花、咲きわたる

流々(るる)

証書授与のない卒業式

 いつもと変わらない教室なのに、教壇がよそよそしく感じてしまう。

 二週間ぶりに会った生徒たちは欠席する者もなく、みな元気そうで安心した。マスク越しの笑顔が、いつもと違う寂しさを伝えてくる。


 新型ウイルスによる突然の休校が、中学校での最後の二週間を彼らから奪ってしまった。

 楽しみにしていた謝恩会も中止になり、この卒業式さえ開催が危ぶまれた。

 われわれ担任はもちろん、PTAからの嘆願もあり中止はまぬがれたものの、体育館での式典は取り止めとなった。来賓だけではなく、保護者も参列できない。生徒たちは各教室でスピーカーから流れてくる校長の話を聞いているだけ。

 こんな形でしか、送り出してあげられないなんて……。

 椅子に座ってきちんと背筋を伸ばしている彼らを見ていると、もう少し何とかできなかったのかという思いが消えない。


 この日のために練習をしてきた歌を披露する場もなく、三十分もかからずには終わった。

 各々の机には布張りのファイルに収められた卒業証書がぽつんと置かれている。

 あとは私が最後の挨拶をして送り出せばいい。

「みんな、卒業おめでとう。新型ウイルスの影響で突然休校になり、卒業式もこのような形になってしまったことを……」

 いろいろな思いがこみ上げてきて言葉に詰まった。


「先生、大丈夫っすよ」

 謝恩会で司会をやるはずだった坂本康太が声をあげた。顧問をしている演劇部の活動を引っ張ってきた、明るい子だ。

「俺たち、九年前にも経験してるから。ある意味、ってやつ?」

「保育園の卒園式も中止だったよね。わたし、覚えてるよ」

「小学校の卒業式も何かあれば面白かったのに」

「それはさすがにヤバいっしょ」

 一気に教室がにぎやかになった。

 九年前――そうか、東日本大震災で……。

 状況こそ違うけれどあの時も同じような経験をしているのか。

 本人たちはもちろん、家族の方たちの胸中は察するに余りある。

 子どもたちの門出を、立派に成長した姿を目に焼き付けたかったことだろう。

 学校運営にたずさわる者の一人として、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「先生が泣いてたらいつまでたっても帰れないっスよ」

 浜口たけしの一言でどっと笑いが起きた後、波が引くように静かになっていく。

 みんなが私の言葉を待ってくれた。

「今日でみんなの中学校生活は終わります。

 これからは社会に出て行くために学ぶこととなります。

 小学校、中学校はいわば種としての栄養を蓄えていた時間、これからはそれぞれのやりたいことや夢に向かって芽を出し、伸ばしていく時間が待っています。

 きれいな花を咲かせるかもしれないし、目立たない花でもしっかりと大地に根を張る木になるかもしれない。

 みんなのさらなる成長を楽しみにしています。

 卒業、おめでとう」


 最後のホームルームを終え、生徒たちと教室を出る。階段を降り、玄関ホールを抜けて校庭へ向かった。

 いつもならば在校生や保護者が両側に並んでアーチを作り、その中を卒業生が校門まで歩いていくのだけれど、今日は誰もいない静かな校庭が広がっていた。



 生徒たちの前に立ち、校庭に一歩踏み出したときだった。

 校門の外に見知った顔が見える。

 斎藤、高橋、井田、佐々木、門馬、菊池、中野、坂、渡辺……。

 去年そして一昨年の卒業生たちだ。

 私服のまま、誰もが手に一輪の花を持っている。

「どうしたんだ、みんなで」

 演劇部に所属していた佐々木をつかまえて、声を掛けた。


「卒業式は保護者も在校生も参列しないって聞いて」

「可哀想だからみんなで見送りに行こうって話になったんです」

「俺たち今、暇だから」

 髪を染めてピアスをした井田がニヤリと笑った。


 そうしている間にも門の外にはどんどんと人が増えていく。

 校内には入らず、校門前の歩道の両脇にOBたちのアーチが出来上がっていく。

 中には保護者の顔も見えた。

「ツイッターとLINEで拡散って、ヤバくね?」

 その様子を見ながら菊池が斎藤につぶやいていた。

 SNSも使い方によっては良い面があるのかもしれない。

 自ら考えて行動する。一、二年前までこの制服を着ていた彼らが少し頼もしく見えた。


 せっかくだからアーチが落ち着くまで生徒を待たせていると、副校長がやって来た。

「何の騒ぎですか」

「OBの高校生たちが見送りに来てくれたそうです」

 そういうと副校長が校門の前に進み出た。

「君たち、不要不急の外出は避けるように言われているだろう。すぐに帰りなさい!」

 大きな声をあげて手で追い払う仕草をした。


 彼らの思いを無駄には出来ない。

 おもわず副校長の腕をつかみ、校庭へ引き戻した。

「副校長、ここは公道ですよ。学校の敷地外のことにまで関わると、あとで面倒なことになるかもしれません。学校は関知していない、あくまでも彼らの自己責任ということにしておいた方が良いのでは」

 道路に背を向けて、声を潜めてささやいた。

 一瞬考えるそぶりを見せたが、不満そうな顔をしながらも副校長が校舎内へと戻っていく。

「永岡先生、いいお芝居でした。ありがとうございます」

「これでも演劇部の顧問だからね。部長の三浦にそう言われたら自信になるよ」

 マスクの下で笑顔を返すと、彼女の目も笑っていた。


「それじゃ、みんな。あらためて、卒業おめでとう!」

 マスク越しのくぐもった声でも生徒たちには届いただろうか。

 彼らはOBたちが作ったアーチの中を、お祝いの言葉を投げかけられ通って行く。かざされた花は様々だ。中には家の庭から切ってきたようなものもある。色とりどりの花が、それをかざす人たちの思いを受けて輝いている。

 こんな卒業式、どんな思い出としてみんなの胸に残るのだろうか。


 私はきっといつまでも忘れない。

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