第21話 幼馴染一家との食事。
早朝。
私はいつものようにそーっと、音を立てないようにヒロさんの部屋に忍び込む。
「ヒロさーん、朝ですよ〜。って……ヒロさん?」
毎日の楽しみを前にウキウキ気分でベッドを覗くが、そこはもぬけの殻だった。
ヒロさんはどこに……?
まさか家出でしょうか。
それなら早く探しにいかなくては。
などと思っていると、浴室の方から何やらシャワーを浴びる音が聞こえ始めた。
どうやらヒロさんは入浴中らしい。
ヒロさんのことです。
GW明けだからといって意味もなくテンションが少し上がって、早く起きてしまったのでしょう。そしてシャワーを浴びて落ち着こうとしている、と。
そういうところも可愛いです。
それなら私はヒロさんが出てくるまでどうしようか。ふと周りを見渡すと、ベッドが目に止まった。
「ちょっと。ちょっとだけなら……いいですよね……?」
ボフッ。
私は勢いよくヒロさんのベッドにダイブする。そしてヒロさんの匂いが詰まった枕に顔を埋めた。
大きく息を吸って、吐いて。何度も繰り返す。
ヒロさんの匂いがたっぷり、私の中に流れ込んできました。
それにまだ温もりが残っていて、まるでヒロさんに抱きしめられているみたい。
すごく、興奮する。
「はぁ……はぁ…………はぁ……はぁ」
マズいです。
ちょっとイケない気分になってきました。
なんだか頭がふわふわして、とても恍惚とした気分です。
「はぁ……だいじょうぶ……ヒロさんはまだ来ないはず……だから……はぁ、はぁ……」
我慢しきれなくなった私は右手をお股の間に滑り込ませる。
するとすぐ、下着越しでも右手にヌルッとしたものを感じた。
私……朝からこんなに……。
でも、仕方ないですよね。
好きな男の子のベッドにいるんです。
ここで自分を慰めない恋する乙女なんていません。
だから。だから。
もうちょっとだけ……。
私はいつもやっているように、慣れた手つきで————。
「冷っっっっっったぁ!!??」
「————っっっっ!!??」
しかし、それは家中に響いた大きな声によって中断された。
そう、彼の悲鳴だ。
突然の悲鳴に私の身体が跳ねた。
ヒロさんにバレてしまったかと思ったのだ。バレたらバレたでそれもまた……という話ではあるが。やはり恥ずかしさはある。
と、そんな話をしている場合ではありません。
私は急いで衣服を整え、浴室を目指す。
「ヒロさんっ、大丈夫ですか!? どうかしましたか!?」
「ユキ……? ああいやそれがだなぁ……って普通に入って来んなよ俺素っ裸だからああぁぁぁああああ!!??」
……ここはあれですね。
てへぺろ。といえば許される場面でしょうか。
思わず浴室の中まで入ってしまいました。
今更私に裸を見られるのも恥ずかしいなんて、可愛いヒロさんです。
一旦仕切り直して、私はヒロさんから悲鳴の原因を聞いたのでした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
夜。
俺は
左隣の席にはユキ。
そのユキの隣にはサユキ。
ユキの母である
そして俺の向かいには藤咲家の大黒柱である
いや、俺、昔はよく来てたんですけど。高校生にもなると警戒されるようだ。
その結果、食卓はピリピリとした雰囲気に包まれていた。といってもそれを気にしているのは俺だけで、ユキとサユキは普通にしている。
父親なんて怖くないんだなぁ。
俺は怖いけど!
威圧されてんの俺だからね!
……というか、なぜこんな状況に?
「ユキさん。ユキさんや」
「なんですか? ヒロさん」
俺たちはヒソヒソと、声を潜めながら話す。
「なんで俺ここにいるの?」
「ヒロさんの家の給湯器が壊れてしまったからでしょう?」
そう。そうなのだ。朝、シャワーを浴びていたところ、突然お湯が出なくなってしまった。
「いや夕食まで頂かなくても大丈夫なんですけど」
風呂だけ借りられれば良かったのに。
「その方が何かと楽ですから」
「そうだけどさぁ……」
目の前の人がなんか怖いんだよぉ……。
どんなに美味しいご飯も喉通らなくなるわ。めっちゃ機嫌悪そうにビール煽ってるしぃ……。
「それよりヒロさん」
「なんだよ」
「なんだかこうしてると、結婚の挨拶に来たカップルみたいですね」
「ブホッ!?」
はぁ!? この状況で何言ってんのこの幼馴染!?
「なんだね、騒々しい」
「あ、いえ。す、すみません……」
「それにさっきから2人でコソコソと。言いたいことがあるなら言いなさい」
隙を見つけたとばかりに喋りだす健斗さん。こえぇよお……。
「べつにお父さんに言うことなんてないです。ちょっとヒロさんとイチャイチャしてただけですよ」
「ちょ、ユキさん!?」
なんてこと言ってんの!?
ほら、お父さんさんめっちゃピキってますよ! 眼鏡割れそうな勢いっすよ!
「ほう……イチャイチャ……人様の家で、人様の娘とイチャイチャか……」
「い、いや今のはユキの冗談でして……」
「実は今もテーブルの下でお互いの手を絡めあってます」
「ユキぃっ!?」
ユキさん怖いものなしすぎじゃね!?
