第三章 Eduardo's Suffering
1話~2話
第三章 Eduardo's Suffering
1
ダンの講評の後、会員たちは帰途に就き、昼過ぎにホワイトフォード校に戻った。
荷物を寮に置いた桐畑は、三限目のスポーツ神学の教室に向かう。平日なので、出られる講義には出る決まりだった。
日本にいた頃、桐畑は、授業はできるだけ休みたかった。だが、過去のイギリスで遥香の生き方に触れて、自分でも単純だとは感じていたが、心境は変化を遂げた。
(先生つったら、俺らの大先輩だもんな。ちゃんと話を聞いてりゃ、なんぼでも学べるはず)と、前向きな姿勢になっていた。
教室の入口、桐畑と遥香はばったりと出会った。立ち止まって視線を交わしてから、同時に入室する。
たちまち、派手ではないが精力的な拍手が起こった。見回すと、二人掛けの机のほぼすべてを埋める生徒たちが、起立して手を叩いていた。面映ゆい表情の者が多く、中には、目を潤ませる者さえ見受けられた。
帰路の時間で高ぶった気持ちが収まりつつあった桐畑だったが、皆の歓待により、達成感が甦り始めていた。
桐畑たちより先に帰ったのか、すでに教卓にいたダンも、厳粛な佇まいで手を叩いていた。目上の人格者からの拍手は嬉しくはあったが、恐縮な思いが強かった。
二人が着席すると、すぐにダンは講義を開始した。内容はやはり多種多様で、人生相談の時間におけるダンの朗らかさも相変わらずだった。
授業を終えた桐畑は、遥香とともに廊下を歩く。
結社の活動は、準々決勝に出場した選手はオフだったが、ベンチのメンバーの練習を見る予定となっていた。
生徒たちが行き交う廊下を、桐畑と遥香は隣り合って行く。
「いっやー、半端ないスタンディング・オベーションだったな。鼓膜が破れるかと思ったぜ。俺ら完全に、世界を救ったヒーロー様扱いだよな」
遥香へとわずかに頭を向けた桐畑は、感じた驚きを包み隠さず口にした。
心地よい笑みの遥香は、前を見たまま、弾むような調子で返事をする。
「イギリス人の愛校心は、私たち日本人の想像以上に強いからね。父親は、子供が生まれる前から母校にその子の名前を登録してた、って逸話もあるらしいし」
「そこまでやんのかよ。よっぽど在校中に、良い思いをしたってわけだ。でも正直、子供の意志も汲んでやれとは、思わんでもねえな。親になった経験はないから、高校生のガキの生意気な考え方なのかもしれんがよ」
桐畑の控えめな主張を受けても、遥香は依然として、鷹揚な笑顔だった。
「自分の所属する集団を、誇りに思う気持ちって大切だよ。自国を深く理解して愛している人ほど、他の国の良さに気が付けるって聞くしさ。ムッソリーニみたいな方向に行っちゃあ、ダメだけどね」
歌うような遥香の口振りに、桐畑は、自分の過去を振り返って静かに胸の内を吐露し始める。
「俺、中学の部じゃキャプテンでよ。自惚れ抜きで客観的に見て、完全完璧、絶対的なエースだった。でも、チームのために動こうっつー発想はなかったな。いっつも、自分がどんだけやれるかばっか考えてた。今以上に子供だった」
言葉を切っても、遥香からの返答は来ない。しかし、遥香は桐畑の自省を促しているかのように感じられ、沈黙は気詰まりではなかった。
「朝波は、中学上がりで龍神は長いよな。学校やサッカー部への想いっつーか、愛着は、どんぐらいのもんなんだ?」
できるだけ柔らかく訊くと、遥香の雰囲気に真剣さが混じり始める。
「学校にも部にも、語り尽くせないぐらい世話になったよね。今の私があるのは、間違いなく龍神のおかげ。だからこのまま大人になったら、子供には、自分と同じように龍神に入って、サッカーをするよう勧めようって考えてるよ」
遥香の語調には、穏やかだが強い決意を感じた。
(良い顔をしてやがる。充実した学校生活を送ってきたんだな。羨ましいぜ)と、桐畑は思考を巡らせる。
