7話~8話

       7


 準々決勝の相手は、同じロンドンにあるイートン校だった。桐畑たちは、九時半に会場のイートン校へと赴いた。

 フットボール・コートは芝生で、赤茶色の建物や立派な広葉樹に囲まれていた。平日なので一般の生徒は授業があり、観客は少なかった。

 到着後すぐにダンは集合を掛けて、スターティング・メンバーを発表した。

 フォーメーションは、紅白戦とは異なる1―3―6。一列に並んだフォワードには、左から二番目に遥香がおり、その右に、ブラム、桐畑、エドの順となっていた。

 アップを終えて十一時前、タッチライン上での挨拶を済ませた両チームは、コートに入っていった。

 キック・オフのボールはホワイトフォードのものになり、桐畑とブラムはセンター・マークに集った。

「ダン校長の指摘の通り、左のフルバックの2番は、上背もあるし動きは速い。前線に上がってきたら注意を要する。だけど他の連中は恐れるに足りないよ。気持ちよく勝って、準決に弾みを付けよう」

 前方に鋭い視線を遣りながら腰に手を当て、ブラムは落ち着いた声で呟いた。しかし桐畑は、新事実に気付いて考え込んでいた。

(朝波の推測が正しいとすると、負けたら俺らは、元の時代に帰れないんだよな。それって、めちゃめちゃやばくねえか?

 親やダチとも会えなくなるし、医療は発達してないから、大きな病気に罹ったら一発アウトだ。それに、二十世紀に入ったら第一次世界大戦も始まって、下手をすりゃ戦場に送り込まれちまう。

 こりゃあ、中学の総体どころの騒ぎじゃねえぞ。冗談抜きに、俺の人生が懸かってる。どうする、俺。こんな試合で、まともに動けんのか?)

 尻込みする桐畑を余所に、試合開始のホイッスルが鳴った。桐畑は思考を空転させながらも、ボールをわずかに前に出した。

 次の瞬間、桐畑の視界をボールが横切る。高い弾道のボールは、美しい弧を描いて飛んでいった。

 キーパーは右上に跳躍するが、右手をわずかに掠めただけ。ゴールの隅にシュートが決まり、一対〇。四十m弾による、ホワイトフォードの先制点だった。

「全員、硬くなりすぎだよ。リラックスリラックス。大会なんて滅多にないんだから、楽しんでいこう」

 得点者、ブラムの、冷静ながらも心なしか弾んだ声が桐畑の耳に届いた。驚嘆の思いでブラムを眺める桐畑は、目の前の靄が晴れていくように感じていた。


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 前半十五分、スコアは依然として一対〇だった。しかし、始まってすぐのブラムの好プレーによって、流れは完全にホワイトフォードにあった。

 左のライン際、ボールを持つ遥香に敵が寄せていく。

 身体を揺らしてフェイントを掛けた遥香は、中に切り込んだ。「ケント!」と、中央の桐畑に、速いパスを転がす。

 遥香のキックの瞬間に周りを見ていた桐畑は、さもシュートするかのように走り込む。桐畑をマークする2番は、阻止すべく前に回った。

 しかし桐畑は、両足の間を通してボールに触れずに、後ろのエドに流す。

「ナイス判断! やっべ、大チャンスじゃん!」

 緊張感ゼロで喚いたエドが、助走を取って右足で打つ。

 勢いはあったが、シュートはコースが悪かった。キーパーがキャッチし、ゆっくりと前方を見回す。

「エドー! 枠には飛んでるけど、そこまで回り込んで打てる場面、あんまりないよー! 左足でも打てるように、練習をしてかないとねー!」

 遥香の明朗な大声に、「了解! 努力しまーす」と、エドが似た調子で返した。

 試合中の遥香は完全に、演技を捨てていた。

 自陣へとすばやく引く桐畑は、じんわりと満足感を感じ始めた。

(さっきのスルーは、日本にいた時にはできなかったよな。オフサイドが厳しいこの時代のルールで練習してきたから、視野が、前だけじゃなくて横にも広がったってわけかよ。ちょっと変わったサッカーも、捨てたもんじゃねえ、か)

「フォーメーション、変更! 1―3―6!」

 相手のベンチからの嗄れた声が、唐突に聞こえた。

すると、フルバックの位置にいた2番が前へと移動し、右のセンター・フォワードの位置に収まった。

「ディフェンス陣! 2番に注意!」

 片手でメガホンを作ったブラムが、きびきびと叫んだ。間髪を入れずに、キーパーが手に持ったボールを大きく蹴り出す。

 高く上がったボールに、2番が向かう。と同時に、他の選手が疾走を開始。ホワイトフォードの守備を惹きつける。

 落下点には敵の2番と、ホワイトフォードの3番がいた。手で激しくやり合って、同時に跳ぶ。

 難なく競り勝った2番は、首を引いてボールを斜め下に落とした。ゴールに背を向けたまま足の裏でボールを転がし、3番の股を抜く。

 もう一枚のディフェンスがスライディング。しかし2番は、爪先で軽くボールを浮かせて躱した。

 2番はボールの最高点で、身体を寝かせたジャンピング・シュートを放った。ゴールの左隅へとシュートは飛ぶ。だがキーパーが、横っ飛びで弾く。

 ほぼ真上に向かったボールを、瞬時に起き上がったキーパーが捕まえた。ホワイトフォードの、ゴール・キック。

「ナイス、キーパー! 良い反応、良い反応ー! 2番はちょっと怖いけど、集中していけば充分、抑えられるよー! 自信を持ってやっていこー!」

 遥香の快活の励ましも、焦り始める桐畑には空元気にしか聞こえなかった。

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