3話~4話
3
ふわふわ、ふわふわと、夢を見ているような捉えどころのない思考が巡る。そこに段々と、両手と頬へのひんやりとした感触が割り込んでくる。
しばらくして桐畑は、自分の意識がまだ存在する事実に思いが至った。
おもむろに目を開くと、三角屋根の、黄土色を基調とした二階建ての建物が視野の端まで続いていた。西洋風の古風な作りで、装飾の付いた窓が長い歴史を感じさせた。
両手を地に突いた桐畑は、ぐっと力を掛けて立ち上がった。
目の前には、桐畑の背より少し高いかまぼこ型の扉と、扉に続く数段の上り階段があった。階段は下りのものが両脇にもあり、桐畑は、自分がいる場所が踊り場に当たる事実に気付いた。
後ろを振り向くと、テニスすらできそうな広さの土の地面の向こうに、紅葉した広葉樹が風に揺れていた。かすかに感じる肌寒さからも、季節は秋だと予想ができた。
(いったい、ここはどこなんだ? やっぱり天国か? にしちゃあ、だいぶ神聖度が低いがよ。でも、あんな狂気染みた連中に襲われて、死なずに済むわけがねーよな)
どうしようか迷っていると、背後からぎぎと、低くて鈍い音がする。
「ケント? あなた、早朝練習、出ていなかったよね? 体調が悪いなら仕方がないけど、やっぱり連絡はしてほしかったよ」
遠慮に満ちた消え入りそうな声を耳にした桐畑は、素早く振り向いた。
すると、十代半ばと思われる西洋人の女の子が、わずかに開けた扉の間から心配そうな顔を覗かせていた。
深窓の令嬢風の、儚げな美少女だった。二重瞼の目はぱっちりとは開かれておらず、病弱な印象すら受ける。ややウェーブした金と茶の中間色の髪は肩まで達しており、よく手入れがなされていた。
華奢な身体は、白のシャツと赤茶色のブレザーに包まれていた。胸元には、三つの図形が組み合わさったエンブレムが見受けられた。
女の子から目を離せない桐畑は、混乱を加速させる。
(は? このお淑やかな子は、なにをふざけてやがんだ? ……いや、ちょっと待て。さっき何語だったよ?)
「二回目の
女の子の語調は柔らかく、口角を上げた笑みは穏やかだった。しかし、桐畑は当惑をますます強める。
(やっぱ英語だ。何で俺は意味が理解できんだよ? 英語なんて、ろくに勉強もしてこなかったっつーのに)
知り合いに連絡を取ろうと、普段携帯をしまっているズボンのポケットに視線を落とす。しかし、またしても驚く結果となる。
桐畑の服装は、所属する龍神高校のものではなかった。白のワイシャツ、黒のネクタイ、赤茶色のズボンにブレザー。胸元には、女の子のものと同じエンブレムがあった。何の気なしに触れた頭には、水泳キャップに近い形の布製の帽子が載っかっていた。
顔を上げた桐畑は、早口で女の子に問い詰める。
「あの、俺、マジでわけがわかんなくて。ちょっと訊いて良いかな? 君はどうゆう名前のどうゆう子で……」
この妙に静かな場所は、どこなんだよ? と続けようとして、はっとする。出てきた言葉は、全て英語だった。
呆然とした桐畑は、ぴたりと固まった。理解を超えた大きな力に、翻弄されている感覚だった。
「私? アルマ・エアリー。なんだか本当に、具合が悪いみたいね。朝食を取ったら、きっと元気が出るよ」
思い遣りに溢れた語調のアルマが、弱々しく笑い掛けてくる。
いつまでもぼうっとしてはいられないと思い直した桐畑は、ぎこちない足取りで門へと歩いて行った。
4
アルマは、ゆったりとした歩調で廊下を行っていた。二歩ほど後ろに位置する桐畑は意味もわからず、きょろきょろと周囲に目を配る。
建物は、外観に違わず内部も西洋を感じさせる作りだった。アーチ状でクリーム色の天井は高く、施されている彫刻は緻密である。壁は、茶色や焦げ茶色のレンガでできており、爽やかな光が大きな窓から射し込んでいた。
前方から、一、二歳年上と思われる二人の西洋人の女子生徒が、親しげな雰囲気で話しながら歩いてくる。二人の着るブレザーは群青色だが、胸元のエンブレムは桐畑たちと同じものだった。
戸惑いの収まらない桐畑は、擦れ違ってからも二人に視線を遣り続けていた。が、しばらくして向き直り、大人しくアルマに従いていく。
その後もアルマと桐畑は言葉を交わさずに歩き続け、廊下の角を曲がった。
すると、RPGゲームに出てきそうな、背丈の高さのシンプルな木の扉が、桐畑の視界に飛び込んできた。
「あのさあのさ、俺らってどこに向かってるわけ? もうちょい説明してくんねえと、状況が把握できねえって」
耐え兼ねた桐畑は、軽い声で囁いた。
円形の金属製の取っ手を掴んでいたアルマだったが、やがてそろそろと腕を下ろした。すっと身体の向きを変え、桐畑と向き合う。細く形の良い眉毛は、わずかに不審げに顰められている。
「なんか、さっきから当たり前の質問ばっかりするよね。ねえ、どうしたの? 良くないものでも食べた?」
不審げな声音にややむっとした桐畑は、控えめに言い返す。
「そりゃあ言い過ぎじゃねえ? こちとら、訳のわからない出来事続きで、理解が周回遅れしてんだよ。もうちょい協力してくれても、罰は当たらんだろ」
「……訳のわからない出来事? 説明してくれる? できるだけ詳しくお願い」
アルマの語調が訝しさを増す。
「おう、了解」と、桐畑は即答した。
「まず初めに、急に空から降って来たボールに、頭をかち割られそうになったな。で、数秒後に、どっかから湧いて出た妙な奴らが、凄い勢いで迫ってきたよ。そいつらにぶつかったと思ったら気を失って、そんでここで目を覚ましたっつー訳だ。踏んだり蹴ったりたぁ、まさに今の俺の状況だわな」
桐畑は、一定の冷静さを保ちながら毒突いた。
「……、空からボール、ね。そのボールって、すごい古かったりしなかった?」
「ああ。サッカーが生まれてすぐの、イギリスのボールっぽかったな」
何気ない返答を聞いたアルマは、何かを決心したような真顔になった。少しの溜めの後に、再び口が開かれる。
「それじゃあ、単刀直入に訊くね。あなた、名前は?」
「龍神高校一年の桐畑瑛士……ってそういやあんたは最初、俺をケントって呼んでたよな。ありゃあ、どうゆう冗談? まあ、まったく笑えやしねえけど」
純粋に疑問を口にする桐畑に、アルマは口を引き結び、難しい表情になる。
胸元に手を遣ると、年季の入った円形の鏡を取り出して、桐畑の顔の前にすっと差し出した。
軽く身を躱した桐畑は、しぶしぶ鏡を手に取り、覗き込んだ。
「……いやいや、おふざけもほどほどにしとけよ。なんなんだよ、これは」
桐畑の口から、呆れと驚きの混じった声が漏れる。鏡の向こうでは、茶髪で碧眼の西洋人が、揺れない瞳で桐畑を見返していた。
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