第3話 受け入れがたい事実
「で、一体、何がどうなってるの?」
リビングにて。凛はソファーに腰掛け、正面の二人を見つめていた。
「どうもこうも……ねぇ?」
そう言ったのは
「ええ、私は妖狐です。としか、言いようがありませんし……」
そう言った彼女の狐耳がシュンと垂れる。感情表現の豊かな耳だ。
「そうじゃなくて、綺華さんはなんで家に来たんですか?」
「なんで、ですか……しいて言えば、凛さんに会うため。ですかね?」
「ふざけないで真面目に答えてくれませんか?」
「うぅ……私はいつだって真面目なのに……」
再び彼女の耳が垂れる。
「とにかく、一から全部説明してください」
未だに状況を飲み込めていない凛としては、彼女の飄々とした態度に苛立ちを覚えてしまうのだが、できる限り冷静に対応する。気持ちで負けてしまえば相手の思う壺だから。
「少々長く、ややこしい話になりますがよろしいですか?」
「できれば簡潔に、それでいて分かりやすくしてもらえると助かる」
我ながら我儘な要求だが、仕方ないだろう。理解できなければ、意味がないのだから。
「努力しましょう。まず、前提として凛さんは神や妖怪の存在を信じていますか?」
「信じたくはないけど綺華さんは妖狐、つまり妖怪なんだろ? とりあえずは信じるよ」
「理解が早くて助かります。やっぱり初手で耳と尻尾を見せたのは正解でしたね」
「むふふ」と綺華が笑う。そして、姉、雪羅はというと――
「すぴー」
寝ていた。しかも器用に目を開けたまま。
あまりにも自由過ぎる姉の姿に凛は憤りを感じていた。
そもそも綺華を呼び寄せたのは雪羅だ。当事者が説明責任を放棄してよいものだろうか。いいや、ダメだ。
結論付け、凛は彼女に向き直ると――
「そこ、寝るな!」
お茶菓子として出されたチョコを纏った棒状のプレッツェルを投擲した。
「ぎにゃぁっ!? 眼が! 私の眼球がッ! 世界がブラウンに塗り潰されるゥ!」
「さ、話の続きを」
両目を押さえ、のたうち回る姉をしり目に凛は綺華へと向き直った。
「は、はぁ……えっと、話は時を一〇〇〇年程遡ります」
「凛……このプレッツェルしょっぱいよ……」
「知るか」
いちいち話の腰を折る姉に辟易しながらも、触れてしまう自分が情けないと思う。
「私はある神様に仕えていました。その神様は自身を舞と名乗り、真名を明かす事は一度もありませんでした」
「なるほど……」
確かに狐を神使として、神と共に祀る神社も少なくはない。一般的に言う稲荷神社だ。彼女もそういった感じのものなのだろう。そして、真名というのは神にとって大事なもの故、あまり公にはしなかったという話もどこかで聞いた覚えがあった。つまり、ここまでは話に接合が取れる。
「そこにある妖怪が現れました。自らを〈理を壊す者〉と名乗り、我々に襲い掛かってきたのです」
「〈理を壊す者〉か……大層な名だな」
「そう? 凛だって変わらないじゃん。中二の時、『我は悠久をつかさどるエタ――」
「うるさい」
プレッツェルをモグモグしながら、黒歴史を語りだす姉の両目に再びプレッツェルを投擲する。先程の一件でコツは掴んだため、それは先程とは比べものにはならない速度で彼女の両目に直撃した。
「あぎゃぁぁぁ! モニターが死ぬ!? なにっ!?」
「なんとか〈理を壊す者〉を祠へ封印する事には成功したのですが、致命傷を受けてしまった舞様はその後、息を引き取りました……」
綺華も雪羅のリアクションに慣れたのか、顔色一つ変えずにそう言った。
「神様も死ぬんだな」
「ええ……神と言っても老いる事がなくなるだけで、身体構造としては人間も妖怪も差はありません」
一般的に言われる神は全知全能で不老不死。それこそ、神を殺すには専用の武器が必要とされる程の存在だ。しかし、綺華が言うには人間と妖怪、さらには神すら大して変わらないというのだ。なんとも拍子抜けな話だと思う。
「そっか。神様も人間の延長線ってところなのか……」
「はい。結局のところ、神なんて仙道とか仏門を極めた人間が到達するものですからね」
