第31話 幼馴染へのお願い事。

 体育祭、午後の部が始まった。

 最初の種目は「応援合戦」。

 それは体育祭において、リレーなどと並んで盛り上がりを見せる競技だろう。


 生徒にとってはこれまでの練習の成果が最も光る競技であり、保護者にとっては我が子の晴れ舞台。


 そこに懸ける熱量は午前中までの競技とはまた違うものがあるのかもしれない。


 まぁ、俺には観てくれる家族などいないのだが。俺を観てくれている人なんてユキと、せいぜい藤咲家の人たちくらいのものだろう。


 それでも俺は練習した分だけの緊張を胸に、応援合戦に臨んだ。


 結果は上々。最高の、とは言えずともマイナスに働くようなロボットダンスを披露するようなことにはならなかっただろう。


 こっそり俺の様子を窺っていたらしい星乃ほしのからも、満面の笑みとVサインをいただいた。


 白軍の応援合戦は概ね完璧だったと言える。


 逆に、紅軍は少し芳しくない結果となったように思う。

 その原因は明らかで、ユキが怪我により出られなくなったからだ。応援合戦においてドレスを纏ったユキは重要な役回りであったらしい。

 代役を立てたものの、それはあまり良い方向には働かなかった。


 俺はそれによってユキが責められないだろうかと不安に思っていたのだが、そんなことはなく。

 むしろ騎馬戦の奮闘を見ていた紅軍の生徒たちからユキは讃えられていた。


 俺にとっては一安心だ。


 お姫様抱っこのせいか、俺まで周りの視線を感じるのはご愛嬌としておこう。


 と、それからも午後の競技はつつがなく進行した。


 競技は残すところ、2つ。

 

