97:二人の自分
近衛騎士が詰めていたアルフィーネの屋敷を抜け出した俺は、外套で顔を隠しつつ貴族街の中を歩く。
フィーン時代の顔を知ってる人に会ったとしても、今の俺ならバレることはないと思うが。
用心に用心は重ねた方がよさそうな気がする。
近衛騎士団があれだけ厳重にアルフィーネの屋敷を守っていたのも、何かおかしなことにアルフィーネが巻き込まれてるからかもしれないし。
周囲に視線を巡らしながら歩くうちに、エネストローサ家の紋章である本を咥えた鷲の意匠を掲げた門の前にまできていた。
「ここが、エネストローサ家の屋敷だな……」
俺は顔を隠していた外套を外すと、門の前に立つ門番に話しかけた。
「すみません、俺はユグハノーツの冒険者フリックといいます。辺境伯令嬢のノエリア様に面会に来たのですが取り次いでもらって――」
俺が話を終える前に、門番は扉を開けてくれていた。
「ノエリア様よりフリック様のことは窺っております。近衛騎士団の目もありますので、すぐにお屋敷にお入りください」
門番に促されるまま俺は屋敷の門をくぐって邸内に入る。
王都の辺境伯家の屋敷はユグハノーツに比べて若干狭いが、それでもアルフィーネの屋敷に比べればかなりの敷地を誇る大邸宅だった。
さすが王国の大貴族と言われる辺境伯様の屋敷だな。
元々学者の家系の貴族だったらしいが、婿入りしたロイドの出世に合わせて屋敷も変わったんだろう。
邸内をキョロキョロをと見まわしていたら、迎えにきた老メイドに声をかけられた。
「フリック様ですね。ノエリアお嬢様がお待ちになっておられます。こちらへどうぞ」
「あ、はい。分かりました」
俺は老メイドに先導を任せると、その後をついて屋敷の中に入っていった。
やっぱ、この屋敷も質素だよな……。
必要最低限の物しか置いてない。
アルフィーネの屋敷でももう少し豪華だったような気がするけど。
予想をしていた通り、王都の辺境伯家の屋敷の中はユグハノーツの屋敷と同じくとても質素な雰囲気でまとめられていた。
「貴族の屋敷には見えないくらい質素でお恥ずかしい限りですが……」
屋敷の内装を見て回っている俺に気付いた老メイドが申し訳なさそうな声で頭を下げていた。
「いえ、質素を心がけておられる辺境伯様のおかげで、王国の人たちが安心して暮らせてると俺は思ってますから」
「そう言って頂けると、辺境伯様に仕えている私たちも心が休まります。口の悪い者たちの間では『戦争狂』とか言われ放題になっておりますので……」
「そんな噂は辺境伯様の本心を知らない人の妬みに過ぎませんよ。あの人は英雄と呼ばれる重圧に耐え続けてる人格者だと俺は思ってますから」
俺がそこまで言うと老メイドの顔色が変わっていた。
そして、俺の手を握って何か納得したように頷いている。
「あ、あの?」
「失礼いたしました。でも、フリック様はさすが辺境伯様が認めた人物だと察することはできました。ですが、同時に色々な問題も抱えていらっしゃる様子」
老メイドの澄んだ目が俺の全てを見通していくような感覚に襲われた。
「あ、え、あ……」
老メイドの問いに俺は答えられずにいた。
今の自分がフィーンなのかフリックなのかの狭間で揺れていることを見透かされている気がしてならない。
「でも、迷うことも人生において大事な経験だと思いますよ。私からご助言できることは自分の心をよく覗き見ることですね。善いことも悪いことも含めて」
老メイドがそう言うと握っていた手を放す。
善いことも悪いことも含めて……か。
俺自身の気持ち……ってことだろうか。
蓋をして隠した傷口を見るのが怖くても向き合わないといけないのかもしれない。
そのうえで結論は自分自身で出すしかないよな。
「ご助言感謝します……」
俺はその言葉だけを絞り出すのが精いっぱいだった。
「いえ、我が家にも関わってくるような気がしましたので、おせっかいながらも年寄りの知恵をご助言申し上げました。ご不快になられましたら謝罪させてもらいます」
