第20話 伝えなきゃいけない祈りがある。

 あたしは今、彼と一緒に公園を歩いている。この前藤咲さんたちとお花見をしたあの公園だ。


 桜はもう、散っている。

 は過ぎ去った。


 あたしは何をしているんだろう。

 あたしは何がしたいのだろう。

 これからあたしがすることに、意味があるのだろうか。

 彼を困らせるだけではないだろうか。


 きっとあたしは矛盾だらけだ。

 おかしなことばかり考えているのだろう。

 自分でも自分がよく分からない。


 だけど、があると思ったから。


 だからあたしは彼に連絡した。

 今日という時間を作ってもらった。


 中学の頃、よく彼とお喋りをしていたあのハンバーガーショップで。久しぶりに話をした。

 幼馴染というのは不思議なもので、一年以上会っていなくとも話は弾む。いくらだって昔のことを懐かしめる。今のことを話せる。


 きっとこれは、かけがえのない関係性なのだろう。


 あたしはそれを壊そうとしているのだろうか。

 これから告げる、たったひとつの言葉で。

 いいや。違う。違うのだ。


 これからのために。あたしは今日、彼に伝えるのだ。


 この想いを。


 だから少しだけ、あたしに勇気をください。自分のエゴを通す、勇気をください。


 藤咲さんと浅間くん。

 あたしが憧れた幼馴染2人に祈る。


 2人が出会ったというこの場所が、自分に力をくれると信じて。


 さあ。言葉を紡ごう。


 あたしのためになると信じて。


 あなたのためにもなると信じて。



「ねぇ、この公園、前にも来たことあったよね」


「そうだな」


 落ち着いた様子で彼が応える。

 高校生になって、彼はずいぶんと大人びた気がする。

 あたしだけ置いてけぼり。そんな気分だ。


「サッカーしたよね。あの頃はあたしの方が背もおっきくて、サッカーも上手かった」


「散々走り回ったよな。桜が咲いてたのに、目もくれずさ」


「そうだね。でも、とっても楽しかった!」


 あたしは精一杯の元気を振り絞る。彼にはいつもの自分が見えていると願って。


「ずっとずっと、一緒にいたよね」


 一緒に青空の下を駆け回った。


「ああ」


「何をするにも一緒だったよね」


 一緒にご飯を食べた。


「ああ」


「たくさんたくさん、一緒の時間を過ごしたよね」


 一緒に勉強をした。


「そう、だな」


「だからね、あたしの中に生まれたこの気持ちはきっと、ホンモノだよ」


夏帆かほ……?」


「だから、だから、ね……」


 ああ……彼が困惑している。

 きっともう、いつものあたしの表情ではないのだろう。緊張とか、不安とか、そんなものが滲み出ているのだろう。無理に笑っているのだろう。


 ——この先を言うのなんてやめてしまおうか。今ならまだ大丈夫だ。まだ引き返せる。具体的なことは口にしていない。


 だけど。だけど。

 あたしはそれでいいのだろうか。

 

 今日を逃したら、あたしは2度と彼に会えない気がする。

 勇気を出せない気がする。

 彼の前で笑うことなんて、絶対にできないと思う。


 それだけは、なんだ。


 この言葉を紡ぐのは、あたしのエゴだ。


 だけどそれでも、伝えなきゃいけないことだから。


 今、言おう。






「——あたしは、あなたのことが好きです。ずっとずっと、好きだったよ」






 告げた。告げてしまった。

 もう後戻りはできない。



 あたしはあたしが伝えなきゃいけないことをすべて、伝えるんだ。



「それ、は……」


「うん。幼馴染としてじゃないよ。あたしは女の子として、あなたのことが好き」


「夏帆……」


「あたしと、付き合ってくれませんか?」


 この言葉に意味はない。

 だってあたしは、彼の答えを知っているから。

 知っていなければ、あたしはこんな言葉を紡げなかったから。


 だけどそれでも精一杯の気持ちを込めた。


「……ごめん。夏帆とは付き合えない」


「……そっか」


「オレ、彼女がいるんだ。彼女ができたんだよ」


 知ってる。ぜんぶ、知ってたよ。


 あの日、喫茶店でそれを知って。

 たくさんたくさんたくさん苦しかったけど。悩んだけど。

 そのおかげで、あたしは選択することができたよ。


 ワガママはここまでだ。


 ここからはきっと、いつものあたし。


 笑顔にするための、幸せを願う、あたしでいよう。


 泣くにはまだ早い。


 まだ本当に伝えなきゃいけないことを、伝えられていないから。


「あはは……もうっ、ダメだよ。彼女がいるのにあたしなんかと休日に遊び歩いたら」


「そう……だな。ゴメン……」


 彼は本当に申し訳なさそうに、あたしに頭を下げる。

 いいんだよ。謝らなくて。

 誘ったのはあたしなんだから。

 

