第30話 お姫様抱っこと保健室。
日も高くなってきた頃、体育祭は午前中最後の盛り上がりを迎えていた。
行われている競技は2年生種目の騎馬戦。
それぞれの軍でいくつかの騎馬を構成し、騎手のハチマキを巡って争う団体戦だ。
2年生にとっては目玉とも言える競技である。
すでに男子の騎馬戦は終結している。俺も騎手の一人として奮闘したつもりだが、親衛隊を中心に構成された紅軍に惨敗を喫する結果に。
ユキの筋トレメニューを実直にこなした親衛隊のフィジカルが異常なレベルに達していたのだ。
あれは無理だ。勝てるビジョンが湧かなかった。
ということで、今は女子の騎馬戦が行われている。
応援団の星乃率いる白軍にはなんとか勝って欲しいところである。
そんな女子騎馬戦も、すでに最終戦の終盤。現在のスコアは一勝一敗だ。これに勝った軍の勝利となる。
残っている騎馬は両軍合わせて3騎。
白軍が2騎で、紅軍が1騎だ。
そのうち白軍の1騎では星乃が、紅軍ではユキが、それぞれ騎手をしている。
白軍としてはタイムアップを待てば勝てる状況だが、星乃たちはユキの騎馬を倒しに向かった。全ての騎馬を落とした方が点数は多く加算されるのだ。
しかしハチマキを渡さないユキの粘りに、会場、選手共々ヒートアップしてきている。
混戦を極めており、それぞれの騎馬にも疲れが見え始めた。
そんな時、それは起こった。
ユキの騎馬が足を滑らせ、バランスを崩した。白軍の騎馬の方へのしかかり、巻き込まれるようにしてそちらもバランスを崩す。
危ない……!
直感的にそう思った。
そう思ったとき、いやその直前には俺の身体は動き出していたと思う。
応援席からでは決して、ユキのピンチに間に合いはしないのに。
騎馬が完全に崩れて、ユキは宙に放り出された。そして地面へ落ちる。
俺は走るが、やはりまるで間に合わない。
が、ユキは持ち前の運動神経の良さでしっかりと受け身を取った。
一瞬の安心。
ここまでは良かった。
その直後、白軍の騎馬もひとつが崩れ、騎手が落ちる。
——ユキの真上に。
「いつっ……!」
砂埃が舞い、ユキの小さな呻き声が聞こえた気がした。しかし幸い、全身が衝突するということはなかったように見える。
踏まれたのは足だろうか?
足首のあたりお尻で思い切り踏まれた形だ。
ユキは足を押さえていて蹲っている。立てないらしい。
「————ユキ!!」
試合中にも関わらずグラウンド中央に駆け込み、俺は叫ぶ。
制止させようとする声が少しだけ聞こえた気がした。
「大丈夫か!?」
「ヒロ、さん……?」
俺はユキの元へしゃがみ込む。
「あ、あたし、タンカ持って来るね!」
星乃はそう言って保健室の方へ走り出そうとする。星乃はすでに騎馬から降りていた。
だが、そんな星乃を俺は呼び止める。
「星乃、ありがとう。でも必要ない」
「必要ないって……」
疑問を投げかけようとする星乃を背に、俺はユキを優しく抱え上げた。
世間一般で言う、お姫様抱っこだ。
ユキが立てない以上、こうするしかないだろう?
「きゃっ……」
ユキがまた小さく、でも今度は少し高揚したような。そんな声を上げる。
「俺が運ぶから。問題ないよ。星乃」
「そ、そっかぁ〜、そうだよねぇ……」
そこでやっと、切羽詰まった表情をしていた星乃がホッとしたように笑った。
「ユキ、痛くないか?」
俺はゆっくり歩きながら、ユキに問いかける。
それに対してユキはなんだか、もごもごとした様子で顔を赤くして答える。
「は、はい。大丈夫です……けど……」
「けど?」
「さすがに、恥ずかしいです……」
ユキは目を伏せる。
応援席の生徒、観客、全ての人が注目しているんだ。「ひゅーひゅー」とか、囃し立てるような声まで聞こえる。親衛隊が騒ぐ声も。実況も何やらテンションが上がった様子で何かを叫んでいる。
俺だって恥ずかしくないわけがない。
だけど幼馴染が、ユキがピンチならすぐに駆けつける。そんなの当たり前じゃないか。昔、俺がそう言ったんじゃないか。
本当は、怪我なんてする前に助けたかったけど。さすがにそれは出来ないから。俺はなんでも出来るスーパーヒーローなんかではないから。
これくらいでなんとか、許してほしい。
「もぉ……今日は敵同士だって。さっき言ったばかりですよ?」
「そんなの関係ないって。俺はいつでも、例え敵だったとしてもユキを助けるよ」
「そう……ですか……」
ユキは純白の顔をさらに真っ赤に染める。目は全く合わせてくれない。子供みたいに、身も小さくしていた。
「抱いてあげてる時はあんなに可愛いのに……こんなときばっかりカッコよくなるなんてズルい……」
「え?」