「いえ、不快だなんてとんでもない。ご助言で道筋を見出せた気もします」
「そうであれば幸いです。では、ノエリア様はあの奥の部屋にお待ちになっておられます。私は他の用事がありますのでここで失礼させてもらいますね」
老メイドはノエリアのいる部屋を指差すと、俺に頭を下げて来た廊下を戻っていった。
残された俺は、教えられた部屋の扉をノックする。
「どうぞ、お入りになって」
扉を開けて部屋の中に入ると、大きなガラス窓の近くにノエリアが立っているのが見えた。
「フ、フリック様!? お、お戻りになられたのですか!?」
ノックの主が俺だったとはわからなかったようで、慌てたノエリアが転がるような勢いでこちらへ駆け寄ってきていた。
「ああ、もう門番やメイドたちから連絡がきてるかと思ってたんだが……そこまで歳を召したメイドさんに連れてきてもらったし」
「い、いえそのような話は――って、歳を召したメイド……」
老メイドの話を聞いた瞬間、ノエリアの顔色が変わっていくのが見てとれた。
「もしかして何かマズいことを俺がしたか? 王都の屋敷だしちゃんと礼儀正しく対応したつもりだけど」
「い、いえ……まぁ、問題はないと思います。フリック様には……ええ、ないと思います」
顔色が蒼白になったノエリアが、足元をふらつかせたので、手を回して抱き留める。
ノエリアのこの狼狽ぶり……。
やっぱ俺はなにかとてもマズいことをした気がする。
「あ、あのノエリア。俺がなんかマズいことをしてたら謝罪はするけど……」
「大丈夫です。この件は我が家の問題ですので……。それよりも例の件はやはりアルフィーネ様だったのですか?」
蒼白な表情のままであったが、ノエリアは自分で立ち上がると、この王都に来た本題を切り出してきた。
「結果を言わせてもらうと、違った。姿形の似た全くの別人が吊るされていたよ。吊るされてた人はきっとイリーナっていう名の女性」
「ということは剣聖アルフィーネ様は処刑されてはいないと?」
「ああ、おそらくは……屋敷にも行ったけど、近衛騎士団が厳重に無人の屋敷を警備してた。そこで、忍び込んでコレを拝借してきたんだよ」
俺は外套から二振りの剣とアルフィーネの剣を取り出すとテーブルの上に置く。
その様子をノエリアが真剣なまなざしで見つめていた。
「これは……?」
ノエリアの綺麗な顔に『俺の正体』について問いただしたいという表情が浮かんでいるのが見えた。
ここまでずっと誤魔化してきたけど、彼女には俺の正体をきちんと話しておかないと……。
自分の塞いだ傷口を再び晒すことになるけど、そうしないと真剣に俺に向き合おうとしてくれてる彼女にも失礼だよな。
過去の全てを捨てて塞いだ傷口をノエリアに晒す決意を俺はしていた。
そんな俺の脳裏にはアルフィーネが俺を罵倒し、蔑み、抑圧してきた記憶が駆け巡っていく。
その記憶とともに、心臓が早鐘を打ち、息が苦しくなっていくのを感じていた。
「フリック様……苦しいのであれば、無理をされずとも……」
苦しみの表情を見せた俺を気遣ったノエリアが、そっと俺の手に自分の手を添えてくれていた。
彼女は自分が俺の正体を知りたいと思ってはいけないと、感じているのかもしれない。
俺自身の弱さから、そんな心配を彼女にさせてしまったことを悔いてしまう。
「大丈夫さ。ちょっとだけ時間をくれると助かる」
俺はそう言うと、大きく深呼吸して脳裏に巡る嫌な記憶を振り払っていく。
やがて落ち着きを取り戻すと、自身の正体をノエリアへ語ることにした。
「ごめん、待たせたな。まず、俺自身についてのことだけど……。俺がフリックという名を名乗る前はフィーンという名だった」
「フィーン様ですか……。隊商の護衛をされていたという話は……?」
「あれも嘘だ。俺は剣聖アルフィーネの仲間だった剣士フィーン。王都の冒険者ギルドでアルフィーネとともに最年少の白金等級昇格者で、魔竜ゲイブリグス討伐も彼女と一緒に果たしているんだ」
