バージョン2.2 トンネル

 SSSランカーには、幾つもの特権が与えられる。便所付きの自動車・列車・ヘリコプター・ドローン・航空機・船舶などの乗り物や、都市の所有もその1つ。その代わり、所有物の便所掃除は、基本、自分でしなければならない。代わりに誰かにしてもらうことはできるが、強要することはできない。また、SSSランクを8年間維持すると、終身名誉SSSランカーとなる。



 広大な空間、清の目の前に大型バスが停まった。AIは乗り込むよう清に言った。清は素直に乗り込むと、ほんの僅かに水平方向の動きを感じた。清はそれをバスが動き出したからと勘違いした。実際は、バスは広大な空間の露面に固定されていた。左右8つずつのタイヤ全てがせり出してきた器具にしっかりとホールドされている。

 それでも清は、たしかに目的地に近付いていた。バスを載せた大型船舶が動いていたのだ。清が空港だと思っていた広大な空間は、実はこの大型船舶の甲板の一角だった。

 そんななか、清は呑気にAIとの会話を楽しんでいた。


「これって2台もあるの! すごいなぁ」

「何を寝ぼけているんですか? バスは15台、母船は今のところ1隻!」

「そっ、そんなに要らないよ!」

「そうはいきませんよ。清様が手放したら、誰が便所掃除をするんですか?」

「なるほど。217基のうちの17基は、バスと飛行機と母船ってやつにあるの?」

「違います。母船には100基の便器があります」

「そっ、そんなに……。」

「乗り物には合計で155基、都市に62基」

「なるほど。全部たすと217基だね」

「はい。最初っからそう申しております!」


 清は、合計数は聞いているが、内訳までは聞いてないよと思いながらも、AIを怒らせると面倒だと思い、放っておくことにした。清は、SSSランカーの特権について全く知らなかった。もし知っていれば自身のランクを確かめたのかもしれない。


 大型船舶は、約24kmの海上を最大船速90ノットという猛スピードで航行した。小型高速ボートでも35分の海峡を、この船はたったの10分で渡ることができる。晴香とあきは海辺の街で生まれ育った。だから岸の高台からその大型船舶が動いているのを見ただけで、その性能の高さがよく分かった。


「すっ、すごい速さ! あれだけ大きいのに」

「2隻? いや、双胴船みたい!」


 あきが言うように、大型船舶は双胴船で、その甲板は下部船体から両舷に200mも突き出ている。YKTNの住民が日常的に使っている港は河口付近にあり、吃水は約5m。それに対して大型船舶は、どう小さく見積もっても吃水40mで、もしかするとそれ以上かもしれない。そんな船が泊まれるバースはこの港にはない。


「こっちじゃない。どこに向かってる?」

「空港跡。あそこしかないわ」

「2人とも、行ってみましょう! 車」


 佐智子の問いに晴香が答えた。それを聞いたあきがAIに車の手配を依頼した。2人が空港跡と呼ぶ場所へ行くためだ。そこにはかつては2000mの滑走路を持つ空港があった。拡幅延長工事の際、空港の北東の海側が崖崩れをおこし、以来使われなくなった。その後は侵食作用により今では高さ40m足らずの崖を形成している。付近は浅瀬で100mほど沖合に出ても水深は20mほどであるが、そこから50m沖に行くと急激に深くなる。海峡を流れる潮による侵食作用が大きいからだ。


 ほどなく小型エコカーがやってきた。3人で乗り込むと、佐智子が空港跡に行くように指示した。エコカーは途中までは普通に走ったが、そのほとんどの区間、エコカーからは大型船舶が見えなかった。山肌が邪魔しているから。見えないことが3人をイラつかせた。そのイライラを紛らすように、佐智子が言った。


「一体、何がどうなって?」

「兎に角、今は急ぐのみ!」

「清くん……。」


 3人を乗せたエコカーは、遂に山肌を抜け、空港跡が目前に迫った。その頃には既に大型船舶は空港跡に横付けを開始していた。下部船体から200mも広がっている大型船舶の甲板の端は、滑走路と段差が全くない。空港は、まるで大型船舶を横付けさせるためにあるかのようでもあった。3人のいたところからは、大地が動いているようにも見えた。動いているのは、無論、大型船舶。


