第四幕 其ノ四

「私が魔族だとバレて仕舞った以上仕方がありませんね。貴女だけを殺すつもりでしたが仕方ありません。全員ここで死んで頂くといたしましょう。フテリはまだまだ使い道があったと言うのに、貴女のせいで台無しです」

「クックッ。皆殺しとは大きく出たのう。千年前、たまたま最後まで生きておっただけのお主が、はてさてどうやって儂に勝つ心算つもりなのじゃろうのう」

 トワの挑発にボティスは眉一つ動かす事は無かった。

(ふむ。兵を無駄にけしかけて来た事と言い、何やら儂に勝つための算段がある様じゃのう。さて、どんな芸で儂を楽しませてくれるのかのう)

 トワにとってはそんなボティスの必勝の策とやらも、単なる娯楽程度の物でしかない。

「儂らを殺したとして、その後領主はどうするのじゃ?」

「どうもしません。あなた達にさえ消えて頂ければ後はどうとでもなります」

「貴様っ! ナキアヅカ様に何をしたっ!?」

 二人の会話にフテリが割って入る。

「別に大した事はしていません。いえ、する必要が無かったとも言えます。私は彼の理性のたがを緩めてあげたに過ぎません。元々彼には『ああいった』へきがあったようですし」

「そこに付け入った訳じゃな?」

「さあ? どうでしょうか」

 ボティスはトワの問いを肯定も否定もしない。

 フテリはそれを肯定の意と捉えた。

「貴様が魔族であろうが何であろうが、それは構わぬ。だがっ! ナキアヅカ様を傀儡かいらいと成さしめんとする事は断じて許さん! 許さんぞぉっ!」

 大恩あるナキアヅカへの忠誠心高きフテリは怒りを露わにする。

 奴隷売買の伝手つてで手に入れた『短筒ピストル』を懐から取り出し、ボティスに向け躊躇ためらうう事無く引鉄ひきがねを引く。

 パァン!

 乾いた音が鳴り響き、弾は音を置き去りにしてボティスに向かって一直線に飛んで行く。

 普通の人間にとっては目にも映らない速さの弾丸も、魔族の将軍たるボティスを討取るには余りにも遅過ぎる。

 フテリの発砲を契機に、ボティスの矛先はそのフテリへと向けられる。

 発砲を確認してから、弾丸がボティスが居た空間に到達する前にはもう、ボティスの手がフテリの首を刈り取らんとしていた。

 だが、その手を素早く止める男が居た。ヒラキである。

「あなたの番はまだよ?」

「これが某の仕事ゆえな」

 ヒラキは掴んだ手を離すと同時に初手から光速で斬り掛る。

 例え魔族の将と言えど、光の速度で動ける者は居ない。

 ヒラキは今までに戦った事のある魔族達との経験から、そう確信していた。

 ヒラキにとってここにある脅威とはトワ以外に存在しない、そう思っていた。

 しかしその考えは覆される。

 ヒラキの光速の剣戟けんげきは空を斬っていた。

 ボティスはヒラキの間合いの少し外に移動していたのだ。そう、ヒラキに知覚される事なく。

 そしてその手にはフテリの首だけが握られていた。

「…………っ!?」

 ボティスが何をしたのか、分かっている事が二つ。

 依頼の失敗と、ボティスの技の正体だ。

 依頼人が死んだ以上留まる理由のないヒラキは、さてどうするかと考える。

 ボティスの力は分かったが、だからと言って対応出来るかどうかと言えばそれは、否である。速さだけを追求し磨いて来た己の技とは、相性がよろしくないからである。

 トワとはまた一戦交えたい所ではあるが、それは更なる修行を積んだ後での事であって、今ではない。

 であれば、とっとと退散するにくは無しと、ヒラキは結論付ける。

 そうと決まればヒラキの行動は早かった。

 超光速での全力離脱である。

「ふふ。逃がしはしない」

 ボティスは超光速で逃走するヒラキを、まるで止まっている相手を捕まえる様な気安さで近付き、自身の間合いに捉える。

 己の命を刈り取ろうとするボティスの手に、ヒラキはピクリとも反応しない。

 まるで──いや、時間が止まっているのだ。

 時間停止──

 時間の流れを操るボティスの、取って置きである。

 ボティスのチカラでは、大河の如き時の流れをそう長時間止めて置く事は出来ないが、人間の一人や二人を始末するには十分な時間がある。

 止まった時の中で、唯々ただただその命がついえる瞬間を待つだけのヒラキ。

 ボティスは野花を摘み取るが如き容易さで、ヒラキの命を摘み取ろうとした。しかしその手を、がっしりと掴む小さな手が一つ。

「こ奴は儂が生かしておいた男じゃ。のちの楽しみのためにのう。それをじゃ、勝手に壊されてはちぃと困るのう」

「…………!?」

 莫迦なっ! 何故動いているっ!?

