第29話 ふたりきりの時間。

『白軍浅間・星乃ペア、一位でゴールです!』


 元気のいい実況がグラウンドに鳴り響く。


 現在の競技は「二人三脚」。俺と星乃はペアとして参加し、見事一位を獲得した。


「よっしゃ!」


「いえーい!」


 その場で星乃とハイタッチを交わす。

 星乃と2人で、やったやったと踊り出しそうなくらいだ。

 

 だが、その時————


「うひぃ!?」


 ————ゾワゾワゾワッ。


 物凄い悪寒が背筋を走った。


 なに!? なんだ!?


 何か、冷たい視線で貫かれたような。そんな気配を感じた。


「ど、どうしたの!?」


「い、いや……誰かに見られてたような……?」


 後ろを振り返る。

 それから視線を感じた方を見ると、の髪が少しだけ見えたような気がしたのだった……。

 



✳︎ ✳︎ ✳︎




 続いて俺が参加するのは「借り物競走」。


 スタート地点から数十メートル離れた場所にあるくじ引きを引き、それに書かれた物を観客や生徒から借り受け、ゴールを目指す競技である。はやくゴールするほど、得られる点数は高くなる。


 どれだけ簡単なお題を引くかという運要素も絡んでくるため、運動神経に依らずとも高順位を獲得できる可能性がある。

 俺にとっては高順位を獲っておきたい競技だ。


 先の数組が終了し、俺の番がやって来る。


 俺はちょうど真ん中くらいの順位でくじ引きまで辿り着き、一枚の紙を取り出した。


 そこに書かれていたお題は————


「なぁ!?」


 俺の想定を軽々と上回るモノだった。


 こんなのお題にしていいのか!?

 プライバシー! モラル!

 

 しかし出してしまった以上はそのお題を成すものを持ってくるしかないだろう。


「あーもう! くそ!」


 なんでこんなにも運がないんだろう。

 他の人たちはあまり悩む様子もなくお題のモノを借り受けに行っているというのに。


 あまり考え込む時間もなく俺は走り出す。ゴールすらできなければ最下位だ。点数はもらえない。それだけは避けなければ。


 向かう先は応援席。

 紅軍の応援席だ。


 着くやいなや、俺は言いなれた名前を叫ぶ。


「ユキ!!」


 辺りを見回すとすぐにユキの銀色が目に入った。今はドレスではなく、他の生徒と同じ体操着を着ている。


 俺はユキに駆け寄る。


「ユキ、一緒に来てくれ!」


「いやです」


「なぜにぃ!?」


「ヒロさん。今日の私たちは敵同士ですよ? なぜ敵軍の借り物競走に協力するのですか」


「そうだったぁぁああ……」


 すっかり忘れていた。

 このお題でユキを連れて行くという覚悟さえ決めればそれだけでなんとかなると思っていたのだ。


 目の前の可愛い幼馴染は、今日だけは敵だというのに……。


 しかしそれにしたって、今日の幼馴染は俺に対して塩対応ではなかろうか。



「そもそも、私を連れて行こうとするようなお題とはなんでしょう。お題によっては、考えなくもないです」


「いやそれは……」


 このお題が何であるか。それは言いたくない。言えない。

 それを言うには様々な葛藤が脳裏を渦巻く。


 しかしこのお題に叶う人間が、俺にとってはユキしかいないことも確かなのだ。


 だから、


「言えないのなら、ハグで妥協しましょうか。それかキスでもいいですよ? まあ、星乃さんと仲睦まじそうなヒロさんには——」


「いいから来い! ユキ!」


「——ちょ、ま、待ってくださいっ。そんな強引にっ。ヒロさん!?」


 代替え案を出そうとしていたユキの手を取って、むりやり連れ出した。それを見た紅軍の生徒がどよめくが、気にしない。


 俺がこんなふうにユキの手を取っているなんて、いつぶりだろう。いつかの、を思い出した気がした。


 後ろを振り返ると、ユキはぷぅと頬を膨らませながらも抵抗せず俺の手に引かれてくれていた。

 あの日とは全く違った顔だ。だけどその可愛さは変わらなかった。


 文句は後で聞くから、今は従ってくれ。


 そうして、俺とユキはゴールテープを切った。


 ゴールにはマイクを持った生徒がいる。その生徒にお題と、借りてきた物が一致するかを見てもらうらしい。


 俺はお題の書かれた紙を手渡す。


『え〜となになに〜、お題は〜っと。ほぉ……これはこれは……。そしてお連れになったのはそちらの方ですね〜? ふむふむ……問題なしですっ。白軍・浅間さん、3位でゴールになりまーす!』


