96:困惑


 アルフィーネ……。



 首筋の小麦の穂の刺青を見て、目の前の遺体がアルフィーネだという気持ちが強まってたが、一方でそれを否定したい俺がいるのも感じていた。



 最後……最後にひとつだけ確認したら……この遺体がアルフィーネだって認めるしかない。


 最後の一つ……。



 剣聖アルフィーネになるため、彼女の手に刻みつけられた特徴を俺はまだ確認することをできないでいた。



 確認するしかない……最後の一つも確認したら――



 俺はすがるような気持ちで、吊るされた女性の右手を取った。



 ――!?



 ないっ! 剣だこがまったくない! 彼女の修練を重ねた努力の結晶が目の前の遺体にはまったくない!


 腐敗が進んでいるとはいえ、彼女が積み重ねによりできた剣だこが消えることはありえないはず。



 間違っていないか、再度慎重に遺体の右手を触っていく。


 けれど、遺体の右手の皮は軟らかく、アルフィーネの手の感触とは似ても似つかないものであった。



 剣だこがない……、これはアルフィーネじゃないぞ。


 となると、この遺体はいったい誰なんだ!?



 剣聖アルフィーネとして処刑された女性が、アルフィーネ本人ではないという事実を知り、俺の頭の中は安堵とともに疑問が渦巻くことになった。



 目の前の遺体がアルフィーネじゃないとすると、アルフィーネは一体どこに……。


 それになんでこの人はアルフィーネとして処刑されたんだ?


 訳が分からない……。



 混乱する自分の心を落ち着けるため、一度深呼吸をする。


 心を落ち着けた俺は、もう一度吊るされている遺体を慎重に確認することにした。



 黒髪で年齢や体格もアルフィーネに近い。


 例の刺青もある。


 でも、アルフィーネ本人なら必ずあるはずの剣だこがない。



 慎重に遺体を確認していく中で、カラスに突かれて破れたお腹からきらりと光る物が見えた。


 俺は恐る恐るその光る物体を手に取る。



 ペンダント? 何か刻んであるみたいだ。


 イルーナ、ミルズって刻んであるみたいだ。


 どっちかがこの遺体となった人の名前だろうか?


 とりあえず、調べさせてもらうため預からせてもらおう。


 アルフィーネじゃない君が何者なのか、なぜ死ぬことになったのか、きちんと調べさせてもらう。


 そして、アルフィーネの行方も調べさせてもらうよ。



 俺は手で遺体の頭に触れ、瞑目して祈りを捧げた。続けてアルフィーネと生活した屋敷に向かうことにした。



 アルフィーネが貴族となってすぐに貴族街に購入した屋敷にくると、ここでも近衛騎士たちが入り口をふさぐように警戒をしていた。



 すでに死んだと発表されたアルフィーネの屋敷をあれだけ厳重に警戒してる理由は……。


 やっぱりまだ彼女が生きているんだろうな。


 となると、さっきの遺体は替え玉だったという気持ちが強まった。


 やはり俺が去ったあとのアルフィーネに、何が起こったのかを調べる必要がありそうだ。



 俺は再び魔法で姿を消すと、塀を越えてアルフィーネの屋敷の中に入っていった。


 屋敷の中は人が住んでいる気配もなく、執事だったヴィーゴの姿も見られなかった。



 室内を見回っていると、数ヵ月前まで暮らしていた場所のため懐かしさがこみ上げてくる。


 記憶にあるアルフィーネの部屋の前にさしかかると、心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。



 フィーンだった時、この部屋の前に立つたびに、アルフィーネから何か言われるんだろうなっていつも思ってたな。


 でも今の俺はフリックだ……フィーンじゃない。



 俺は自分にそう言い聞かせて、彼女の部屋のドアを開けた。


 部屋の中は荒れ放題になっていた。どうやら俺が去った後、アルフィーネは部屋の掃除を誰にもさせなかったようだ。



 着た服はちゃんと洗濯物として出せってあれだけ言ったのに。


 ベッドも荒れ放題かよ。



 予想以上に荒れた部屋を見て、ついフィーンだった時の癖が出ていた。


 部屋の片づけを始めた俺は、ベッドの脇に置かれた剣が目に入ってくる。



 あれって……俺がアルフィーネに贈った剣とアルフィーネが俺にくれた剣か……。



 目に入った剣を手に取ると鞘から引き出す。



 ここしばらくは手入れされてないみたいだな……。


 病気療養をしてたとはいえ、アルフィーネがこの剣の手入れを怠ることはないはずだけど……。


 なんでここに置きっぱなしなってるんだ。



 ひとまず、剣を鞘にしまうと片づけを再開していく。


 しばらく部屋を片付けていたら、ベッドの下から一冊の日記が出てきた。


 表紙に書かれている癖の強い文字から見て、アルフィーネが書いていた日記のようだった。



 アルフィーネ、すまない。中身を見せてもらう。



 少しでも手掛かりになればと思い、心の中でアルフィーネに謝ると、日記の中身を読み始める。


 中には俺に関することが事細かく書かれ、その時のアルフィーネの気持ちも一緒に書かれていた。



 なんだよ……アルフィーネのやつ……そんなこと一度も口にしなかっただろ。



 書かれている内容に目を通していくにつれ、俺の視界が涙で滲んでいくのを感じていた。


 そして日記の内容が俺の去った後に入ってくると、彼女の文字も乱れ、精神状態が最悪だったことが窺えた。


 読み進めていくと、俺が去った後、アルフィーネは執事のヴィーゴに指示を出して俺を探していたらしいことが判明する。



 俺が捨てたフィーンの徽章がアルグレンで見つかっただって!?


 いったいどうなってるんだよ……。



 しかも俺が死んでるとか……何がどうなっているんだ?



 アルグレンに行った後と思われる、アルフィーネの日記帳に書かれた内容を俺は理解ができないでいた。


 アルグレンから戻った後、日記の文字はそれまで以上に乱れ、俺に対する謝罪の言葉が延々と綴られている。



 アルフィーネは、俺がアルグレンで死んだってずっと思ってたのか……。



 日記の最後は、贖罪のため自殺をほのめかす言葉が書かれていた。



 けど、日付はけっこう前だ……。


 アルフィーネが処刑された日はもっとあとのはず……。



 アルフィーネの身に何が起こっていたのか、なんで吊るされた遺体が替え玉だったのかもう少し情報を集めないと。


 俺は日記帳と、お互いに贈り合った剣を二振り手に取るとノエリアが向かったエネストローサ家の屋敷に向かうことにした。

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