 いまは音を聞きたいだけなのでマイクの方をクリックする。


「泣かんな……」

「呼吸は……できているようですが……」


 あぁ、そうか! 泣くの忘れてた!

 みんな心配してくれているのか、ごめんなさい。

 あっ、誰かがお尻を軽くさすり始めた。

 くすぐったいからやめて、わかったから。


 でもね、赤ん坊とは言っても、ただ泣くだけが僕の仕事じゃないんですよ。

 では、初仕事。この世界をかる~くひとまぜしてみましょうか。

 記念すべき第一声は何にしようかなぁ。


『天上天下唯我独尊』なんて叫ぶと新しい宗教が起こっちゃいそうだし、もう少し軽めがいいよね……


『私には夢がある!』っていうのはどうだろ?

 なかなか期待感を煽るよね!

 でも、どんな夢? って聞かれると話が長くなっちゃうなぁ……


『ただ生きるな、善く生きよ』

 うーん、説教臭い&硬い! 少し軟らかめに振ってみようか。


『ジャスト・ドゥ・イット!』

 なんか走り出したくなっちゃう……


『真実はいつも一つ!』

 見た目は赤子、頭脳は高校生。近い! 境遇は近いけど……コレジャナイ感。


『私が来た!』

 ってのは、いきなり最強すぎるか……


『海賊王に……』

 ならない、ならない。


 あぁ、このボキャブラリーの偏り……まず神さまにお願いすべきは知能の改善だったかな? 僕、偏差値79なんだけどねぇ、これでも。


 まぁ、最初は軽いご挨拶だから内容は普通でいいか。

 産まれたばかりの赤子が言葉を話した、というだけでインパクト大だからね。


 それと、プア―な言葉は音響効果でカバーして見せるさ。

 僕は、神さまにお願いして頭の中に用意してもらった音声制御卓を前に音のイメージを練る。


 そう、音声制御卓! これは、144インプット96アウトプットの超大型ミキシング・コンソールにシンセサイザーの機能を組み合わせたようなもので、音量、音質のコントロールはもちろんのこと、マップ画面と組み合わせて空間の中にマイクとスピーカーを好きなだけセットすることができる。

 先ほど使った集音聴力もこのコントロール卓の機能の一部だ。


 つまり、マップ表示範囲内の音を好きなだけサンプリングしいの、イコライズしいの、エフェクトしいの、ミキシングしいの……特定のエリアにウルトラ・スーパーサラウンドで鳴らすことだってできるという、音厨の僕にとっては夢のようなシステムだ。


 ちなみに、ここで言うマイクとスピーカーは、音を集めるポイントと音を出すポイントを仮にこう呼んでいるだけで、実際に物があるわけじゃない。


 よし、決まった。

 僕は、やや大きめの音量に大空間の反響をシミュレートしたエフェクトを加え、そして天から降りてきた音が部屋の中をぐるりと巡って聞こえるように音場を設定した。

 では第一声……コホン。



 深いエコーをまとった清らかな赤子の声は、大聖堂に響く荘厳な聖歌のようにも聞こえた。


 その瞬間、その場が凍りついたかのように一切の動きが止まった。液体窒素もかくやと言う見事な瞬間冷凍だ。


 面白いことに、脳内マップで敵認定だった赤のマーカーが黄色に変化して、元々青かったものは更に青みを増した。


 あの一言で味方はより味方に、敵は中立になったということかな?

 うん、明らかな敵もいなくなったようだし、まずまずのインパクトも出せたよね。今日のひとまぜは終了!


 新しい人生で初の仕事を終えた僕は、お腹も空いたので、とりあえず赤ん坊らしく泣いておっぱいをねだることにした。

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