俺の正体を知ったノエリアの顔に納得の表情が広がっていく。
卓越した剣技や冒険者としての知恵や知識が、駆け出しの冒険者っぽくないと彼女も思うところがあったのだろう。
「剣士フィーン……ですか。……最年少白金等級で魔竜討伐者ってとんでもなくすごい人ですよね?」
「ああ、でも組んでたアルフィーネがすごかっただけさ。だから、剣聖アルフィーネの世話係フィーン。おまけのフィーンとかも言われたんだ」
本当にあの頃はアルフィーネの剣技が凄すぎて、俺なんかおまけって言われてもしょうがないって思ってたし。
アルフィーネのことをすごく尊敬してたってのもあって、当たり前の評価だって自分に言い聞かせた。
「せ、世話係……と申しますと……その、あのフリック様――いや、フィーン様とアルフィーネ様とは――」
俺とアルフィーネの関係に気付いたノエリアが焦ったように質問をしてくる。
絶対に聞かれると思ったので、俺は嘘偽りのない答えを彼女に答えることにした。
「一緒の孤児院で育った幼馴染であり、姉弟みたいな存在であり、家族みたいであり、そして恋人だった」
アルフィーネのことを『恋人』と言うだけで、心臓が抉られるような痛みを何度も発してくる。
その痛みがノエリアに隠していたことへの申し訳なさからか、アルフィーネとのことを思い出した痛みなのかは判断がつきかねている。
「こ、恋人ですか……やっぱりそうですよね。フリック様……いや、フィーン様みたいな人にそういう方がいない方がおかしいですものね」
ノエリアは急に下を向くと、服の裾を弄り始め、やがて服に落ちた涙のシミが増えていく。
そんな彼女の姿を見ているだけで心がギュッと締め付けられていた。
「違うんだ。俺とアルフィーネはもう終わってる。恋人『だった』って言っただろ。色々とすれ違いが発生して、俺が彼女のわがままを受け止めきれなくなって絶縁して辺境に逃げたんだ。そしてユグハノーツで名をフリックに変えて、ノエリアと出会った」
「絶縁……ですか」
「ああ、アルフィーネとの過去を全部捨てて、辺境でやり直すつもりで名を変えて、そこでノエリアに出会った」
そこからはお互いに沈黙の時間が流れていく。
その先の答えを俺も口にしていいのか迷い、ノエリアも聞いていいのか迷っていた。
重苦しさが増す中、口を開いたのはノエリアだった。
「フリック様……今はフリック様ですか……? それともフィーン様ですか……?」
絞り出すように声出したノエリアの問い。
二つの名の間で揺れ動く俺に、彼女が必死になって考えだし出した問いだった。
「俺は……俺は……フリックだ。ユグハノーツの冒険者で真紅の魔剣士フリック。それ以外の何者でもない」
「本当にそう思ってよろしいのですか」
「ああ」
俺がそう言うとノエリアが顔を覆って大声で泣き始めた。
俺はそっと彼女の背をさすってやることしかできずにいた。
子供のように泣きじゃくったノエリアが落ち着きを取り戻すと、顔を上げて俺の目を真っすぐに見据え手を握ってくる。
その視線には強い意志を感じさせられるものがあった。
「フリック様……わたくしはフリック様を信じております。ですから、アルフィーネ様の件はしっかりと調べて何が起きていたのかを知るべきだと思いますが……どうでしょう」
「ああ、そうだな」
「わたくしも手伝わせてもらってよろしいでしょうか?」
「本当にいいのかい? その……アルフィーネと俺とのことを調べると、知りたくないこともあるかもしれないが……」
少しだけノエリアのアイスブルーの瞳が泳ぐのが見えた。
だが、それもほんの少しだけで、再び俺の目を真っすぐに見据えると力強く頷いていた。
「そうか……。ノエリアが手伝ってくれると助かる」
「では、まずは――」
それから俺はノエリアにこれまで集めた情報を話し、アルフィーネのつけていた日記帳の内容を読んでもらうことにした。
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