 己のチカラに絶対の自信を持っていたボティスは、掴まれた手を振り払う事も忘れ茫然ぼうぜんとトワを見つめる。

「何をそんなに驚いておるのじゃ? まさか、時を操れるのは自分だけだと勘違いでもしておったのかのう。こんな稚拙な時間停止でようそこまで思い込めたものじゃ」

 ボティスは自身の切り札を児戯じぎだとあざけられ、怒りと屈辱に震える。

 それと同時に、もしかするとトワは自分を越える時の繰手くりてかもしれないという、最悪の想像が脳裏をよぎる。

 単純な戦闘能力では、ボティスはトワはおろかヒラキの足元にすら及ばない。この場には居ないが、ユノにさえ遅れを取るレベルである。

 ボティスの魔将としての実力は、時間流じかんりゅうの操作というチカラあっての物なのだ。

 それが通用しない相手を前にして、ボティスからは一切の余裕が失われていた。

「まさかこれで終わりという事はないじゃろ? 先にぶつけて来た兵士達に何か意図があったはずじゃ。よもやあれで儂を討取れると考えてった訳でもあるまいしの」

 一方のトワは、余裕の笑みを浮かべるどころか、ボティスが次は何を見せてくれるのか楽しみにしているあり様だ。

 まるで道化と観客ではないか。

 だがそれをボティスは認める事は出来なかった。

 それを認めて仕舞えば、もうトワに立ち向かう事は出来なくなる。自分とトワでは戦いにすらならないのだと認める訳には行かなかった。

「は…………放せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 持てる魔力を全開放し、渾身の力でトワの手を振り払おうとする。

 トワはそれに逆らう事無くあっさりと手を放してやる。

 トワの手が放れた瞬間に、ボティスはトワから素早く距離を取る。その行為にどれほどの意味があるのかと、ボティス自身疑っていながらもそうせざるを得なかった。トワから少しでも距離を置く事で心の安定を取り戻そうとする、ボティスの本能的な行動であった。

「ああああああああああああああああああああああああああああ!」

 ボティスの咆哮ほうこうと共に、解き放たれた魔力が収束していく。

 それと同時にアクダイ館の敷地一杯に施された超巨大魔法陣が起動する。

 実に直径が一町いっちょうにも及ぼうかという巨大な物である。

「これはまた……とんでもない大きさじゃのう。なるほどのう……これを起動するための供物であったか」

「ああああああああああああ………………」

 起動した超巨大魔法陣のチカラも使い、魔力を飛躍的に増大させていく。

 ボティスの姿は本来の姿である漆黒の翼をまとった、魔族のそれへと変貌していた。

 ボティスの魔力は、先程までの擬態と比べて数十倍にも跳ね上がっていた。

 そしてその全ての魔力を消費して、ボティスは最後の切り札を切る。

時間凍結フリーズタイム!」

 この魔法は先程の時間停止とは根本的に異なる、遥かに高度な魔法であった。

 時間流を河と例えるなら、先程までの時間停止はその河に突貫でせきを作って流れを止めている様な物で、あまり長時間維持出来る物ではない。それに比べてボティスが今使った時間停止術は、河自体を凍らせて流れを止めるに等しい魔法であった。とは言っても、ボティスに出来るのは、自身が存在する現在の点を中心とした、精々数分から数十分の過去から未来にかけての時間を止める事くらいである。

 更にこの時間凍結フリーズタイムには二つのメリットがある。

 一つは河自体を凍らせるため、一度止めて仕舞えばしばらくは何もしなくても時間が止まったままである事。

 もう一つは、例えトワの様に停止した時の中で動ける様な相手であろうと、河ごと凍らせているため、意識があったとしても体を動かす事は不可能であるという事。

 この凍った時の中で自由を許されるのは、術者であるボティスのみである。

「ハァハァハァ…………どうだ…………これが私の最終奥義とっておきだ……っ! 私にこれを使わせたのが貴女の失敗でしたね……」

 全魔力を一度に消費し尽くし疲労困憊ひろうこんぱいのボティスは、勝利を確信し悠然と視線をトワに向ける。

「────っ!?」

 いないっ!?

