かき混ぜ棒クロニクル

ナルハヤ

第一章 僕はかき混ぜ棒

第1話 トラックとバイクと軽自動車

「へぇ、本当にあるんだ……」


 僕はそんなに驚かなかった。

 だって、よく聞く話だから。


 そのかわり、少し……

 いや、かなり……

 正直に言うと、すごくワクワクしていた。


「君はそんなに驚かないのね?」

 どこからか、穏やかな声が聞こえてきた。

 女の人の声かな? 不思議な響を持っている。


 いろんな音が混ざり合っているんだけど、それがぜんぜん嫌な感じじゃなく、そう、調和のとれた和音みたいで、思わず次の言葉を待ってしまう、そんな声だ。


 その声には少し驚きが含まれていた。

 感心しているのかも知れない。

 とにかく、僕のことに興味を持ってくれているようだ。

 

「はい、知っていますので」

「知っている? 君がここに来るのは初めてのはずだけど……」

 その声は少し戸惑いながらも楽しそうに響いた。


「わりとテンプレですよ」

「テンプレ? あぁ、そういうこと……おもしろいわ」

 一瞬、暖かいものに包まれたような感じがしたなと思ったら、声の主は納得したように呟いた。


 僕の心……というか記憶を覗いたのかな? でもいやな気はしない。

 大切に、優しく撫でられたような感じで、とても心地いい。


「君は、どうして自分がここにいるのか分かっているようね」


「はい、僕死んじゃったんですよね?」


「そう、死んじゃったわ」


「で、ここは死の世界の入り口で、あなたは神さまですよね?」


「死の世界、神……概念のずれは……そう大きくはないようだから、まぁそんなところね」

 声の主は、僕の考える神さまそのものではないにしても、ほぼ神さまで間違いないらしい。


「あの子は無事でしたか?」

 僕は、横断歩道に飛び出した子供を助けようとして車に跳ねられた。


「無事よ。もしあなたが助けなければ、あの子は命を落としていたわ」


「人を助けたからここに呼ばれた? ということですか」

 鉄板のテンプレ・シチュエーションだけど、一応確認しておかないとね。


「そうね、でもそれだけじゃないわ」


「それだけじゃない? 他に何かイイことしました?」


「イイこと? そう、イイことね、確かに。したわ」


「う~ん、何かしましたっけ?」

 暫く考えてみたが、まったく思い当たらない。

 僕は、日々善行を重ねて生きるタイプじゃなかったから……

 何か悪いことをしただろう? と訊かれれば心当たりはいくつもあるけど……

 昨夜もDTM《作曲》で夜更かししてたし、おまけに、油と塩味の誘惑に負けてポテチを一袋たべてしまった。


「君は、最後まで生きることをあきらめなかったでしょ?」


 ――ん? あぁ、そういうこと?

 自分の死の間際を思い出してみる。



◇◇◇



 僕は高校の一年生だ……

 今となっては、かな?

 少し自慢しちゃうけど、全国でも有数の進学校に通ってた。


 僕は帰宅部で、その日も終業のチャイムと同時に、お気に入りのヘッドフォンを装着して学校を飛び出した。

 授業中にすっごくいいフレーズを思いついたんだ。

 とりあえずスマホのアプリに打ち込んだけど、はやく家でアレンジしなきゃ旋律メロディーのイメージが消えてしまう。


 僕は、そのフレーズを繰り返し聞きながら、横断歩道で信号待ちをしていたんだ。すると、僕の横を小さな子供がぱたぱたと駆け抜けて車道に飛び出した。


 その子の母親だと思うけど、道路の向こう側にいる女性が両手を激しく振って、止まって! 来ちゃダメー!  と絶叫するのがヘッドフォン越しにもわかった。

 でも、その子には聞こえていなかったみたい。


 思わず後を追いかけて飛び出してしまった僕は、子供を抱え上げたところで選択を迫られた。


 迫る命の危機に頭の処理速度が引き上げられたのか、周りのすべてがスローモーションのように見える。


 右側からは地響きを立てながら迫り来る大型トラック。

 ピッカピカに磨きあげられたメッキのフロントグリルが、大きな壁のように立ちはだかる。あれに当たるとぺしゃんこだ。羽虫のようにへばりついた自分の姿が目に浮かぶ。


 僕には絵心というものがない。

 胸を張って言うことじゃないけど、断言できる。

 学校の皆からは画伯と呼ばれて、事あるごとに絵をせがまれるほどだ。

 特に受けがいいのはライオンとかキリンとか、特徴のある動物だね。

 何度描いても上達しない。それどころか、描けば描くほどにおもむきが深まっていく。どうやらそういう才能があったらしい。


 その、ある意味パワフルな画力も相まって、僕の頭に思い浮かんだ衝突の想像図は何というか……とてもヒドイものだった。

 美意識の高い僕は、当然のことながらそうはなりたくないと思う。


 トラックのすぐ横には、甲高い排気音を上げながら、ものすごい勢いでバイクが走り込んでくる。これはまた絶妙のタイミングで追い越しをかけて下さりありがとうございますと、嫌みの一つでも言いたくなる。

 おまけにこのバイク、何か嫌なことでもあったの? と、デザイナーに訊ねたくなるくらい先っぽが尖っているよ。ナイナイ、これはナイ。想像するだけで痛いや。


 残る選択肢を探してその先に目を移すと、反対車線からはかわいらしいピンクの軽自動車。全体的にまあるい形が人に優しい。うん、合格。


 ほんの少しの逡巡しゅんじゅんの後で、僕はでっかいトラックと尖ったバイクの前をかろうじて走り抜け、軽自動車の前に踏みだした。


 頭の中で繰り返されるフレーズ、あぁ、せっかくエモい旋律を思いついたのに……それに重なる母親の悲鳴とブレーキの音……


 僕は衝撃を逃がすため、少し飛び上がってボンネットに身体をあずけた。薄い鉄板がべコリと凹むのを背中に感じつつ、子供を道の端に、そっとトスをするように放り投げた。もちろん足の方から。


 僕の身体は、人に優しい形状のボンネットの上で一度跳ねて、回転しながらフロントガラスをやり過ごす。

 うまくかわせた? そう考えたとき、めまぐるしく回る視界の端に、飛び越えた軽自動車の後ろから迫る超大型トレーラーの影が映った。



◇◇◇



 これが、僕の最後の記憶だ。

 確かに、僕は死ぬ気なんてなかった。生きようとあがいた。

 最後はぺちゃんこになってしまったかもしれないけど、その瞬間まで生きたいと思った、あきらめなかった。


「そう、その思いが君をここに導いたの。とても大切なことよ。もし君があのとき諦めていたら……それでお仕舞いだったわ」


 そりゃそうか、生きる気力がないものをわざわざ呼んでも仕方がないってことだよね。


「それで、神さま。まだ生きる気満々の僕は、これからどうすればいいのですか? ここに呼ばれたってことは、何かあるんですよね?」


「フフッ、そうね。実は、君にやってもらいたいことがあるの。もちろん嫌なら断ってくれてもかまわないわ。その場合は、このまま輪廻の流れに戻って次の生を待つことになるけれど」


 このまま死ぬという選択肢はないな。

 僕はまだやりたいことが山ほどある。

 あのフレーズだって曲にできてないし。


「やってもらいたいことって何ですか?」

 僕は迷わず、訊き返した。


「私の世界をかき回してほしいの」

 そう答える神さまの声は明るく、かなり強めのエコーがかかっていた。

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