「ふぅ……」


 実況の生徒はにやにやとこちらを見ながらも、俺をゴールしたと認めた。


 お題を暴露されなかったことと、それなりの順位であったことに一安心の俺。


 実況者たちにも一定の配慮は存在したらしい。


 しかし納得いってなさそうなユキをどうしたものかなぁ……。

 試練の後にはまた試練である。


「ちょっと失礼しますね」


『へ?』


 俺が頭を悩ませていると、ユキは実況の生徒から俺のお題が書かれた紙をひょいと奪い取った。


 ユキはそれをまじまじと見つめる。


「おいユキ、見るなって!」


「もう遅いです。ふむ……なるほどなるほど」


 紙を奪い取ろうとする俺をひらりと躱すユキ。追いかけっこのようになって、気づけば人気のない校舎裏の方まで来てしまっていた。


 そこで俺たちはお互い示し合わせたかのように立ち止まる。


 大盛況のグラウンドを他所に、ふたりきり。なんだか不思議な感覚だ。


「ヒロさんヒロさん」


「なんだよ」


ですね?」


「——っ」


 まるで俺の心を読むように、ユキは蠱惑的な表情をした。


「ふふっ。でもこのお題なら仕方がないですね。先ほど私をむりやり連れ去ったことは許してあげましょう」


 ユキは丁寧にお題の紙を折りたたむ。


 それから何か、安心を得たとでもいうように晴れやかな笑みを見せた。


 朝からの冷たい感じが消えたような……?

 

「ほ、ほんとか?」


「はい。でもこのお題なら、私にだけ教えてくれればすぐにでも付いていったのに」


「それは……」


「恥ずかしかったですか?」


「まあそれもある、けど……」


「不安、でしたか?」


「うっ……」


 図星を突かれた俺は押し黙るしかない。


「もしそうなら……ごめんなさい。ヒロさん」


 ユキはぺこりと俺にお辞儀する。


 それから、ふわっと俺の頭を抱いた。


 ふくよかな胸が顔に押しつけられる。

 ユキの温もりを感じた。

 体操着越しにユキの甘い臭いと、少しだけしょっぱい汗の匂いがした。


 ユキを久しぶりに感じた。


「……なんで謝るんだよ」


「朝のことです。団長さんと私が話しているのを見ていたでしょう? だからなのかと思いまして」


「べつにそんなことは……」


 いや、その通りだ。

 朝のユキを見てしまったせいで。

 ユキが自分以外の男と笑っているのを見たせいで。俺はこのお題をユキに話したとして、その上で万が一ユキに嫌だと言われたらどうしようと考えてしまったんだ。


 そんなこと、あるはずがないと分かっていたはずなのに。


「私は団長さんのことなんて何とも思っていません。応援合戦のことを少し話していただけですよ。だから、安心してください」


 ユキが俺の髪を優しく撫でる。それだけで、胸がスッと軽くなっていった。


「でも。それでも。ヒロさんが私を選んでくれたことが、私はとても嬉しかったです」


「ユキ……」


「私、嫉妬してたんです。ヒロさんと仲良くする星乃さんに。だから少しだけ、意地悪しちゃいました。私のこの胸のモヤモヤを、少しでもヒロさんに分かってもらえたらって。だから、ごめんなさい」


 また、ユキが頭を下げたのがわかった。だから俺も、ユキの胸の中で少し頭を下げる。


「そっか……。それなら、俺の方こそごめん」


「いえ、いいんです。星乃さんが良いかたなのは分かってますから」


「ああ」


「だからちゃんと、仲良くしてください」


 ユキはそこで俺を離す。それから人差し指を立てて、念を押すように「でも、ほどほどにですよ?」と言った。


 ユキは俺から一歩離れる。


 そして両手を後ろに組んで、確認するように俺へ問いかけた。


「さて、安心できましたか? それともまだおっぱい吸いますか?」


「いや吸わねぇし吸ってねぇから!」


「その元気なら大丈夫ですね。……では、ここからはまた敵同士です。今日は正々堂々、精一杯戦いましょう」


「……おう。負けねぇぞ」


「はい。私だって、負けません」


 負けた方は何でもひとつ言うことを聞く。そんな俺の提案から始まった勝負。勝った場合のお願い事なんてまだ決めていないが、負けるわけにもいかない。


 数週間頑張って練習したんだ。

 そりゃ勝ちたいさ。


 学校行事でこんなことを思うのは初めてかもしれなかった。でも、意外と悪くない。そう思った。


「それからヒロさん」


「ん?」


「このお題、『』と書かれたこの紙は私が思い出のひとつとして大切に保存しておきますね?」


「やめてぇ!? ってかその紙返さなきゃいけないやつだからぁ!?」


 ユキはちろっと小さな舌を出して、楽しそうに笑っていた。


 ユキとこんなに話したのは少し久しぶりで。

 今回に限っては俺がユキを振り回したはずなのに。結局はまたいつものようにユキにからかわれていて。


 そのことに、どこか安堵している俺がいた。

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