 不意に、エコカーが停まった。


「痛っ!」


 佐智子は前方のシートに頭をぶつけ、気紛れなエコカーを恨めしい目で見た。その刹那、轟音と共にエコカーの横を風が吹き抜けた。次いで凄まじい揺れがエコカーを襲い、エコカーをガタガタと大きく揺さぶった。大地は全く揺れていないが、空気が激しく揺れていた。晴香がエコカーから出ようと開閉ボタンを押す。だがエコカーは何も反応しない。


「駄目だ。ロックされている!」

「閉じ込められたの……。」

「なっ、何か来るっ! ミッ、ミサイル?」


 何かに気付いたあきが叫んだ。言い知れない恐怖が3人を襲った。それは清を載せたバスなのだが、あきがミサイルだと思ったのも無理はない。バスは既に最高速に達していて、地を這い真直ぐにあきたちの方へ進路をとっていた。そのときはまだ大型船舶は動いていた。清を乗せた先頭のバスの前輪よりも前の部分が甲板からはみ出て、滑走路の空中に差し掛かった。そのあとに大型船舶が完全停止して、そのあとにバスの前輪が滑走路に入った。全てAIが完璧に計算し制御しているとはいえ、もし、一瞬でも大型船舶の停止が遅れたら、バスは横転していたかもしれない。


「……。」

「……。」

「……。」


 小型エコカーの揺れは、バスが近付くにつれ大きくなった。3人には死を覚悟する暇さえなかった。バスから遠い端で身体を寄せ合い、小さくなって目を背けるのが精一杯だった。ほんの数秒のことが、1分にも2分にも感じられた。15台のバスはもの凄い勢いのまま、小型エコカーの横を2秒とかからず通り抜けた。それでもなおしばらくの間、小型エコカーは揺れ続けた。バスの進路と被らない小型エコカー内は結果的に安全だったし、小型エコカー自体が止まっていなかったら、突風に吹き飛ばされていたかもしれない。結局は、全てはAIの計算の内なのだ。

 それからしばらくして、ようやく静寂が訪れた。3人は呆然として互いに顔を見合わせた。互いの生存を確認し合うと、身体中の筋肉が弛緩して、どっと体液が吹き出し、あるいは滴った。佐智子が背後の動きに気付いてそちらを見た。今度は本当に大地が動いていた。


「うっ、うしろ! トンネル……。」


 数秒前、小型エコカーが通過したときは、トンネルなんかなかった。だが、このときはたしかにあり消えようとしていた。トンネルの蓋が地の底からせり上がっていた。その手前にはカクレミノと言われる常緑樹も一緒にせり上がっていた。晴香が呟いた。


「こんな仕掛け……」


 3人はまた顔を見合わせて確信した。地を這う何かは、この中に入ったのだと。


「どこに繋がってるのかしら?」

「ゴセンコテン……。」


 ゴセンゴテンというのは、この都市で唯一の集合住宅。SSランカーとなるのに必要なスコア5005点から名付けられたという噂があるが、ここの住民はそれを信じている。その刹那、3人のデバイスが同じことを言い出した。イヤホンからではなく、あえて本体デバイスから音を出したのは、同時に知らせるための他、心理的な作用を期待してのことだった。


「大事なお知らせがあります。直ぐにゴセンゴテンにお集まりください」

「大事なお知らせがあります。直ぐにゴセンゴテンにお集まりください」

「大事なお知らせがあります。直ぐにゴセンゴテンにお集まりください」


 3人はAIの思惑通り、もう1度互いに顔を見合わせた。今、この都市には異常なことが起こっている。そうとしか思えなかった。


 バスが船舶からトンネルに入るまでの間、清は呑気にAIとはなしていた。1度もバスを降りていないから、船上にいたことからして知らない。3人に恐怖を与えていたのにも当然気付いていない。小型エコカーとすれ違ったあと、トンネルに入ったときになって、はじめて異変に気付いた。


「あれ? 外が急に暗くなったみたいだけど……。」

「はい。現在トンネル内を走行中です!」

「えっ、じゃあ、もしかしてトンネルを抜けるとそこは?」

「雪国……ではありませんよぉ。地下駐車場です」

「何だ。びっくりしたぁ!」

「清様、貴方が言わせたんじゃないですか!」

「そうだね。ごめんごめん」


 呑気な会話だった。

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