外伝 第一話 漠然とした不安感

「また泣いてるのかよ。別にオレたち何もしてないだろ? なんで泣くのさ?」


「だって、だって……みんな、あたしのこと見てるからっ、怖いんだもん」


「だからなんで怖いのさ? 何もしてねぇーじゃん。アルフィーネはいつもそうやってすぐに泣くから、オレたちが苛めてるみたいに思われてるの分かる?」


 孤児院の年上の子たちが、恐怖に囚われ泣いているあたしを取り囲んでいる。


 みんなの視線が注がれるだけで、夢の中にいつも出てくるあの目と声が恐怖を倍増させ、涙が止まらない。


「なんで、みんなそんな眼で見るの。お願いだからやめて」


「だーかーら、別にオレらは何もしてないって――」


 少し大柄な子が、泣きじゃくるあたしに苛立ったようで、壁に思いっきり手を付け、音で威圧してきた。


「ひぅ、やめて。お願いだから」


 怖い、怖い、怖い、嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 なんであたしだけこんな目に遭うの?


 みんなと違って、黒目黒髪だからなの?


 助けて、誰か、誰か助けて!


 年上の男の子に威圧され、さらなる恐怖を感じて涙が止まらなかったあたしは、声にならない悲鳴をあげていた。


「アルフィーネを苛めるなっ! それ以上、泣かせるなら俺が相手になってやる!」


 年上の男の子とあたしの間に颯爽と割り込んできたのは、黒目黒髪で同じ年の男の子であるフィーンだった。


「フィーンっ! フィーン! 来てくれたんだ!」


「水汲みに行ったアルフィーネが、中々帰ってこないから心配して来てみたら、こんなことになってたとは」


 フィーンがあたしを守るように男の前に立ちはだかる。


 フィーンが来てくれた。もう、これで大丈夫だ。


 彼の後ろ姿を見て、あたしの中に広がっていた漠然とした不安感は立ち消え、穏やかな気持ちに包まれていく。


「ちっ、またフィーンが邪魔するのかよ。オレたちはアルフィーネがすぐ泣くせいで、ダントン院長先生に怒られてるんだぜ。それを本人に分らせようとしてるだけなんだが?」


「でも、アルフィーネが泣いて嫌がってる。だから、そんなことしたらダメだと俺は思う!」


「ちっ、またフィーンの騎士ごっこかよ。お前はアルフィーネの件になると、すぐに絡んでくるからうぜぇんだよっ!」


 大柄な子の拳がフィーンの頬にぶつかり鈍い音を立てた。


「フィーンっ!?」


「大丈夫、こんなの平気さ。俺はずっとアルフィーネのことを守るって決めてるんだからさ!」


 口の端を切ったことで、血が流れたが、フィーンは意に介さず年上の男の子を睨み返した。


「そういうのがうぜぇんだよ! オレたちよりガキの癖に!」


 大柄な男の子は、何度も何度もフィーンの顔に拳を打ちつけ、そのたびに皮膚が裂けたところから血が流れだしていく。


 あたしは大柄な男の子の暴力を前にして、何もできずフィーンの後ろに隠れて、ただ震えることしかできないでいた。


「こらー! なにやっているの! 喧嘩してるのかしらっ!」


「やっべ、フィーリア先生だ! みんな逃げるぞ!」


 手を出さず殴られたままだったフィーンの姿を見た、フィーリア先生が急いでこちらに駆けよってくると、年上の子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。


