最初は小さな種だった話でも、伝言ゲーム式に拡散されると大きな騒動に発展することもあるのよ。例えば、これは今から五十年ほど前にあった事件なんだけれどね。女子高生三人の噂話が発端で銀行が潰れかけたって話。

小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ

それが本当にあったのよ。

「へぇ〜。でも綾ちゃんの考えた話にしてはリアリティが無いね」

「いやだから、これは本当にあった話なんだって!」

 文芸部の部室には、恵梨香と私の二人きり。部員になったばかりの恵梨香が「小説のネタになりそうな話聞かせてよー!」と言うから話をしたのに、いきなりフィクション扱いされてしまった。

「まあ、かく言う私も最初は嘘だと思ったけどね。他愛のない会話が発端で銀行が傾くなんて、普通じゃ考えられないし。当時と現代とでは状況も違うから、噂やデマが広まりやすかったのかもしれないわね」

「今じゃみんなスマホ持ってるもんね。検索すれば何でもすぐに分かるし」

「情報元が本当に正しいことを言っているのか、それはちゃんと確認しないといけないけれどね」

 そう私が言ったとたん、部室の扉がガラッと開いた。

「おうおう、二人ともろくに書きもしねえで何やってんだあ?」

 現れたのは我が文芸部の部長、茜川薫子あかねがわかおるこ先輩だった。

「何だ、お前ら? 素っ頓狂なツラ並べてよお。文芸少女らしく『青鯖が空に浮かんだような顔』ってのをアタシに見せたかったのかい?」

「きょ、今日は部活に来ないという話では?」

「はあ? その話、誰から聞いたんだよ?」

 私は恵梨香を指差した。当の恵梨香は「薫子先輩と同じクラスの人がそう言ってたのを聞いたんです」と言う。

「そりゃお前、あれだ。さっきの綾の言葉を借りるなら『情報元が正しいことを言っているのか、それはちゃんと確認しないといけない』ってやつだな。恵梨香の聞き間違いだ」

 恵梨香め、普段からおっちょこちょいなんだから、もう! あともしかして私達の話、部長に聞かれてた?

「お前ら、なかなか面白いこと話してたみてえだな」

「ひぃぃ! 薫子先輩許して下さいぃぃぃ! 私たち、ちゃんと書いてますからぁぁぁ!」

 恵梨香は震えながら許しを懇願していた。無理もない、恵梨香は入部初日に部長が本気で怒っている姿を見てしまったのだから。私もあの場に居たが、あれは怖かった。鬼かと思った。そして怒られた部員はもう二度と来なくなってしまった。

「いや、別にアタシは何も怒ってねえぞ?」

「へ?」

「アタシがキレるのは、締め切りまでに書き上げられなかった時だけだ。お前らがちゃんと期限内に小説を完成させるなら、アタシは何も言わない。完成度を高めるためなら、雑談も大いに結構」

 そう言って、部長は私の隣の席にドカッと座った。言われてみれば、私は締め切り前に完成させるタイプだからか、そこまで怒られた記憶はない。

「じゃあじゃあ、薫子先輩! さっきの綾ちゃんの話どう思います?」

 恵梨香の変り身の速さが凄まじい。さっきまで震えていたのに!

「面白えな。ちょっとした世間話が大騒動になったってんだろ? ただ現代でも……」

 部長が言いかけたところで話すのを止めてしまった。どうしたんだろうと部長の顔を見ると、ニンマリと笑みを浮かべていた。

「居るじゃねえか、ここに」

「え?」

「女子高生が三人。必要な条件は満たしてる」

「まさか、部長……」

「アタシたち三人でどれだけ噂を広められるか、ちょっと試してみねえか?」




 こうして、部長の思いつきから実験が行われることになった。

 目的は、五十年前の騒動の再現。とはいえ人を不幸にするような噂を流すのは良くないから、そこは変えようという話になった。

 最初は全員で協力してやるはずだったのが、部長の「せっかくだからみんなバラバラの噂を流すことにしねえ?」という鶴の一声により、互いに競い合う形となった。この時点で「女子高生三人の世間話から始まった騒動を再現する」という最初の趣旨から微妙にズレてしまった気もするが私は何も言わなかった。長いものには巻かれるタチなのだ。


 一番手は私だ。例の事件は一週間でピークに達したと言うから、この実験も一週間ごとに交代していく形となっている。

「私はSNSを中心に噂を広める方向でやってみます。ウチの高校の生徒、ツイッターやってる人多いですし、きっといい線いくと思いますよ」

「ほお。ちなみにどんな噂を流すんだ?」

「えっと、旧校舎には幽霊が出るらしいぞって話を」

「……そんだけか?」

「シンプルなほうが伝わりやすいかと思いまして」

 こういうのは単純な方がいい。他者が噂に尾ひれを付けやすいし、あまりに複雑さと気軽に話すこともできなくなってしまう。


 そして、一週間後。

「ぜんぜんダメだったねー綾ちゃん!」

 私はがっくりと肩を落としてしまった。多少はSNSでも口の端に上ることはあったものの、数時間後にはみな誰もその話をしなくなっていた。

「さて、次はアタシの番か」

 部長は待ちわびたかのように言った。

「綾。お前の敗因はな、面白くなかったことだ」

「面白く……? どういうことです、部長」

「噂にはな、物語性が必要なんだよ。綾にはそれが足りてなかった。だってさ、ただ旧校舎に幽霊が出るだなんてだけの話、フィクションの世界じゃ掃いて捨てるほどありふれてるだろ? そんな話を聞いたところで明日にはみんな忘れちまう。だから噂話には濃厚な『色付け』をしてやって、聞いた人間の頭に刻み込んでやらねえと」

