第2話 一〇〇〇年ぶりの再会

「あー酷い目に遭った……」

「ごめんね、凛。みっちゃんがああいう子だって言うのを忘れてたわ」

 日の傾いた通学路を歩く中、夏音が両手を合わせ謝罪してくる。

 あの後、なんとか美代には諦めてもらえたのだが、凛は授業中ずっと、彼女の席の方から捕食者のような視線を受け続けていた。

 断言できる、あれは絶対に諦めていない。


「気にしてないから頭を上げろ。前川さんも悪い人じゃないって知ってるから」

 気にしていないといったら嘘になるが、事実、前川 美代は悪人ではない。それは彼女達と一年過ごしてきた中で凛が感じた事だ。

 計算ではなく、天然。だからこそ、タチが悪い。

「ええ、悪い子ではないのだけど……」

「……なあ、夏音」

 凛は立ち止まり、夏音を見る。ある真意を尋ねるために。

「な、何よ」

 彼女もつられてこちらを見る。心なしか、その頬がほんのりと紅潮しているように見えた。


「僕って、そんなに女々しいか?」

「は?」

 夏音が間の抜けた声を出す。真面目に聞いたつもりなのだが、そんな反応を取られると少々困る。

「いや、は? はないだろ……こっちは真面目に聞いているっていうのに」

「いや、ちょっと愛の告白だと思っていたからつい……ごめんね?」

「悪かったな、空気が読めてなくて」

「気にしてないわ。アンタがそういう子だっていうのは、とっくに知ってるから」

「ぐっ……こいつ……」

 反論しようにも、夏音の言葉は的を射ているため、言い返しようがなかった。

「で、話を戻すけど、確かにアンタは女々しいわね。むしろ、女々しすぎて辛いでしょ?」

「ぐはっ……」

 ピシッと心にヒビの入る音がした。


「何が女々しいって……顔から身体つき、さらには名前まで女の子っぽいわね」

「名前はしょうがないだろ……」

 若干、涙声になりながらも反論する。が、心のライフはもう、ゼロに近かった。

「アンタ実は女の子なんじゃないの? 本当にタマついてるの?」

 瞬間――ライフがゼロになり、心が折れる音がした。

「そこまで言うか? 普通」

 本来なら、ここで「凛が男の名前で何が悪い! 僕は男だよ!」とか開き直るべきなのだろうが、精神的なダメージがあまりにも大きく、それ以上の言葉が出なかった。

「だって事実だし……ね、凛ちゃん」

「もうやめて! 僕のライフはもうゼロだから! これ以上の攻撃は無意味だから!」

 あまりに悲惨な追い打ちに凛は両耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込む。


「ふふ、やっぱりアンタを苛めるのは楽しいわ」

「やられる身としてはいい迷惑だ!」

「あら……でも、まんざらでもない顔――」

「してないからね!?」

 ありえない言葉に思わず声を張り上げる。なんというか、この数分間で三つ程年を取った気がして、凛はため息を吐く。

「まあ、一〇〇歩譲って、アンタの言い分を聞いてあげる」

「譲るも何も、正しい事しか言っていないんだけど……」

「そんな事どうでもいいわ」

 駄目だ、頭が痛くなってきた。


「そうだ、アンタ週末暇? 暇でしょ? 暇よね?」

「出たな、暇の三段活用。生憎だが、僕は忙しい。他を当たって――」

「テレビ見たり、マンガ読んだりは用事じゃないわよ」

「ぐっ……違うし! 忙しいし! 猫の手も借りたい程だし!」

「じゃあ、なんでそんなに涙目なのよ……」

 呆れる夏音にそれ以上言い返せなかった。

「で、暇で暇でしょうがない雨村君。週末、私と遊びましょ?」

「断る。週末ぐらい、ゆっくりさせてくれ」

 週末までこんなノリにつき合わされれば、頭がおかしくなりそうだ。


「えぇーいいじゃない。減るもんじゃないでしょ、この言い訳大魔王」

 頬を膨らませ、不満を口にする夏音。傍から見れば微笑ましい光景なのだが、渦中にいる身としては全く穏やかではない。

「駄目だ。僕の貴重な休日が無くなる」

 この際、言い訳大魔王とかいう不名誉な称号には目を瞑ろう。だが、休みを死守するという事は変わらない。

「その貴重な休日は味気ないものでしょ? とにかく、けってーい! 凛は週末、可愛い夏音ちゃんとお出かけするのだー! じゃあね!」