 莫迦な莫迦な莫迦な莫迦な莫迦な莫迦な莫迦な莫迦な──

 前後左右、天井までも見回しても、何処にもトワの姿は無い。

 ありえないありえないありえない──

 ボティスは背筋が凍り付く様な悪寒に襲われながら、懸命にトワの姿を探す。

「今度のは中々悪くは無かったのじゃ。良く頑張った褒美に、時間停止の更なる高みを見せてやるとしようかの!」

 未だ姿の見えぬトワの声だけが、ボティスに語り掛けて来る。


げ』


 トワの放ったチカラある言葉が、時の「流れ」を止める。それまで河であったものが只の大きな水溜りになった様なモノだ。時が何処にも流れなくなっていた。

 過去から未来へと続く「流れ」がピタリと止まってしまっている事に、ボティスは気付く。気付いてしまった。

「莫迦な…………こんな……こんな事が…………」

 遥かな過去から無限に続く未来に至るまで、完全に時の流れが止められていた。

 格? いや、次元が遥かに違っている!

 こんな化物にかなう筈が無い……っ!

 ボティスは此処に至って遂にトワから逃げ出そうとする。

 が、出来なかった。

「そこまでおそれる事はなかろう? 時の流れを一本止めただけなのじゃから」

 何処から現れたのか、気付けばボティスの正面にトワの姿があった。

「所詮お主は河の中の住人じゃ。じゃが儂は河の外に居る。例えるなら儂はその河があるセカイの管理者……とでも言えば良いかのう。そもそもの立ち位置からして、時間操作ではお主に勝ち目は無かったのじゃな」

 そんなトワの解説もボティスの耳には入って来ない。

「ヒィッ!? ……あぐっ……」

 恐怖におのの後退あとずさりしようとするボティスの首根っこを、トワの手が掴む。

「ふむ……とりあえず『流れ』を元に戻すとするかの」


かい


 トワの一声で、再び時が正常な流れを取り戻す。

 再び流れ出した時の中で、ヒラキは一切の躊躇も見せず逃走する。

 その際、突然トワがボティスの首を捕まえているのが視界に入るが、全く速度を緩める事なく全力で離脱して行く。

 刹那の間に地上の果てまで逃げおおせたヒラキを追う手段は、ボティスには無かった。

 ヒラキの姿を見送ったトワは、改めてボティスに向き直る。

「さて、出し物も終わった様じゃし……どうするかのう?」

 トワの手を振り解こうとボティスはもがくが、トワの手はビクともしない。

 もう用もないし殺してしまっても構わんのじゃが……そればかりと言うのも詰まらんのう。と、トワはボティスの処分方法について検討し始める。

 そこでやっと事態の急変に気付いたフェムトが、恐る恐るトワの傍に寄って来る。

「一体全体何がどうなってんだ!? フテリの野郎は死んでるし、用心棒のヒラキの野郎も居やしねぇ。挙句あげくいつの間にか魔族を捕まえてやがる……。どっから湧いて来たんだよ……」

 全くもって状況を理解出来ていないが、取り敢えずトワの近くに居た方が安全に違いなかろうと、保身にだけは鼻が利くフェムトである。

「まあ何だか全く分からんし分かりたくもないが、そいつどうすんだ?」

「うむ。今それを考えておった所じゃ。ただ殺してしまうのでは詰まらんと思ってのう……」

「あ? 要らねぇんなら、じゃあ俺にくれよ」

 あの呪印を付けちまえば魔族だろうが何だろうが、奴隷に出来るからな!

 一旦フテリの野郎の地下室まで連れて行く必要があるが、魔族の奴隷なんて早々お目に掛かれねぇ。物好き共にさぞ高く売れるだろうぜ。

 へっへっへとフェムトが皮算用をしていると、心胆しんたん寒からしめる様なトワの声音が。

「ほう……。主よ、儂が目の前に居るというに、堂々と浮気宣言とは、やってくれるのう」

 無意識にトワの手に力が入り、首が握り潰され様としている苦しみと恐怖に、ボティスは顔の穴と言う穴から体液を垂れ流す。もはや暴れる力すらろくに残っては居なかった。

 絶対零度の視線を向けられ、フェムトはひるみながらも反論する。

「はっ! なぁにが浮気だ! そういう事は先ず俺のモンになってからほざきやがれってんだ! 大体なぁ! 魔族の女なんぞ抱く気はねぇ! 奴隷にして売るんだよ! それにユノを奴隷にしてやるっつった時は何も言わなかったじゃねーか!」

 ゼィゼィと荒い呼吸で息を整えているフェムトは、勢いに任せて言いたい事を言い切ってしまっておく。

 後は野となれ山となれ、だ。

 トワ相手には強気で押した方が良い筈……と、これまでトワと交わした会話の中でフェムトは学習していた。その学習内容が必ずしも正しいとは限らないのだが。

「ほほ~う……。浮気宣言の上に開き直りとはな。舐められたものじゃな」

 予定と違うトワのリアクションに、あれれ~おかしぃぞぉ~? と動揺する心をフェムトは叱咤しったする。ここで引くんじゃぁない! 更に押すんだっ!