確かに宗教、ひいてはその道を極めたものは大体、神や救世主として人々から崇められている。凛は静かに頷いた。
「さて、話を戻します。ひとまずは〈理を壊す者〉を封印する事には成功しました。しかし、時は流れ、今から一〇年程前。奴は再びこの世界に解き放たれてしまいました」
「一〇年前? それはなんで?」
「時が流れ、封印に綻びが生じてしまった。そして、奴に関係するある人物がその場所にいたという説が有力ですね」
「なるほど……でも、その話が本当だったとして、綺華さんがここに来た理由に何の関係が?」
そう、話の流れは理解できる。だが、結論が繋がらない。結局綺華が
「私がここに来た理由……それは貴方が奴に関係する人物だからです」
「は?」
思わず間の抜けた声が出てしまう。
今までされていた非現実的な話の数々。そんな常識から程遠い話に自分が関係していると言われ、呆けない方がおかしい。
そんな事態を従順に呑み込めるのはアニメや小説の主人公か、頭の中がお花畑でない限り不可能だ。
だが――
「ですから、貴方は舞様の生まれ変わりなのです。雨村 凛さん」
彼女の口からそんな言葉が紡がれた瞬間、凛は世界が遠ざかるような、不思議な感覚を覚えた。
まるで自分がその言葉を待っていたような、そんな高揚感と認められないという感情が入り混じった不思議な感覚――
「そんな……僕が神の生まれ変わり? ……証拠は!? そんな証拠があるの?」
「証拠……私と凛さんは前世で契りを交わした存在。その魂はたとえ転生したとしても、惹かれあう
「惹かれあう……? 綺華さんはそれでいいの? 契りを交わした相手だからって、どこの誰とも分からない男に惹かれるなんて……おかしいよ!」
堂々と語る綺華に、凛は噛み付く。そうだ、おかしい。具体的には言えないが、彼女の言っている事は何かがおかしいのだ。
「どこの誰とも分からないですか。残念ながら、私と凛さんは既に出会っています。一〇年前に」
「一〇年前……」
言って、記憶を遡ってみる。が、そこである事に気付いた。
「思い出せない……なんで」
そう、おぼろげながら憶えているものの、ある一定の期間の記憶だけがすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。
しかも、こうやって記憶を遡ろうとするまで、忘れている事すら忘れていたのだ。
「無理もないわね。貴方は一〇年前、ある事故に巻き込まれ、大怪我を負ったの」
そう言ったのは雪羅だった。
「その事故って、まさか……」
「ええ、〈理を壊す者〉の復活です」
全ての辻褄が合う。一〇年前、〈理を壊す者〉が封印された祠へ不用意に近づき、代償として大怪我を負い、記憶を失った。
だが、それは凛自身が神の生まれ変わりである事を前提にしてこそ立証される仮説だ。
そんな根拠も何もない話を信じられるかと聞かれたら、出る答えは一つしかなかった。
「そんな話……信じられる訳ないだろ!」
「凛さん……!」
「確かに貴女の話は正しい。けど、そんな戦いに『神の生まれ変わり』とかいう理由だけで僕を巻き込まないでくれ。僕はただの人間だ」
そうだ、仮にもし神の生まれ変わりだったとしても、今の凛はただの高校生。無力な存在。
軽い気持ちで手を出せば死ぬというのに、何故、自分から危険な事に飛び込んでいかなくてはならないのだろうか。
きっと彼女は所詮他人事程度にしか思っていないのだろう。そう考えるだけで腹立たしい。
「凛! アンタは――」
「姉さんはこんな馬鹿げた話を信じるというの!?」
「ええ。信じるわ! これは私達の使命なの!」
一点の曇りもない瞳で雪羅が言う。彼女はこの話が全て正しいと思い、全うしようとしている。
そんな人物と議論したところで、得られる結論など平行線でしかない。
「そうかい……なら、少し頭を冷やしてくるよ」
皮肉交じりに答え、凛は部屋を後にした。
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