「フィーン! フィーン、大丈夫! 血がいっぱい出てる! 死んだらダメだからっ! フィーリア先生、フィーンが死んじゃうよ!」


 顔を腫らしたフィーンが、問題ないと言いたげに、あたしの手を取った。


「これくらいどうってことないって。ほら、俺は頑丈だからさ」


「なに馬鹿言ってるの。フィーン君は医務室行くわよ。アルフィーネも手伝って! 他の子たちは逃げちゃったし、傷の手当てをしないといくら頑丈でも病気になるの!」


「は、はい。お、お手伝いします! フィーン、しっかりして!」


 フィーリア先生がフィーンを抱えると、その後を遅れまいと一生懸命に医務室まで駆けた。



「まったく、どうしていつもそうなっちゃうのかしらね。ダントンも心配してたけど、フィーン君は生傷が絶えないわね」


 フィーリア先生は、医務室のベッドに横になったフィーンの頬にできた傷に傷薬を塗り込んでいく。


「いててて、だって俺はアルフィーネを守るって約束したから、絶対に守らないといけないわけで――」


「あーもう、そういう堅苦しいところは、誰に似たのかしらね。ダントンかしら? 少なくとも私じゃないわね」


「フィーリア先生、ごめんなさい。あたしが、泣いてたのが悪いんで……フィーンのこと怒らないで」


 フィーンがなんとなく悪者にされそうな気配だったので、フィーリア先生に彼は悪くないと弁護していく。


「アルフィーネも来年はフィーン君と同じく七歳になるんだから、もう少ししっかりとしないとね。いつまでも泣いてばかりじゃ、一人立ちできないわよ」


「は、はい。もっとしっかりできるよう頑張ってみます」


 孤児院に居られるのは一五歳までと規則で決められていて、あたしも大きくなったら村で仕事を見つけるか、村の外で働き口を見つけることになる。


 けど、あたしには年上の子たちのように上手く村での仕事を見つけたり、外の世界で働き口を見つけるなんてことができるのだろうか。


 そういったことも漠然とした不安感を増す要因になっているのかもしれない。


「それと、私とダントンはいつまでも貴方たちの味方だから、安心しなさい。いいわね」


 フィーリア先生はあたしと、フィーンの手を一緒に握って、普段とは違う真剣な表情を見せた。


 あたしが漠然と抱えている不安感について、小さい時に二人に相談していたが、悪い夢を見たんだと言って取り合ってくれないでいる。


 でも、二人との会話では夢の中で出てくるような蔑んだ目線を感じることはなく、顔も見たことがないまま死んだ両親よりも近しい存在には感じていた。


「俺がもっと強くなれば、アルフィーネが泣くこともなくなると思う。もっと、強く」


 フィーンは三歳になった時、例の言葉で漠然とした不安感を覚えて泣きはらしたあたしの前で誓ってくれた。


 ずっとあたしのことを守るって約束を七歳になった今も律儀に守ってくれている。


 おかげでフィーンと一緒の時は、漠然とした不安感を払拭できるようになってきたが、さっきみたいに一人になると途端に怖くなって、泣いてしまう自分がいた。


 自然と常にフィーンの後ろを歩くようになり、いつも一緒に行動することが多くなっている。


 夜も男女別に就寝する規則なのだけれど、夢のせいであたしが泣くため、フィーンとあたしだけ一緒の部屋で寝起きしている。


 そういった待遇の違いが、年上の子たちの苛立ちを助長してるのかもとも思うけど、フィーンのいない夜を過ごすなんて考えるだけで何も手が付かなくなってしまう。


「フィーン君も強くなりたいなら、卒業生の子に剣術指導してもらったら? 王都で冒険者になった子たちが、今週末辺りに帰ってくるって手紙をもらってるし」


「剣術かぁー。ダントン院長先生に練習に参加していいか頼んでみる。守るために使うなら許してもらえるかな?」


「そうね。自衛ための剣術ならダントンもきっと許してくれると思うわよ」


「あ、そろそろ牛や羊たちに餌をやる時間だ。アルフィーネ、一緒にやろう。きっとお腹空かせてると思うし」


「ちょっと、フィーン君。治療が終わったからって急に動くのは――」


「大丈夫ですって、俺は丈夫だから!」


 医務室のベッドから起き上がったフィーンは、あたしの手を取ると、孤児院の奥に併設された家畜小屋に向かい駆け出した。


 あたしは手を引かれるまま、フィーンの後をついていくことしかできないでいた。

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