終章
1話~2話
終章
1
「二人とも、そろそろ出んぞー。準備できたかー?」
「ちょっと待ってー。慶くんのレガースが見つかんないの。つい昨日に使ったばっかなのに不思議だよねー。もしかして神隠し? だったらこわーい。お父さん、どこにあるか知らなーい?」
小五の娘、由衣香の無邪気な声が、二階から耳に飛び込んできた。
リビングのソファーで新聞を読んでいた夫、瑛士は、すっと立ち上がって大きく息を吸い込んだ。
「おーう、了解。今行くぞー。名探偵の俺が一瞬にして見つけてやっから、首を長くして待ってろー」
楽しげに叫ぶや否や、瑛士は早足でリビングから出て行った。半分ぐらいの声量で充分聞こえるだろうに、いつもオーバーだ。出会った頃からまったく変わっていない。
現代日本に戻った私は、女子サッカー部にずっとい続けた。ヴィクターとのマッチ・アップで守備の感覚が掴めて、時々はボランチで起用されるようになった。
高二からはキャプテンにも選ばれ、高三の時にはなでしこチャレンジリーグ(なでしこリーグの三部。中高生主体のチームも所属)準優勝、全日本高等学校女子サッカー選手権大会優勝など、我ながらかなりの好成績を残した。
選手権大会の準決勝、ボランチで出た私が決めたボレー・シュートは、サッカー史に残る好プレーだと今でも時々、取り上げられている。
(それにしても、もう二十七年か。なんか、あっという間だったよね。プロ入りに瑛士との結婚、女子ワールドカップの準優勝に、慶太と由衣香の出産。その六年後になでしこ引退。大きなイベントはこんなところ、か。密度がとっても濃かったから、時間の流れが早く感じるのかな)
ダイニングテーブルの椅子でしみじみと回顧しながら、築十五年になろうとしている我が家を見渡す。
テーブルの上には、四人分の箸の入った木製の箸立てに、瑛士が作った朝食の残りのオムレツの大皿。見かけはほとんどスクランブルエッグだけど、子供たち二人は絶対に文句は言わない。二人とも素直な、私には過ぎた良い子だ。
地続きのリビングには、黒色の四人掛けソファーに50インチのテレビ。本棚にはサッカー関連の雑誌や指南書など、いろんなジャンルの本が並んでいる。
女子サッカー選手の給料は高くない。だから我が家は日本のどこにでもある普通の家だ。だけど、思い出と幸せがいっぱい詰まっている。
ドタドタと階段を下りる複数の足音がしたかと思うと、ダイニングのドアがばんっと開かれた。瑛士の後ろにはポニーテールの由衣香と、由衣香の双子の弟の慶太がいた。
慶太の髪型は坊ちゃん刈りを少し今風にしたもので、最近のお気に入りだった。二人とも所属チームのFCエステラの練習着姿で、私を見つめる目は子供らしく純真に輝いている。
「お母さん、早く早く。俺らはもう準備バッチリだよ。もたもたしてたら俺らの大活躍、見逃すハメになっちゃうぞー」
元気いっぱいに慶太が喚いた。
私は微笑んで「大丈夫よ。私ももう支度はできてる」と答えた。最近使い始めてまだ馴染んでない慶太の「俺」が、なんだかちょっとおかしかった。
2
瑛士の運転で、私たちは由衣香たちの練習試合がある森林公園へと出掛けた。木々の間の道路を抜けて、一角にあるグラウンドに向かう。道の脇にはジョギングやウォーキングをする人の姿があり、平和だなぁと強く感じた。
駐車場に車を駐めて、グラウンドへと歩き始める。瑛士の肩にはクーラーボックスなどが掛かっており、見るからに大荷物だった。
私は毎度「少しは持つよ」と申し出るけど、「鈍った身体の筋トレ代わりだ」とか、何だかんだ理由をつけてずっと断られていた。思いやりを感じて嬉しくはあるけれど、やっぱり少し申し訳ない。
コートに辿り着き、私たちはネットフェンスへ向かう階段を下りていった。瑛士が通行用のドアを開くと、「おっ、化け物おっちゃん!」「今日も来てくれたんすね!」と、練習着姿の男子小学生が、喜色満面で騒ぎ始めた。
あのタイム・スリップの後、瑛士はサッカー部に復帰した。一度辞めた罰としてDチーム(四軍)からの再スタートだったけど、わずか一週間でCチームに昇格した。
C昇格後も快進撃は続き、高一の終わりにはBに、高二の秋にはAに上がった。高校最後の選手権大会では、全試合に先発出場。準決勝まで苦戦しつつも勝ち進んだけど、決勝の相手が悪かった。
決勝戦、センターバックの瑛士のマーク相手は、後に日本人で初めてマンチェスターシティのトップチームに所属する天才、佐久間選手だった。瑛士はどうにか押さえ込もうとしたけど、才能の差は歴然。瑛士は何度も抜かれてハットトリックを食らい、龍神高校は一対四で敗北した。
試合後のインタビューで、瑛士は男泣きしながら、「何すかあいつ、化け物でしょ、化け物にも程があるっての」と喚いた。その姿が話題になって、瑛士は今やサッカー少年の間で、「佐久間に完敗して化け物化け物言った人」だった。
結局瑛士はどのクラブからもオファーがなく、大学に進学した。サッカーは続けたけどプロにはなれず、大学卒業後に物流会社に就職した。
ただ瑛士は、自分の進んできた道を後悔してはいない様子だった。今でも時々由衣香たちに、自分の選手時代の武勇伝を誇らしげに語っている。
高校以降、私と瑛士は進路が分かれたけど、月に一、二度集まって例のボールでブラムたちと交流を続けた。
その後、ブラムは本物のアルマと、エドは白人の女性と結婚した。結婚式の日、喜びと家庭を持つ責任意識とで、二人はとてもいい顔をしていた。
私は自らの二十八歳の誕生日、祝いに来た瑛士から「結婚しよう」と真剣な調子で告げられた。私は少しの逡巡の後、プロポーズを受けた。
それまで明確に恋人同士だった訳ではないけど、瑛士の強さと真っ直ぐさは、既に充分理解していた。瑛士となら、やっていける。強固な確信が私にはあり、今でもそれは少しも変わらなかった。
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