魚心あれば下心

 さて。

 フロイラインも閉店し、我が家では少し遅めの夕食タイムを迎えたのだが。


「えへへぇ……」


 気がふれたかのように、小百合がずっとだらしない笑顔を見せている。口元からはヨダレが垂れてテーブルに水たまりを作る勢い。

 うむ、俺の妹はだらしない顔をしてもカワイイ。


「……いったいどうしたのよ、小百合?」


 しょうがないのであたしが代表で聞いてみるわ、みたいな態度の恵理さん。


「え、えへ、なにもないですよ?」


「うそおっしゃい。気味悪いったらありゃしないわ」


「え、ほ、本当になにもないんです。来週の日曜にお兄ちゃんとデートする約束をしたとか、今度の金曜日にお姉ちゃん家でお泊まりのお誘いを受けたとか、なにもないですよ?」


 どうやら小百合は隠し事ができない人種らしい。これなら俺の目の届かないところでグレる心配もないな。いいことだ。


 ……って。


「なに? 紗英からお泊まりの誘いあったのか? 小百合よ」


「は、はい。金曜日に、お姉ちゃんのお母さんが出張から帰ってくるらしく……紹介したいって」


「ああ……紗弓おばさん、出張ばっかりだったしなあ」


 紗英のお母さん、坪井紗弓つぼいさゆみさん。

 ガーリーな『パープルハウス』や、大人向け『アペタイト』などの女性ファッションブランドを展開する会社のオーナーだったりする。


 ま、そのせいで紗英は小さいころから女装させられ今に至るんだけどな。


「睦月。口が裂けても紗弓の前で『おばさん』とか言っちゃだめよ」


「おっとと」


 おふくろにたしなめられ、慌てる俺。

 紗弓さん、確かに成人した息子を持つ母親とは思えないくらい若々しいけどね。

 小さいころいたずら心で『おばさん』と口走り、女装したまま町内一周の罰を受けたトラウマは健在だ。


「そうだ小百合。紗英の家に行ったら、紗弓さんを『おばさん』と言わないようにな」


「え、ええ……もし言ったらどうなるんですか?」


「小百合がお嫁にいけない身体にされる」


「え、えええ!?」


 小百合が顔面蒼白。いったい何をされるのかという妄想中だろうか。

 たぶんその予想は外れていると思うが、青くなった小百合もかわいいので何も訂正しないでおこう。


「……あ、でも、もしそうなってもお兄ちゃんとずっと一緒なら特に問題は」


 ないのか。いや俺はそれでも嬉しいけどね。


「……っていうかね、あたし全く理解が追いつかないんだけど。小百合、どういうことなのかちゃんと説明しなさい」


 恵理さんがそこでようやく、保護者として小百合に説明責任を追及してきた。

 いい質問である。俺もお泊まり会に誘われた経緯を知りたい。


「あ、あの、お兄ちゃんとデートするのにおしゃれなお洋服がなくて、どうしようと思いお姉ちゃんに相談したら、『任せなさい』と言われてお家に招待されたんですが……」


 ああそういうことか。本当に隠し事できないね我が妹よ。

 デートのくだりは聞かなかったことにしておくのが兄の気遣いかな。お兄ちゃんの半分は優しさでできています。目指すは頭痛もおさまるバファリン兄だ。


「恵理さん。紗英のお母さんである紗弓さんは、『パープルハウス』とか『アペタイト』ってブランドを運営している『ニュートラル』って会社の経営者ですよ」


 兄として理想に一歩でも近づくべく、助け舟を出そう。


「え、マジ!? どーりであの派手な家!! つーか『アペタイト』なんてブランド、高すぎて手も足も出ないわよ!!!」


 恵理さんどうどう。

 俺の記憶ではそんなに高いブランドではなかったはず……いや、恵理さんの今までの生活を鑑みるに、そういう認識になるのも仕方ないのだろう。


「そんなブランドの服を小百合に……って、いくら請求されるの!? 払えないってば!!」

 

「そのへんは安心してください恵理さん。紗英を通じて、プレゼントとして見繕ってもらえるようお願いしてあるので」


「……なんですと?」


「隣に住んでるよしみで」


 紗弓さんはかわいい女の子が大好きなのだ。

 もちろん性的嗜好ではなく、自分のブランドの服をかわいい子に着てもらえることを喜びと感じる人種ってこと。小百合なら間違いなく合格できるはず。


「そうね。私も何度か紗弓から服をもらってるし」


「……なんですと……そんな恵まれた環境が……こんの、セレブどもめ!! あたしもおしゃれな服がほーしーいーーーー!!」


 恵理さんがキャラ崩壊しておる。をっしゃれーなブランドの威力はかくも偉大なり。


 …………


 うーん、でもまあ。

 おしゃれに目もくれず、小百合を苦労してここまで育ててくれたんだから。

 恵理さんにもおしゃれな服を着て小さな喜びを感じてほしい、なんて思ってしまうなあ。


「……じゃあ、恵理さんの分も紗英に頼んでみますか?」


「ほんと!? 何の関係もないあたしの服までタダでくれるような太っ腹な人なの!?」


「いやそれはどうだかわかりませんが……いちおう聞くだけならタダですし。紗弓さんは紗英には甘いし」


 そこまで言ってから、俺の両手はがっしりと向かいの席に座る恵理さんに握られた。


「おねがい! おねがいします! 神様睦月様紗英様!!!」


「お、おう……」


 イミフな返事をした俺と同じように、母親の必死な姿に気圧されていた小百合だが。


「あ、あの、お母さん? それで、金曜日にお姉ちゃんの家にお泊まりしても……」


 効果的なところで自分の主張。当然ながら答えは。


「いい! いい! 行ってあちらの母娘ともども仲良くなってきなさい!!!」


「いや紗英は娘じゃなくて息子ですが」


 恵理さんが浅ましくもありかわいそうでもあり。複雑。

 ま、なにはともあれ、小百合がかわいく着飾るところを見られるのは楽しみだな。紗英とのお泊まり会ってのがちょいとだけ妬ましいけど、我慢我慢。


 …………


 うーんと、今気づいた。

 恵理さん、知り合った初日に紗英に対して怒鳴ってるじゃん。あれで紗英の不興を買ってなきゃいいんだけどね。

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