 そう言うや否や、夏音は軽やかな足取りで通りを曲がっていった。

「おい、僕は一度も了承して――て、聞いてないか……」

 彼女の後姿を見つめ、ため息を吐く。女の子と出かけるというのに気が重い。

「頭痛薬と胃薬、買い足しておくか……」

 かくして、週末の予定が決まってしまったのだった。



「明かりがついてる……」

 ドラッグストアにて頭痛薬と胃薬を買い、自宅に戻った凛はある異変に気付いた。

 そう、明かりがついているのだ。別に、明かりがついている事は不思議ではない。それが人のいる家ならば、だが。

「姉さんからの連絡は……」

 携帯を取り出し、着信履歴やメールを確認する。姉が帰ってくる時は、いつも何かしらの連絡が入っているから。だが、今回はどちらも受信した記録がなかった。

「マジかよ……」

 頭を抱え、嘆息する。

 この状況で考え付く答えなど、一つしかなかった――


「泥棒とかどうやって対応すればいいんだよ……」

 凛は息を殺し、玄関の扉をゆっくりと開く。

 自宅だというのにコソコソするのは、まるで自分が泥棒になったような気がして不愉快でしかなかった。

 玄関に入り、足元を見る。そこには二組の靴が綺麗にそろえられていた。泥棒の癖に律儀な奴らだ。

 だが、そう思ったのも束の間、正面から何かが凛めがけてのしかかってきた。

「うおっ!?」

 家主が帰ってきた事に気付いた泥棒だろうか。慌ててそれを引きはがそうとするが、そこである事に気付く。

 それがのしかかってきたのではなく、抱き付いてきたという事。そして、どさくさに紛れ、唇を奪われた事に。


「ちょっ!? 離れ――」

「りーん、久しぶりだなぁ。お姉ちゃん寂しかったぞ」

 不意にそんな声が鼓膜を震わせた。この声音と喋り方、そして抱き方。その全てに凛は覚えがあった。犯人は間違いない。

「姉さん!?」

「正解、はぁーやっぱり堪らないわ、この抱き心地……」

「ちょっ!? これ制服だから! 涎垂らさないで!」

 恍惚な笑みを浮かべ、だらしなく涎を垂らす姉を引きはがす。

 彼女の名前は雨村 雪羅せら。凛の姉で、年齢は二十代後半。肩口程で切りそろえられた髪と大人っぽい容姿に似合わない態度。それが彼女の特徴。

「あーん、凛のいけずぅ……」

「いけずじゃない。なんで連絡しないのさ。普段なら、帰ってくる前に電話なりメールなりしてくるじゃん」

 ポケットからハンカチを取り出し、制服に付いた涎を丁寧に拭き取っていく。シミにならなければいいが……


「あーすっかり忘れてたわ、ごめんごめん。急にお客さんが来るっていうから急いで帰ってきたの」

「お客さん?」

「雪羅さん、一体どうしたんですか?」

 そんな声と共にリビングから一人の少女が出てくる。

「おーちょうどいいところに。凛、紹介するね。彼女は綺華あやかさん。訳あって、今日から家に住む事になったの」

 そんな姉の言葉など、耳に届いてはいなかった。

 その理由は三つあった。

 一つ目の理由としては、目の前の少女はあまりにも美しく、その容姿は浮世離れしていたから。そして二つ目、彼女は今朝、出会った少女だったから。

「きみは……」

 喉奥から弱弱しい声が漏れる。頭が混乱して、言葉が上手く纏まらない。

 そして、三つ目は――

「お久しぶりです、凛さん。たった今、ご紹介に預かった綺華です。私、こう見えて妖狐をやっております」

 そう、狐の耳と尻尾が生えていたから。

 動揺する凛をしり目に、妖狐の少女――綺華はペコリと礼儀正しくお辞儀してみせた。

 そして、綺華は一歩踏み出すと、凛の身体を抱きしめた。


「わっ!? ちょ、ちょっと綺華さん!?」

 あまりにも唐突な行為に凛は声を上げる。

 本来ならもっと反応するべきかもしれない。だが、仕方ないのだ。雪羅以外にこんな事をされた事がないのだから。

「ずっと――ずっと、貴方様の事をこうしたかったのです、私は」

「え……? それってどういう――」

からずっと、愛しておりました。凛さん」

 その言葉を聞いた瞬間、心臓が大きく脈打つ感覚を凛は覚えた――

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