「なんでもないです。それより、早く運んでください。じゃないと恥ずかしくて死んじゃいます」
「お、おう……?」
早口で捲し立てるユキに首を傾げながらも、俺は返事をする。
それからユキの怪我を刺激しない程度に、小走りでグラウンドを後にした。
先ほどのユキの呟きは、あまりにも小さすぎて俺にはほとんど聞き取ることが出来なかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
午前の部が終わり、昼休み。
午後の最初は応援合戦である。
そのため大半の生徒は早々にお弁当を掻き込み、最後の練習に短い昼休みを充てることになる。
そんな中、俺は保健室いた。
ベッドにはユキが座っていて、俺は脇の椅子に腰掛けている。
2人でゆっくり、お弁当を食べていた。
ユキは俺の分のお弁当も作ってくれていた。
敵同士と言ったくせに。お互い様である。
俺たち以外に人はいない。
また、ふたりきりの時間だ。
ゴールデンウィークまではそれが普通だったのに、今は何故か貴重なことのように思えた。
「応援合戦の練習をしなくていいんですか? ヒロさん」
「いいよ。もう身体が覚えてるから」
「いっぱい練習してましたもんね。本番を見るのが楽しみです」
「見てたのか?」
「ちょっとだけですよ。練習の合間に覗いてました」
そう言うとユキは俺のロボットダンスを思い出したらしく、少し顔を綻ばせた。
「練習の成果を見せてやるから。覚悟しておけよ」
「はい。私はもう参加できないですが、しっかり見てますね」
ユキの右足首にはテーピングがされていた。軽い捻挫であるらしい。2、3日で腫れは引くらしいが、これ以上体育祭に参加することはできない。
「勝負の件も、これでは私の負けですね」
「そうなのか?」
「私の棄権により、ヒロさんの不戦勝です。私、ヒロさんにどんなお願いされちゃうんでしょう。欲望の限りを尽くされちゃうんでしょうか」
「は、はぁ!? 欲望って……そんなことしねえから!」
俺は慌てて否定する。
「どうしたんですか? そんなこと、とはどんなことでしょう。何を想像したんですか? ヒロさん」
「いや想像もしてねぇから!」
「どうやらヒロさんはすっごく溜まっているみたいですね。何でもえっちなことに繋げて考えてしまうくらいに」
「それはおまえなんだよなぁ……」
いや、俺も確かに最近は忙しかった上にユキにも会えなくて……ってそんなことはどうでもいい!
「でもヒロさん。また、ふたりきりですよ? しかも、保健室です」
「だ、だからなんだよ」
ユキはずいっとこちらに身体を寄せる。にやっと目を細めて、誘惑するような。そんな小悪魔的な表情だ。
そして俺の耳元にまで顔を近づけ、艶かしい声で告げる。
「————えっちなこと、仕放題ですね」
言われた瞬間、心臓が跳ねた。バクバクと、痛いくらいに心臓が鼓動を伝える。
いつもなら、軽く受け流せるはずなのに。
理性が、吹き飛んでしまいそうだった。
その声が、脳を蕩けさせるかのように頭の中で広がって。ユキの顔がいつもよりも、もっともっと綺麗に、美しく見えて。
その心を、身体を、貪ってしまいたくなる。
身体が言うことを聞かない。ユキの肩に両手を乗せる。ダメだ。ダメなのに。
目の前にユキの整った顔があった。水晶のような瞳があった。銀色が視界をくすぐった。
「ヒロさん……」
ユキが待ち構えるように。そのときを待つお姫様のように。目を閉じる。
もう、止まれないかもしれない。
だけど、俺は、俺は……。
————ガラガラガラッ。
「藤咲さーん? 足、どんな感じ〜?」
「「————っ!!??」」
理性が蒸発する寸前、保健室の扉が開く音で俺は我に帰った。
ユキと2人、一気に身体が跳び上がるくらい驚いて。慌てて距離をとった。
そして何でもないふうを装って声の主に返事をする。何を言ったのかは覚えていない。
心臓の鼓動は未だ鳴り止まない。と言っても、もはやユキの誘惑によるドキドキか、誰かに見られそうになったことによるドキドキか分からないのだが。
「……邪魔が入っちゃいましたね。ヒロさん」
「え? あ、ああ……そう……だな」
「続きはまた今度、ですね」
昼休みも終わりが近づき、俺はユキを置いて保健室を後にする。
俺はあのとき、何をしようとしていた?
あと一歩、誰かの介入が遅かったら俺はきっと……。
ダメだ。それだけはあってはならない。いくらユキが求めてこようとも、俺にはまだ……。
両の頬を思い切り叩く。
大丈夫。次からはいつも通りやれる。
俺はひとつの思いを重ねて、応援合戦へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます