第五幕 其ノ三

 ナキアヅカ達を追って地上に出たユノが目にしたのは、上空に浮かび上がり更に巨大化した球状魔法陣。その大きさは五間ごけんほどにも成ろうかという巨大さだった。

 更に地上にも地面を埋め尽くす程の魔法陣──ボティスが使っていた魔法陣だが、ユノは知らない──が浮かび上がっている。

 二つの魔法陣は連動しており、地面の魔法陣から球状魔法陣へと魔力が流れ込んでいるのがユノにも分かる。

 流れ込む魔力の量が膨大に過ぎて、まるでへその緒の様になっているのが肉眼で見えてしまう程である。

 このまま魔力が注がれるままにしておくのはまずかろうと、そのへその緒に対してトワからさずかった──とユノは思っている──刀を振るう。

 しかし只の物理的な斬撃は、単なる魔力の流れに対して何ら効果は無かった。

 ならばと刀に魔力を乗せて振るって見るが、結果は同じ。ただむなしくくうを斬るに終わる。

「これなら!」

 熟達した戦士達が持つ超常の力。『闘気』を全解放し、魔力に上乗せして行く。


「一閃!」


 ユノの闘気と魔力でコーティングされた刀が、光の速度に到達しようかという速さで振り抜かれる。

 その鋭い一撃は見事に魔力の流れであるへその緒を断ち切って見せる。

「よし──!」

 だがその喜びが続いたのはほんのわずかな時間でしかなかった。

 留まる事なき魔力の奔流ほんりゅうは、断ち切られたとて直ぐにまた球状魔法陣と結合する。

 二度三度と斬ってみるが結果は同じであった。

 延々と斬り続ければ時間稼ぎにはなるかも知れないが、ユノの体力は無限ではなく、少々の時間を稼いだ所で援軍の当てが有るわけでもない。時間稼ぎでは根本的な解決には至らない。

 ならばと地面の魔法陣を破壊出来ないかと斬り付けて見るが、その瞬間はその部分を削る事は確かに出来る物の、直ぐに復元してしまう。

 出来れば攻撃はするのは避けたかったがとユノが内心で呟きながら見上げるのは、上空に浮かぶ球状魔法陣だ。

 あの魔法陣の何処どこにトワが居るのかが分からないからだ。

(球の形をしている以上、恐らくはその中心ではあろうが……)

 大方おおかたの予想は付くものの、さりとて確信を抱いている訳ではない。

 万一にもトワ様を傷付ける訳には……。

 と、ユノが二の足を踏んでいる最中も、状況は当然ユノの決断を待つ事無く進行して行く。

 その変化にはユノも直ぐに気が付く。

(地面の魔法陣が小さくなっている……?)

 様にユノは感じた。

 見る見る内に……と言う程の速さではないが、しかし徐々に小さくなっている気がする。

 魔法陣が小さくなっている理由は分からなかったが、これを吉兆と捉える事はユノには到底出来かねた。

(嫌な予感しかしないな!)

 焦りの中、急ぎ迫られる決断。

 ユノは信じる事にした。

 己の予想を?

 否。トワの力を、だ。

(私如きの力が、トワ様に通用するはずもなし!)

 万一己の刃がトワに届いたとて、それは決してトワを傷付ける事あたわぬと、ユノは結論付けたのだ。

 そしてそう結論付けると、不思議な程に迷いが無くなった。

 むしろ万一があってはならぬ、等と何と不遜ふそんな事を考えていたのかと。それは裏を返せば「私はトワ様を殺せるだけの力がある」と言って居る様なものだ。思い上がりもはなはだしいとはこの事ではないか。

 迷いの吹っ切れたユノは、その切先に全ての力を集中させる。

 鋭く、鋭く。

 更に闘気と魔力を注ぎ込みながら、それを凝縮して行く。

 闘気と魔力が混ざり合い、溶け合う。

 更に鋭く。

 何時いつしかそれは闘気でも魔力でもない新たな力を為す。

 その新たな力を纏った刀は眩く輝いていた。それは暁の様に。

「シッ!」

 短くも力強い呼気と共に放たれる、全身全霊の一撃は上空に浮かぶ球状魔法陣を逆袈裟に斬裂く。

 チラリとのぞいた魔法陣内部の中央にはやはりトワ。球状魔法陣の内側から無数の魔力の管がトワの体に伸びている。それらがトワから力を吸い上げながら魔法陣の力となし、その力を地上の魔法陣で増幅、倍化させトワを支配する為の呪印へと注がれる。呪印の支配が進行しているのだろう、トワの肌の所々に見慣れぬ紋様が浮かび上がっているのが見て取れた。

 そしてその背後に、トワをユノに対して盾にするようにして身を隠すナキアヅカの姿を確認する。

 斬り裂かれた魔法陣は地上のそれと同じく、直ぐに元の形を取り戻して行く。

(で、あろうな)

 そんな事は地上の魔法陣で既に承知済み。

 あくまで今の一撃は中を確認するためのものだ。

 私が?

 勿論それもある。が、憎らしい事にそれを見せて置く必要がある者が一人居た。居た事に気付いてしまった。気付いてしまった以上は利用しない等という余裕はユノにはない。

 使えるありったけを使って、トワ様を助ける!

 そこに刹那せつな逡巡しゅんじゅん躊躇ためらいも、在りはしなかった。

 そう──

 本命はここからだ!


 一方のフェムトはと言うと──

 ユノが囚われていた地下室の隣室、即ちナキアヅカが先程まで居た部屋へと足を踏み入れていた。

(幾らトワの奴を想定して準備をしていたからって、それが今の今だと分かってたとは思えねぇ。フテリの野郎が逃げ込んだ時か? ヒラキの野郎がトワの宣戦布告を受けて帰って行った後か? いいや違うね。その頃の奴さんは念願のユノを手に入れて舞い上がっていたはずだ。ああいうクソッタレな趣味の野郎はそういう時には極端に視野が狭くなりやがる。恐らくユノをどうなぶるかしか頭になかった筈だ)

 なかば確信を持ってフェムトはそう考える。

 そんなやからと徒党を組み、ずっと間近で見て来たからだ。

(じゃあ何時いつだ? 考えられるとしたらユノをトワが助けた時か、或いはあの魔族かフテリの野郎が死んだ時だ。俺の考えとしちゃぁあの女魔族が一番かねぇ)

 フェムトはあの女魔族が、ナキアヅカの身代わりだけでなく護衛の役割もあったはずだと考えていた。

 そして『時』を操る等という魔族を倒せるのは、それ以上の『時』の使い手くらいのモノだと考えていたのではないかと推察する。

 それはすなわちナキアヅカの中では女魔族が倒される、イコール滅びの化身が現れたという報せそのものだったのではないかと。

(そうなら、準備していたモンを動かすための時間はそうはねぇ。何時来るとも分からねぇ、むしろ来る可能性なんざほぼゼロだった相手への備えだ、忘れねぇ様に書き記した手順書みてぇなモンがあってもおかしくはねぇはずだ……)

 それを探すためにこの部屋を漁っているのだった。

(こっちも時間がねぇが、奴さんにだってそんな丁寧に処分したり隠したりしている暇はなかったはずだ……どこだ……どこだ……俺ならどこに隠す……?)

 出来れば肌身離さず持って居たい処だが、奴はこちらに接触して来た。

 つまり、あの一連の行動の何かが発動の為の条件。恐らくはトワに直接触れる事が必要だったのだろう。

 そんな時に万一でも罠について書かれた物などが見つかる可能性は無くしたい。

 相手は神をも超越する存在だ。

 隠し持っている程度で誤魔化せるかどうか賭ける気になんか、俺だったらならない。

 であるからこそ、この部屋の何処かにあるはずだとフェムトは踏んでいた。

(あの超神的な強さのアイツをどうにかしようって言う天才が相手だ。そんな簡単に見つかる所にはないはず……)

 そう思うものの、その考えに何か腑の落ちないものを感じる。

(天才……天才……天才が考えそうな事ねぇ……)

 全くもって天才などとはかけ離れた存在のフェムトにはまるで想像も及ばない。

 だがそこで、「いや、待てよ……」と独りち、フェムトが何かに気付く。

 抱いた違和感の正体に。

 フェムトはおもむろに、部屋の隅にあった机へと向かう。

 何の変哲もない只の机だ。

 研究資料を纏めたりするのに使っていたのだろう、机の上には白紙の紙束や墨、筆等が整理して置かれている。

 机の横には小物や良く使う物を入れて置く用に、簡易の鍵付きの物入れが置かれていた。フェムトが用があるのはこちらの方だった。

 物入れの鍵は、鍵開けの技術など使うまでもなく細い棒を突っ込んでひねると簡単に開いた。

 ガラっと勢い良く引き出すと、そこにはビッシリと何かが書かれた紙束が仕舞われていた。

「当たりだ」

 書いてある中身はチンプンカンプンだが、魔法陣の事について書いてある事くらいはフェムトにだって分かる。

「俺としたことが難しく考え過ぎてたぜ。魔法陣に関しちゃあ天才かも知れんが、物を隠す事も天才たぁ限らねぇわな。ましてやこの地下空間自体が取って置きの隠し部屋だ。警戒心が最も緩むこの部屋で普段からそこまで厳重に隠したりはしねぇもんだ。そして咄嗟とっさの時ほど無意識に普段通りの行動を取っちまうってぇもんさ」

 手に入れた紙束をもてあそびながら自画自賛する。

「俺にゃぁサッパリ分からんが、あの脳筋女も伊達に勇者とか名乗ってる訳じゃねぇだろ。少なくとも俺よりはコレの中身について分かるだろ」

 コレをアイツに渡したら後はお任せよ。

 出来るだけ安全な所に隠れておかねぇとな。巻き添えで怪我なんて馬鹿らしいったらありゃせんぜ。

 フェムトは紙束をしっかりとくくって落とさないよう腰に挟み込む。

「そいじゃあ急ぎますかね……っと」

 駆け足で階段を昇り地上に出る。

 そこで目にしたのは地上と空に展開する巨大な二種類の魔法陣と、それらを相手に孤軍奮闘するユノの姿であった。

 それを横目に上空の魔法陣を挟んで、ユノと反対の方向へとフェムトは回り込む。

 その際にフテリの死体が持っているある物に気付き失敬しっけいして行く。

 その間、ナキアヅカから何か攻撃があるんじゃないかと内心ビクビクだったが、全く何事もなく裏手に回り込む事に成功する。

 ぶっ壊れてない見張りやぐら──反対側にはトワの投石で無残に破壊された鐘楼しょうろうの付いた見張り櫓の残骸があった──があったからここに来たのだ。

 フェムトはスルスルッと物見台まで登ると、ユノの様子をうかがう。

 今までに見た事もないほどおっかない感じになっているが、それでも手詰まりになっている様子だ。ある意味予想通りだなとフェムトは小さくぼやく。

(ちぃとばっか危険だが……やるしかねぇ!)

 腰に挟んでいた紙束を取り出すと、周囲の柱に当たらない様に注意しながら長い紐に括り付け勢い良くぶん回し、勢いそのままにユノに向かって放り投げた!

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