第四章 Repatriation

1話~2話

第四章 Repatriation


       1


 翌日の新聞には、桐畑たちの試合の記事が、掲載された。それゆえか、一般生徒の歓待は一回戦の突破時よりも大きかった。教室でも廊下でも握手を要求された桐畑は、優勝への決意を強めた。

 準決勝の次の日の午後練は、イギリスで頻発する突発的な土砂降りだった。しかし、練習は通常通りに行われた。

 準備体操などが終わり、シュート練習に移った。キーパーの一人が体調不良で休んでおり、ダンが代わりに片方のゴールに入っていた。

 練習開始から五分が経ち、桐畑は、中央の二列の左側に並んでいた。静かに雨が降る芝生のコートには、ところどころに水溜まりが見られた。

 左からクロスを上げる選手が、助走を開始した。桐畑は全力で地面を踏み締めて、ニア(クロスが上がるサイドから近い位置)へと加速を始めた。

 クロスは、走る桐畑の足の間へと転がる。桐畑はとっさに後ろの左足を動かして、ショート・バウンドを捉えた。踵を用いたトリック・シュートだ。

 ボールはゴールの左上の隅へと向かうが、ダンは伸ばした両手でセーブした。

 ダンの前へとボールが転がる。さっと拾い上げた桐畑は、ブラムの後ろへと並び直した。

「今のコースを軽々シャット・アウトかよ。いいとこに飛んだと思ったんだがな。つくづくこの若校長は、侮れねえよな」

 感服する桐畑は本音を漏らした。

「ダン校長は学生時代、ハンドボールという球技の選手だったんだよ。知名度の低いスポーツだが、相当な腕前だったらしい。フットボールを学び始めた時期は、先生になってからだ。目下の俺たちにも礼儀を尽くすところといい、目標とすべき偉大な大人だ」

 真剣な目で前方を見たまま、ブラムはしみじみと語った。「ああ。校長がこの話をされた時、ケントもいたっけか」と、すぐに軽く付け足しがある。

 桐畑は、気持ちを目の前のシュート練習へと切り替えた。

「身体を被せて、シュートを低く抑えていけ」と、ダンの重厚な声が、灰色の支配するグラウンドに響き渡った。


       2


 その日の練習後のミーティングで、ダンは、決勝の相手となったウェブスター校から招待状が届いた旨を告げた。「我が校で行われる練習試合を、観に来られませんか」という内容だった。

 翌々日の放課後、桐畑たちは、キングス・クロス駅へと集合した。グレート・ノーザン鉄道の機関車を利用し、ピーターバラ所在のウェブスター校へと赴くためだった。

 石造りのキングス・クロス駅は、行き交う人々でごった返していた。頭上の円形の屋根には窓があり、プラットホームに心地よい光が降り注いでいた。

 機関車に乗り込んだ桐畑は、中を進む。床や壁は深い茶色で、腰の高さを縦に貫く手摺は黄土色だった。

 空きのコンパートメント(仕切られた座席)に入るべく、桐畑は、上半分が窓となったドアを開いた。コンパートメントは、木製の二人席が向かい合った造りだった。桐畑は、窓際の席に腰を掛けた。

 ほどなくして、ダン、エド、ブラムが入ってきて、桐畑のコンパートメントは席が埋まった。

「うわっ、きれーな景色! まさに、古き良きイギリスって感じだ! これこそ、機関車のダイゴミだよな!」

 桐畑の正面の座席に膝を突き外を見るエドは、元気が一杯で喚いた。窓の向こうの田園風景に、きらきらした眼差しを向けている。

「古き良きイギリスって、お前はそこまでイギリス史には詳しくないだろ? エドって、いちいち大袈裟だよな」

 エドの隣のブラムが、風景に静かな表情を向けながらやんわりと指摘した。

 するとエドは膝立ちを止めて、窓に向かっての正座の体勢になった。握った両手を膝の上に置き、考え込む風な面持ちだ。

「やっぱ俺って、子供っぽいかな。ブラムやアルマは一個しか変わらないのに、なーんか大人大人してるしなー。マルセロは、死ぬまでガキ大将だろうけどさ」

「いやいや、早合点するなよ。言葉の選択はともかく、身の回りのいろんな事柄に感動できるところは、紛れもないエドの長所なんだから。俺らはむしろ、見習わないといけないんだよ」

 悩ましげなエドの返答に、ブラムは熱を籠めた調子で即答した。

「おうっ、サンキュ! そやってサクッと人を褒められるところが、ブラムの長所だな!」

 快活に笑ったエドが、軽快な調子でブラムを褒めた。

「ああ。ありがとう」と、ブラムは不意を突かれた風に答えた。

(こいつらほんとに、仲が良いよな。エドを拒絶しやがったポルトガルのクソどもの後じゃあ、余計に染みるぜ)

 まだ笑顔のままのエドを見詰めながら、桐畑は微笑ましい思いだった。

 言葉が途切れた。何気なく外に目を遣る桐畑の耳に、機関車のシュコシュコという走行音が聞こえ始めてくる。

「ダン校長。ウェブスター校がどんな学校か、詳しくご存知ですか? 一昨日は、社会主義団体が設立した、とだけ仰っていましたが」

 ダンに身体を向けたブラムが、改まった口調で尋ねた。背筋は伸びており、表情は引き締まっている。

 桐畑の隣のダンは、落ち着いた目でブラムを見返しながら、静かに返答をする。

「ウェブスター校の母体は、革新Fellowship社会of the同士会Progressive。社会主義社会を理想と位置付ける団体だ。ウェブスター校はホワイトフォード以上に、スポーツに秀でた子供を集めてきている。ただ、良くない噂もある」

「ダン先生、それって、どうゆう噂?」

 訝しげな雰囲気で、エドが即座に問うた。

「流言飛語に過ぎない可能性もあるが、やはり、関係者である君たちには教えておこう。競技の種類に関わらず、ウェブスター校と対戦する選手は、試合の前に怪我をする割合が高い。それも練習中ではなく、路上で突然何者かに襲われた、などの事件性のあるものだ」

 ダンの語調はなおも冷静だが、言葉の端々に深い懸念が感じられた。

 驚いた桐畑は、ダンと同じ抑えた声で尋ねた。

「そりゃあ聞き捨てならねえな。確実に勝つために、敵の選手をあらかじめ潰しておく、ってわけですか?」

「色眼鏡を外して考えても、その可能性は否定できないな。英国民が熱狂するスポーツを通じて、どんな手段を用いてでも、社会主義の優位性を詳らかにする。そういう発想を抱く輩も、中には存在する」

 ダンが言葉を切り、再び機関車の走る音が耳に届き始めた。

(朝波じゃねえから詳しくは知らんが、社会主義も、人を幸せにするためのシステムなんだろ。怪我で人を不幸にしてどうすんだっつの。本末転倒、甚だしいだろうがよ)

 確証のある事実でないにも拘わらず、桐畑の胸には怒りが生じ始めていた。

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