 気持ちだけでなく、体も一歩前へ──

「──すみませんでしたぁっ!!」

 進んだ所で床を頭で叩き割る勢いで土下座をかます。

 危険を感じれば即座に前言など撤回する、それがフェムトである。

(誇りより 命が大事 それが俺──フェムト心の俳句)

 その勢いに毒気を抜かれたトワは、クックッと小さく笑う。

「そんなに怯えるでない。お主の命は保証すると言うたじゃろ」

 その言葉を聞いた途端に態度を豹変させるフェムト。

「チッ! ビビって損したぜ! おら、さっさとその魔族を寄越せよ」

「ただまぁ、きつ~~いお仕置きは必要かのう?」

「どうかご勘弁をぉぉぉ!!」

 地面に這いつくばりトワの足にしがみついて来るフェムトを上から眺め、背筋がゾクゾクっとするトワ。どちらかと言えばフェムトの立場の方が好みではあるが、こちらもコレはコレで悪くはないのう。等とフェムトの渾身の演技を堪能していた。

「もういもうい。冗談じゃ冗談」

 十分に満足した所で、そろそろ神をたたえる哀れな子羊の演技に入りそうだったフェムトを解放してやる。

「ふーぅ。俺の演技に掛かればざっとこんなもんよ」

 先程までの事など何もなかったかの様に、フェムトは飄々ひょうひょうとしている。

「クックッ。確かに。そうかもしれんのう」

 そう言ってにこやかな笑みを浮かべたままトワは一言続ける。

「じゃが、浮気は許さんからの」

 ウワキ ダメ ゼッタイ。


「で、結局ソイツはどうすんだ? くれねぇんならもうどうでも良いし、さっさと処分しちまえよ」

「そうじゃな。これと言って面白い使い道も思い付かぬしな」

 あっさりと下される死刑判決に、ボティスはいやいやと弱弱しく首を横に振る。

 タ ス ケ テ

 ユ ル シ テ

 かすかに震えた唇は、音になる事は無かった。

 その様子を見つめるトワには何の表情も浮かんでは居なかった。


めつ

 

 トワのチカラある言葉と共に、ボティスの肉体と魂は細かく分解され、原子の一欠けらも残す事なく完全に消滅する。

「ふむ。これで一件落着、といった所かの?」

 領主を操っていたとおぼしき魔族の将軍を倒した事で、恐らく領主に掛けられていたであろう術も解けていよう。

「今更何だか、さっきの魔族は結局何だったんだ? 突然現れたと思ったら直ぐにおめぇに殺されちまったし」

「あやつはホレ、この広間に女がおったじゃろ?」

「ああ、居たな……ってあいつかっ!?」

「あの女の正体が、領主を操る魔族の将軍じゃったという訳じゃな。儂の探してった奴も恐らくあ奴じゃろう」

 トワなりの結論をフェムトに伝える。

「まあ俺の知らん所で何やらあってそうなったんだろうが……じゃあ何だ、後はあの脳筋勇者を回収するだけって訳だな」

「そうじゃな。まあ加虐趣味の領主らしいからのう、考えるまでもなく地下じゃろうな」

「ああ。間違いねぇわ」

 さっさとあのバカ回収して、とっととこんな所からはおさらばよ!

 意気揚々と歩きだすフェムトの後ろを、歩幅の小さなトワは少し急ぎ足で付いて行く。

「そう言えば、何でユノを奴隷にしてやるって言った時は怒らなかった? 別に今だって諦めた訳じゃねぇぞ」

「クックッ。蟻一匹がどんな素晴らしい技を使った所で象を倒す事は出来ん。そう言う事じゃ」

「はあ? どう言うこった。分かりやすく言いやがれ!」

「ム リ じゃ」

 呵々大笑かかたいしょうするトワに対し、「ぜってぇお前もユノも俺の奴隷にしてやるからな!」と罵詈雑言浴びせながら宣言するフェムトであった。

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