「でも、どうなんだろうね。私は子供ができる年齢になったら、他人の一生を左右する選択をできるほどの良識を持てているのかな。正直、とっても不安だよ」
懐疑的な遥香の問いに、桐畑は沈思する。「一歩一歩、前に進んでくしかねえよな」と呟いたが、我ながら臭い台詞に感じた。
2
グラウンドに赴いた桐畑たちは、すぐに練習着に着替えた。全会員でのアップの後に、紅白戦を観戦する。
控えメンバーは全体的に年齢が低く、技術はまだまだ未発達だった。しかし、身体のぶつけ合いのような、荒々しいプレーを避けるような者はいなかった。
レギュラーに劣らぬサブの気迫に、桐畑は気持ちを引き締め直した。
(うかうかしてらんねーな。レギュラー落ちは、龍神でもう懲り懲りだしよ)
練習後、グラウンドの端のダンの元に集まった。立位の会員たちは円を成し、その円の一地点にいるダンの話を聞く。
ダンは紅白戦の総括の後に、控えでも目立てば、すぐさまスターティング・メンバーとして試合に出す旨を、貫録のある様で告げた。以降も、一般的なスポーツの監督が口にしがちな激励が続いた。
だが、ある時ふっと顔を固くしたダンは、口を閉じた。
「すでに知っていると思うが、私たちの試合と同時刻に、英葡永久同盟に基づく王室特別招待枠の全ポルトガル代表と、ブランデルズ校との準々決勝があった。結果は、二対〇でポルトガル代表の勝利。私たちの準決勝の相手は、ポルトガル代表となった」
先ほどまでの活力に溢れた話し振りから一転、ダンの口調と面持ちに苦々しさが混じり始めた。
(この時代のポルトガルって、実際どうなんだ? フィーゴ、ルイコスタ、クリロナはパねぇが、生まれてすらねえだろがよ)と、桐畑はひそかに首を捻る。
「君たちの中には、ポルトガルに深い因縁のある者もいる。だが、フットボールはフットボールだ。気負わず弛まずスポーツマンシップを発揮して、後腐れのない勝利を収めよう。以上だ」
練習を締めたダンにお礼を告げた会員たちは、男女に分かれて、ぞろぞろと更衣室へと向かい始めた。
わけのわからない桐畑は流れに乗らず、最下級性の三つ編みの女の子と親しげに会話していた遥香に駆け寄る。
「あさな……、じゃなくて、アルマ。一個訊きたいんだけど、今、時間は良いか?」
桐畑がはっきりと問うと、「ちょっと待っててくれる? ごめん」と、遥香は、三つ編みの女の子に慈しみを籠めた調子で謝った。
「うん」という小声の返答を受けて、遥香は薄く微笑んだ。その後、すぐに桐畑に歩み寄る。
「どうしたの。何か、緊急の用件?」
桐畑の目をまっすぐに見る遥香は、いつも通りの爽やかな雰囲気だった。
「暗黙の了解みたいになってっけど、校長の台詞にあった、『ポルトガルに因縁のある者』って、誰なんだ?」
純粋に疑問を解消したいだけの桐畑は、重く聞こえないように問い掛けた。すると、遥香は唸らんばかりの表情になった。
「会話中に割り込んでするほどの質問かな。まあでも、君も知っとくべきだから教えるけど、エドだよ。ただ、どこまで教えて良いかは私の裁量じゃ決められないから、本人に直接尋ねてくれるかな」
「この時代に来たの、俺と三日しか変わんねえんだよな? 朝波はよく知ってるな。ああ、『アンテナを張った生活』の賜物か」
機嫌を戻した様子の遥香に、桐畑は、感心をそのまま口に出した。
「うん、そうだね。初日に小耳に挟んだから、さり気なくエドに尋ねたら、全部、教えてくれたよ。エドって、本当にアルマを信頼してたんだね。それと本物のアルマも、遠慮して訊いてなかったのか、まだ知らなかったみたい」
どことなく投げ遣りな口調が引っ掛かったが、桐畑は、「わかった。サンキュな」と軽く告げて、男子更衣室へと方向転換をした。
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