3話~4話

       3


 小奇麗な物置のような更衣室に入った桐畑は、エドの姿を発見した。ゆっくりと接近しながら「エド、ちょっと訊きてえんだが」と、何の気なしに話し掛ける。

 しかし、エドは、前に遣った両腕に脱いだシャツを通したまま、深く考え込むような面持ちだった。異変を察知した桐畑は、立ち止まった。

 一瞬の間を置いて、「おう、ケント。なんか用?」と、応答があった。しかし、心ここにあらずな声は普段より低く、難しい顔付きもそのままだった。

 たじろぐ桐畑は、「ごめん、やっぱなしで頼む」と、早口で呟いて振り返った。

「深い因縁」というダンの言葉が今更ながら重く感じられ、自分の軽薄さを悔い始めていた。

 その後の学習時間と自由時間でも、何度かエドに尋ねるチャンスがあった。しかし桐畑は、なかなか踏ん切りが付けられなかった。エドの反応が予想できず、怖かった。

 翌日の早朝練習でも、話を切り出せなかった。遥香の「君も知っとくべき」との台詞を思い出して若干の焦りを感じながら、一限目の会場の、小さめの芝生のグラウンドへと向かう。月に一度の、軍事教練の授業があった。

 軍事教練は男女別だが、一つ下の学年と合同だった。教師は壮年の厳めしい男で、豪勢な装飾の付いた赤の上着と、チューリップ・ハットのような黒い帽子を身に着けていた。桐畑のイメージする軍人そのもの、といった風体だった。

 授業の初め、教師は誇らしげに生徒へと長話をした。軍事教練は、未来を担う学生の心身の発達、ひいてはより暮らし良い世界の構築のためのものであり、必ずしも、大英帝国に自分の身を捧げる必要はない、という内容だった。

 桐畑は、教師へと畏敬の念を抱くとともに、世相の暗さを否が応にも感じた。

 教師の弁論を聞き終えて、生徒たちは列になっての行進へと移った。過去にテレビで見た北朝鮮の軍隊のように足音は揃っており、またしても桐畑は、現代日本との時代背景の違いを痛感した。

 行進の後には筋力トレーニングなどもあったが、その日のメインは、格闘訓練だった。胡坐を掻く生徒の前に立つ教師は、エドと桐畑の名前を呼んで戦うように命じた。

(エドって、カポエィラの達人なんだろ。太刀打ちできんのかよ。見本をさせられるあたり、ケントも相当な使い手だったのかもしんねえけど、今の俺には、そんなスキルはないぜ)

 急な展開に、桐畑は狼狽えた。だが、前方へと歩きながらなんとか覚悟を決めて、エドと向き合う。腕を十字に組んで伸ばすエドは、研ぎ澄まされた良い表情をしていた。

 教師の「始め!」の大音声の直後、エドがくるりと滑らかに一回転した。

(あ、やばい)と焦った瞬間、回転の勢いそのままに、左足が飛んで来る。視界が凄い速度で右へとぶれて、桐畑は気を失った。


       4


 一瞬の後に、桐畑は立位の状態で目を覚ました。すぐに地面に目を遣り、自らがサッカー・コートのセンターサークルの上にいると気づいた。

 遥か前方に視線を向けると、サッカー・スタジアムの屋根と観客席とがあった。屋根は透明の素材でできており、鉄骨の梁はどこにもなかった。

(俺の知るどのスタジアムも、屋根には鉄かなんかで支えがあんぞ。よくは知らんが、あれで保つのかよ?)

 訝しむ桐畑は、次に観客席の椅子に着目する。屋根と同素材なのか椅子も無色透明で、フォルムは流線型。構造は遠目からもわかる、近未来的なものだった。

(……っつーか、なんかかるーく宙に浮いてねえ? どうにかしちまったのかよ、俺の目はよ)

 桐畑が混乱していると、地面をぬるりと擦り抜けて何かが浮上してきた。

(えっ! 何だこれ? 俺?)

 地上に現れたのは、桐畑の姿をした者だった。ただ服装は、銀を基調としたサッカーのユニホームで、素材は異常なまでに滑らかだった。胸には、楕円と三角形を組み合わせた摩訶不思議な紋様があった。

「ごきげんよう、桐畑瑛士様。貴重な貴重な十九世紀の旅を、ご満喫くださっているようで何よりです」

 桐畑自身の声で、桐畑が発したとは思えない丁寧な口調の言葉が飛んできた。

 慌てる桐畑は、「お、おう。ありがとう。けっこう楽しんじゃあいるがよ。それは置いといて、あんたはいったい何者なんだ?」としどろもどろで返した。

「私は、私どもは、まだ貴方に正体を現すわけにはいきません。ただここで助言を一つ。貴方の周りで苦しんでいる人物は、エド以外にもう一人います。これからその人に関わる問題が表面化してきます。その時貴方はその人の気持ちに寄り添い、曇りのない思考を以て解決策を導かねばなりません。ゆめゆめ忘れることのなきよう」

 にこりと型に嵌まった笑顔の直後、桐畑の姿をした者の両眼が銀の輝きを見せた。その瞬間、桐畑は再び意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る