 今の言葉は言う必要なかったな。

 彼に謝って欲しいことなんて、ひとつもないはずなのに。


 でも、こんなあたしにも誠実であろうとしてくれる。そんな彼が、あたしはやっぱり好きなのだろう。


「ねぇ、彼女さんのこと、好き?」


「はぁ? そんなこと、言えるかよ……」


「教えて。ちゃんと」


 伝えなきゃいけないこともあれば、伝えて欲しいこともある。


「……っ……好きだよ」


「彼女さんと、結婚したい?」


「それは……」


「どうなの?」


「……っも、もちろん! したいと思ってる!」


 問い詰めるように聞くあたしに、彼はヤケクソ気味に答えた。

 そう、だよね。本当に好きじゃなきゃ、喫茶店でのあんな表情は生まれない。


 あたしといるときとは違う、彼の顔だ。


「……もういいか?」


 恥ずかしそうに。バツが悪そうに。彼が踵を返そうとする。


 責めているんだと思われたかな。


 違うよ。今のは確認だ。


 ここからが本当に本当の、あたしのコトバ。


 背中を向けた彼に向かって、あたしは叫ぶ。あのときの浅間くんに負けないくらい、叫ぶ。


 この叫びは祈りだ。願いだ。こうありたいというあたしのすべてだ。こうあってほしいというあたしと、あなたへの願いだ。


 だから、聞いてください。


 あたしの愛しい人。


 大好きだった人。



「彼女さんと、仲良くしてね」


「……っ」



 彼が足を止める。止めてくれた。



「彼女さんを、幸せにしてあげてね」



 彼が少し、俯いた気がした。



「そしてあなた自身も、幸せになってね」



 彼の背中が少し、丸まった気がした。



「ずっとずっと、応援しているから」



 ああ、涙が出てしまいそうだ。でも、まだ泣くわけにはいかない。



「何か困ったら、あたしを頼ってね。たったひとりの幼馴染を、いつでも頼ってね」


「夏帆……」


 

 何かを堪えるような、彼の呟きが聞こえた。


 もしもあたしが、泣いて彼に縋っていたら、何かが変わっていたかな。彼の心を揺らすことができたのかな。

 今更になってそんなことを思ってしまいそうになる。


 でもあたしはその選択を絶対にとれないのだろう。


 あたしはそんな自分を好きになれないから。あたしがあたし自身を否定してしまうから。


 そこにはきっと、幸福は生まれない。



「ぜったい……! ぜったい……! 幸せになってね……! それが、それだけが。あたしの願いです」



 叫んだ。

 最後のコトバを叫んだ。祈りを叫んだ。


 これがあたしの答えだ。


 高校生が誰かにこんなことを願うのはおかしいだろうか。重いだろうか。

 でも、あたしたちにとっては今この瞬間が大事なんだ。全力で生きているんだ。だから、こんなことだって叫べてしまうんだ。


 あたしが想い続けた幼馴染には、当然のように恋人がいて。

 あたしを好きになってくれることはない。

 それなら、どうするのだろう。


 彼と、彼の恋人の仲を引き裂いて、彼を奪いとる?

 2人の破局を待つ?


 そうしてあたしは彼を手に入れて、幸せになる。


 ——それは本当に幸せなのだろうか。


 ——そこに彼の幸せはあるのだろうか。


 綺麗事だってわかっている。

 自分が幸せになるために、誰かを蹴落とすなんて。そんなことは誰もがやっていることなのかもしれない。自然と生まれてしまう現象なのかもしれない。


 誰かを幸せにするということは、誰かを幸せにしないということだ。


 どこかで、誰かが語っていた言葉。


 きっと世界は、そういうふうに出来ている。


 みんながみんな、幸せになれることなんてない。


 そんな世界で、あたしはあたしの周りのみんなが笑顔であればと思っていた。

 そうやって生きていた。


 たけどそれでも、あたしが本当の本当に幸せになってほしい人は、きっとこの世でただひとり。


 幼馴染の彼ひとり。


 それがわかってしまった。


 今までの気持ちがウソだなんてことは絶対にないけれど。それでこれからの生き方が全く変わってしまうなんてこともないと思うけれど。


 彼の幸せがあたしにとっての一番なのだと、わかってしまった。


 でも彼の幸せはきっと、あたしと寄り添い合うことではないのだろう。


 あたしと生きることではないのだろう。


 だからあたしは自分のことはかなぐり捨てて、彼と彼女の幸せを望んだ?


 違う。あたしはそんな聖人君子ではいられない。


 もちろんあたしも幸せに。そうなるために今日のコトバを繋いだのだ。


 彼の幸せが、あたしにとっての幸せにもなるから。


 例え彼の幸せの中に、あたしがいなくとも構わない。


 彼との関係性を、幼馴染としての関係性さえもなくしてしまうことが、あたしにとっての最悪だったのだ。


 あたしは眺めているだけでもいい。


 見守るだけでもいい。


 それがきっと、あたしの生き方で。


 答えだから。


 それが分かったあたしは、少しずつでも前に進めるはずだ。


 あなたの幸せを、誰かの幸せを願いながら、自分だけの幸せを探せるようにもなるはずだ。


 きっと、彼ともまた笑えると思う。


 そのためのコトバだったから。


 さようならは言わないよ。


 だから今日は、ばいばい。またね。


 あたしの、たったひとりの。


 


 

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