 一つは最後の「選抜リレー」。


 そしてもう一つ、それは今泥だけになりながら行なっているこの種目。



 「タイヤ取り」だった。



「うぎぎぎぎ……おい、……いい加減離せよぉ、磯貝いそがいぃ……!」


「き、貴様にだけは絶対に負けてなるものかぁ……!」



 ひとつのタイヤを巡って争う俺と磯貝。それぞれがタイヤの端を両手で掴んで引っ張りあっている。地面は引きずりあった分だけ擦られ、土が抉られていた。


 その姿はさながらお人形を引っ張り合う子どものよう。ってさすがにそんな可愛い光景ではないか……。


 「タイヤ取り」とは2つの群によるタイヤの奪い合いだ。

 グラウンド中央に積み重ねられたタイヤを自分の軍の陣地まで運び、タイムアップまで自陣に置くことができればそれが得点になる。


 敵陣に乗り込んでタイヤを奪うことも出来る。


 暴力以外はなんでもできてしまうような荒っぽい競技でありながら、戦略性もある競技だ。


 そんな競技、なのだが。


 俺と磯貝は始まった瞬間から今まで、ずっとひとつのタイヤを巡って争っていた。


 アホか。


 アホだよ。


 でもなぜだろう。

 親衛隊のリーダーである磯貝には負けたくないと思ったから。


 譲れない闘いが、ここにはあるのだ。



雪様ゆきさまのためにぃ……! 負けられんのだぁ……!」


「ユキはおまえになんて期待してねぇぞぉ……!」


「それ、でもぉ……! 僕は勝つ!」


「こんなろぉ……!」



 お互いに一歩も引くことはなく、時間だけが過ぎていく。

 他の生徒が加勢にくることもない。というか呆れた目で見られてる気がする。


 両軍とも、俺たちのことは戦力に数えていないらしい。


 勝手にやってろと、そういうことですか。



 ああ、ここでユキの応援でもあればもう一踏ん張りしてタイヤを奪えそうなんだけどなぁ。


 しかしユキは一応紅軍であるし。ユキの性格からしてもこんな歓声の中、大声を張り上げてくれるとは思えない。




 結局、勝負はつかないまま終了時間を迎えた。


 チームとしての結果は紅軍の勝利。


 ダメだったかぁ……。筋トレをしていた親衛隊の一人である磯貝を俺が抑えることで、少しは有利に働くのではないかという思惑も俺にはあったのだが。


 そんなに甘くはなかったらしい。


 俺はタイヤから手を離してバタッと大の字になる。

 もう力が入らない。ぜんぶ使い果たした。

 リレーに参加しない俺にとってはこれが最後の競技だったのだ。


 磯貝も同じように、向かいに寝転がった。


「あークソ。勝てなかったかぁ……」


「ふっ……。個人としては引き分けだが、チームとしては僕の勝利だ」


「……ったく……親衛隊のブタ共は頭おかしいんじゃねぇのか? 体育祭のために筋トレするかよ……」


「体育祭のためではない。雪様のためだ」


「へいへい」


 怪我をしたユキにとってはもはや体育祭の勝敗になど興味がないのだろうが、それは言わないでおいてやることにする。


 さすがに可哀想だ。


「まあ、僕の役目はこれで終わりだ。雪様がリレーに出れないのは非常に残念だが、あとは応援に専念するとしよう」


「……お疲れさん。お互いに」


 立ち上がった俺たちはそんな言葉掛け合って、応援席に戻ったのだった。


 やりきった俺たちの顔は、晴れやかなものだったと思う。


 しかし俺がタイヤ取りにおいて何の役にも立てなかった戦犯だということは、どうか忘れてほしい。




✳︎ ✳︎ ✳︎




「ヒロさんヒロさん」


「おわっ」


 返事をするよりも前に、隣に座ったユキがぱたんと身体を倒してくる。

 俺の膝に頭を置いて、膝枕の体勢だ。


 場所は車の後部座席。

 体育祭を終えた俺たちは、怪我をしたユキのため特別に車を手配してもらっていた。


「落ち着きますね、これ」


「そうか?」


「はい。すぐ後ろにお○ん○ん様がいますから」


「いや落ち着かないだろそれ……」


 ユキは「……?」と疑問符を浮かべるような顔でこちらを見つめる。

 表情は可愛いけど疑問符の意味は全くわからない。


 というか、運転手に聞こえるからお○ん○んとかいうのやめろ。


 そして何より、シートベルトをしなさい。


「でも、本当に落ち着きます」


 ユキは優しく俺の膝を撫でる。


「そっか」


「あとでヒロさんにもしてあげましょうか」


「いいよ。ていうか今日は直接家に帰れよ」


 怪我人に世話を焼かれるほど、俺は落ちぶれてはいない……はずだ。

 疲れているだろうし、ユキには早く家で休んでほしい。


「そうですか……ざんねんです」


「怪我してるんだからゆっくりしてなさい」


「ヒロさんが言うならそうします。あ、でも明日からはまた朝起しに行きますね」


「それもダメー。せめて腫れが引くまで安静にしてろ」


「ぶぅ……ヒロさんのけち」


「けちじゃありません」


 口を尖らせるユキ。


 車内にいる間、ユキはずっと俺の膝の上をゴロゴロしていた。




✳︎ ✳︎ ✳︎




 車を降りて、藤咲家の前。


「歩けるか?」


「はい。ふつうに歩くだけならなんとか。でもまたお姫様抱っこをしてもらえるなら、歩けなくなるのもやぶさかではありません」


「しません。てか恥ずかしかったんじゃないのかよ」


「さすがにあんな大勢に見られるのは、という話です。今なら近所の人に見られるくらいですし。それにふたりきりのときならいつでも大歓迎ですよ?」


「勘弁してくれ。あれ、けっこう腰にくるんだからな」


「腰にくる……ですか」


 むむっ……と指を口当てて思案顔のユキ。ろくでもないこと考えてる時の顔だ。


「それなら仕方ないですね。腰はちゃんと振れないといけませんから。あ、でも私が上というのもいいかもしれませんね」


「何の話ですかね……」


 いや大体わかるけど。

 メルヘンなお姫様抱っこからの落差がひどい。せっかく今日はドレスのお姫様だったのに。台無しだ。


 まあ、そういうところもまた可愛いけれど。


「そうだヒロさん」


「なんだ?」


 そろそろ帰ろうかと思っていた時、エロ妄想の世界に行っていたユキが帰ってきた。


 家の前で話し込むのも悪いし、あまりユキを立たせておきたくもない。なるべく早くお暇したいんだけどな……。


「お願いごと、ちゃんと考えておいてくださいね」


「あー、そうだったな。でもなしでよくないか? 最後まで勝負できてないし」


 ちなみに、体育祭の結果自体は俺の所属した白軍の勝利に終わっている。選抜リレーで星乃や夏目先輩が勝利をもぎ取ったおかげだ。


「ダメです。私は負けを認めましたから。くっころの準備はできています」


 くっころて。どこでそんな言葉覚えたんですかね……。


 しかも少し吐息を荒くしながら、何かを期待するように言わないで欲しい。

 

 俺の幼馴染はSであると思っていたが、もしかしたらMの気もあるのかもしれない。


「さあ、何でも命令してください」


 目のハイライトがハートになりそうな勢いのユキ。


 そんなユキの期待に応えることは出来そうにないが、俺は思いついた願い事を口にする。


「それなら、今度の縁日。一緒に行こう」


「縁日、ですか? それなら毎年一緒に行ってるじゃないですか」


 俺たちの住む街には、毎年この時期に開かれる縁日がある。

 100に及ぶ数の出店が立ち並ぶ、大きい行事だ。


「あーそうか。そうだよな。それじゃお願いにならないか。うーん、……じゃあ——」


 俺はぽりぽりと髪をかきながら、納得いかなそうな顔のユキに言う。


「それまでに、ちゃんと足治せよ。またお姫様抱っことかしなくていいように」


「ヒロさん……。ふふっ。優しいですね。私、もっと酷い辱めを受けちゃうのかと思ってました」


「そんなことしないっつの……」


「ですね。ヒロさんにそんな度胸があるはずありませんし」


「いやそういうわけでもなくてだなぁ……!」


「なら変えますか? 私は大歓迎ですよ?」


「——っ! ……って変えないから! 大人しく養生してろ!」


 俺を誘うようにふわっと笑うユキに見惚れて、また一瞬心がぐらつきそうになった。

 だけど俺はすんでのところで踏みとどまり、邪念を払う。


 こんなお願い事に、意味なんていらないから。だから、何でもないことを願うくらいが丁度いいのだ。


 ユキも本気ではなかったらしく、素直に俺の言葉を受け止めてくれる。


「はい。ちゃんと大人しくしてます。だからヒロさん。縁日ではたくさん食べて、たくさん遊びましょうね?」


「おう。楽しみにしてる」


 それから、縁日ではあれをしようこれをしようと話し合って。笑い合った。


 そして気づいたときには結構な時間が経ってしまっていて。帰ろうとした俺は深雪みゆきさんの提案により、藤咲家で夕飯をいただくことになったのだった。




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