 なるほど、そう言われると私の失敗にも納得がいく。私の考えた噂話は、気軽に話せてしまうがゆえに、みんなの心には残らなかったのだろう。

 部長は「校内に一ヶ所だけ存在する屋上へと続く階段は、ごくまれに異界へつながることがある」といった内容の怪談話を考案していた。ディティールに磨きをかけるため、異界へと続いてしまう理由や条件などもきちんと考えてあり、抜かりはなかった。というか、部長はこのためだけに原稿用紙八十枚ほどの設定資料集を用意してあったのだ。

「アタシは昼休みに屋上で静かに読書するのが好きなんだけどさあ。でもいつ行っても他の生徒がうようよ居るんだよ。だからそいつらを一掃できるような怪談話でも広めてやろうかと思ってな」

 部長はいたずらっぽく笑った。


 一週間後。

「スゴイことになりましたね薫子先輩!」

 恵梨香の言うとおり、結果は想像以上だった。

 部長はクラスメイト数人に怪談話をしただけだった。それがよほど面白かったのだろう、上級生はおろか私達の学年にまで話は伝わってきている。

「令和の時代だろうが、学校の怪談はみんなの心を惹きつけるんだよ。あ、あとアタシの話術? 将来は稲川淳二の後釜狙っちゃおうかなーなんてな!」

「でも部長。屋上へ続く階段、今まで以上に生徒が群がってますよ。一掃するどころか逆効果だったんじゃ……」

「そうなんだよな。怖がって屋上に立ち寄らなくなる人間より、興味本位で見に来る奴の方が多いって、よくよく考えてみれば当たり前だったよ……」

 結果は上々だったものの、部長の実益にまでは結びつかなかったようだ。

「さて、最後は満を持して私の出番だね!」

「恵梨香はどんな噂話を考えてるの?」

「近所にあるお気に入りのパン屋さん、そろそろ閉店するらしいんだ。店主のおじさんは『跡継ぎがいればまだまだ続けられるけど、僕は独り身だし。それにもう歳だからね。この仕事を続けるのも限界なんだ』って、すごく寂しそうに言ってた。だから、私はあのパン屋さんが繁盛するような噂話を立てたいと思います!」

「具体的には?」

「あのパン屋さんはすっごく美味しいよって家族に言いまくる!」

「それただの口コミじゃないの?」

 部長は「綾らしいなあオイ。まあ頑張れや」と笑って言った。


 一週間が経過。

 あのパン屋さんには朝から長蛇の列ができていた。昨日は昼前にすべてのパンが売り切れてしまったらしい。

 実際、恵梨香がお気に入りのパン屋さんは安くて美味しい穴場の店ではあった。けれどたった一週間でここまで様変わりするなんて。

 その理由を探るべく、私と部長は恵梨香に話を聞いていた。

「この勝負、恵梨香の勝ちだな。アタシの怪談話は校内だけに留まってるが、あのパン屋の評判は街中に知れ渡ってる」

「でもどうしてここまでのことが出来たの?」

「え、別に何も変わったことはしてないよ。家族にあのパン屋さんの美味しさと潰れてほしくなさを熱く伝えただけ」

 思えば、五十年前の騒動も一人の女子高生が家族に話をしたところから噂が伝播したのだった。その有効性は半世紀を経ても変わらない、ということ……?

「でも良かったよ〜! 評判のおかげで弟子入り志願者も続々と集まってるって話だし、これであのお店は安泰だね!」

 部長も「ううん、まあそうか……」と釈然としない様子だった。


 それから一ヶ月が経ち、あのパン屋の行列も落ち着き始めたころ。私はあの店のメロンパンが無性に食べたくなったので、久しぶりに買いに行くことにした。

 その道すがら、見覚えのある人から声をかけられた。

「あら綾ちゃん。お久しぶりね」

 恵梨香のお祖母さんの詠子えいこさんだ。六十代だという話だが、一回りは若く見える。

「こんにちは。お祖母様もあのお店へ?」

「そうなのよ。恵梨香に教えてもらってね、最近はずっと通いっぱなし。ところで知ってる? あのお店の店主さん、実はね……」


 お祖母さんの話に、私はすっかりのめり込んでしまった。

「まさかあの店主さんにそんな感動のストーリーが秘められていたなんて!」

「でしょう? 私もびっくりよ。まあここだけの話、ぜんぶ嘘なんだけど」

「……え?」

「恵梨香が『あのパン屋さんなくなってほしくないよー』って何度も何度も言うから、つい昔取った杵柄を発揮しちゃったの。周りが信用するような嘘を言いふらして、事実を捻じ曲げるのは得意だからね。そう、私も貴女くらいの歳に……いやなんでもないわオホホホ」

 そう言ってお祖母さんは足早に去ってしまった。

 部長が「噂にはな、物語性が必要なんだよ」と言っていたのを思い出す。

 五十年前のあの事件は、偶然が重なった末の出来事なんかじゃなくって……。女子高生詠子さんの、卓越した技術が生んだ必然だった?

 それはメロンパンの味など分からなくなるほどの衝撃だった。

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最初は小さな種だった話でも、伝言ゲーム式に拡散されると大きな騒動に発展することもあるのよ。例えば、これは今から五十年ほど前にあった事件なんだけれどね。女子高生三人の噂話が発端で銀行が潰れかけたって話。 小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ @F-B

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