6
私は昼風呂をする。
生活の一部としてではなく、ある種の道楽としての入浴。それをしているとき、私は生まれて初めて安心したような気持ちになる。
湯に浸かって、バスタブの中の自分をながめる。白くほそい、けれど肉感のある身体。
私は私の体が好きだ。恋人が好きだと言ってくれるし、それにたくさんキスをしてくれるから。
初めて彼とセックスをしたのは一昨年の春だ。彼の部屋の、濃いブルーのベッドの上で。
あれは出会ってから半年ほど後だった。彼の家に遊びに行ったとき──私はこの時点で、すでに
彼も拒むことはなく、からだをすり合わせながらキスをし、服を脱がせては、唇をからだのあちこちに押しつけた。
彼も私も、すっかり盛り上がってしまって、だけど、元々そんな予定はなかったから、裸になったあと服を着なおして、一緒に避妊用ゴムを買いに行った。
これから。
死ぬまでの間に、私はいったい何人の男に抱かれるのだろう。
いまの恋人で最後、ということはおそらくない。私は恋人が好きだし、向こうだって私のことを好きには違いないけれど、どこかに終わりのある関係なのは、きっと事実だ。
初めから、そもそもの始まりから、その確信めいた予感(あるいは、予感めいた確信)は私の中にわだかまっていて、私がそれを忘れようとするたび、ちくりと胸を刺しては自己主張を続けている。
そのちいさな胸の痛みは、だけど、なかったことにするにはいくらか無理があるように思うのだ。
私はたぶん、独りで終わる。
両肩に腕をまわし、自分を抱きしめるようにしながら頭まで湯に沈んだ。
そうして、この世にはそもそも私しかいなくて、これまでの記憶はすべて夢だということにする。
恋人も、家族も、黒猫のハチも、みんないない。
ぜんぶ私の思い込みで、まぼろしなのだ。
「最近はどうしているの」
電話口で母親がたずねた。
もうずいぶん顔も見ていないのに、それでもこうして声を聞くとつながりを感じる。
私にも、この
みじかい沈黙のあと、私は、「どうってことないわ」とだけ答えた。
母が家を出て、もう七年になる。
恋をして家族を捨てた母を、けれど私は恨んでいない。すこしも。悪く思ってさえいない。
もしも私が母と同じ状況に置かれたなら、きっと同じことをしたに違いないのだから。
だから、私が母に抱いている感情に名前をつけるのなら、それはたぶん、劣等感だ。
「彼とは、うまくやってる?」
返事をしようとして息がつまった。
もしもこれが、お互いに愛せているの、という質問であったなら。私は迷わずに答えてみせただろう。
だけど、うまくやっているのか、と訊かれてしまったら。
「そっちこそ、うまくやっているの」
苦し紛れの返しに、母は快活な声で「ええ」と応えた。それを聞きながら、私は子供のころ、母に怒られたことを思い出している。質問されたらはきはき答えなさい。
上の空で適当な世間話をした。向こうでの話も聞いた。男の仕事がどう、新しいオー・ド・トワレがどう、そんな話。
母が、また会いに行くわね、と言って電話が切れた。それで終わりだった。私はもう疲れてしまって、ベッドにしずみ込む。
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