「い、今のも冗談ですからね……? いやあユキは冗談が上手いなぁ……」
「まあ、ヒロさんの言う通り冗談ですが」
「そうか……冗談か。安心したよ」
健斗さんはくいっと眼鏡を上げる。それから全くユキにも困ったものだなぁとデレデレし始めた。
いや、そこはユキを叱ってもいいんじゃないでしょうかお父さん。
「2人は健全な関係だものな。ただの、ただの。幼馴染だ。友人関係だ。イチャイチャなんてするわけなかったな。手を絡めるなんて以ての外だ」
「キスはしてますけどね」
さらっとユキが言う。
そして時が止まった。
ほら、ちゃんと叱らないから。
だからこんな爆弾をひょいひょい投げ込むような娘に育つんですよ。
もうツッコムのも疲れたよ……。
「そ、そうだな。ユキはお父さんともお母さんともたくさんキスしたものな。ちっちゃい頃のユキはそれはもう可愛くてなぁ……」
健斗さんは眼鏡を高速で上げ下げしながら言う。
もう思考が逃げに回っている。
娘が男とキスをしたなんて思いたくないんだなぁ。
ちなみにここまでで5缶ほどのビールが彼の胃に消えている。酒がなければやってられない状況らしい。
俺も飲みたいくらいです。それか早く帰りたい。未成年飲酒はダメ、ゼッタイ。
「ヒロさん、この前のキスはとても気持ち良かったですね」
「え、ああ。うん。そうかも……?」
この前っていうとなんだ?
首筋? ほっぺ?
どっちも気持ち良かったなぁ。
俺も大概、考えるのをやめている。
いや、でもマウストゥマウスでは一度もしてないからね?
俺からしたこともないからね?
そこんとこ、ちゃんと説明お願いしますよ、ユキさん。
俺にはもう、誤解をとく勇気がない。
流れに身を任せるだけである。
「ガハッァ!!?? そ、そんな……ユキが……こんな小童と……? キス……?」
健斗さんがテーブルをガンガンと叩き始める。台パンやめて。怖い。
てか小童て。
それにユキさん。笑うの堪えてプルプルしてないでくれますか?
ほんと収拾付けてよ?
「いいんだ……いいんだよ。私には可愛い可愛いサユキがいるからね……。サユキぃ……パパを慰めておくれぇ……」
怒るを通り越して逃避を始めた健斗さんはまだ小さいもう1人の娘に助けを求める。
親の威厳とは、なんだろうか。
「パパうるさい。サユご飯食べてるから。静かにしてね」
「ぐっふぉ!!??」
テーブルに倒れ込む健斗さん。
第二の娘の塩対応が半端ない。
といってもサユキに悪意はなく、最近使えるようになった箸での食事に必死なだけなのだが。
それにしても健斗さんが可哀想になってきた。いや最初から可哀想か……。
怖がるばかりで俺はそれを忘れていたらしい。
娘ばかりだと父親の肩身は狭いんだろうなぁ。家族とは難しいものである。
「パパ……もう、寝るから……。うるさくしてごめんね……だから嫌いにならないでね。サユキ……」
そんなことを言って一家の大黒柱は本日のメイン料理が出てくるのを待たずしてテーブルを立った。
最後の一言に対しても、食事に夢中な娘からの返事はなかった。
それからの食事は平和なものである。ああ……これが一家団欒かぁ。
なぜだか分からないけどすごく悲しい。
俺がお邪魔したせいで、ごめんなさい。
今日の誤解はユキさんが後日責任を持って解いてくれると思います。恐らく。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「ヒロさん。お茶入りましたよーって、寝ちゃいましたか?」
夕食後、せっかくだからヒロさんと私のお部屋で少しお話ししようと思ったのだけど、寝てしまったらしい。
「そんなところで寝たら風邪ひいちゃいますよ」
ほっぺをつついてみるが、起きる気配はない。
ご飯を食べて、お風呂に入ったら眠くなっちゃうなんて。これじゃあサユキと変わりませんね。
ベッドまで運ぶんであげるのは難しいので、毛布を掛けて、膝枕をしてあげる。
相変わらず可愛い寝顔です。
ずっと見ていたいくらい。
「今日は振り回しすぎてごめんなさい。お父さんにも、ちゃんと後で説明しておきますね」
と言っても、唇でのキス以外はしているのでどう説明したらお父さんが安心するのかは分からないけれど。
お父さんだって、ヒロさんのことを嫌っているわけではない。そうでなくてはいくら娘の幼馴染とはいえ、後見人になってくれたりはしないだろう。
だから、分かってくれるはずです。
でも、お父さんは親バカだから。
いつか本当に結婚の挨拶に来ることになったら、ヒロさん自身の言葉でお父さんを納得させてくださいね?
私はそれを待っていますから。
そんなふうにヒロさんとの未来を考えると、先日のことが頭をよぎる。
星乃さんの、告白。
星乃さんは恋に敗れた。
その上で、幼馴染の彼の幸せを願った。
なぜだろう。
彼は星乃さんを選ばなかったのに。
なぜ彼女はそれでも彼の幸せを願えるのだろう。
その幸せの中に、彼女はいないのに。
私には分からない。
そもそも、彼を諦めるということが私には理解できない。
私には、ヒロさんしかいないから。ヒロさんと、家族以外には何もいらないから。
私が幸せになれるのはヒロさんの隣だけだ。そして私が、私だけがヒロさんを幸せにできる。
そう、信じている。
だから、誰にも譲ったりしない。
ずっと一緒にいるんだ。
私とヒロさんは、2人で幸せになるんだ。
2人じゃないと、ダメなんだ。
絶対に、ヒロくんをひとりぼっちになんてさせないよ。
「だからはやく私を、ヒロさんの家族にしてくださいね」
私は彼のおでこにそっとキスをして、そう呟いた。
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