第四幕 其ノ一

「う……ん…………」

 ユノが目覚めるとそこは薄暗い部屋の中。周囲は石壁いしかべに覆われ、部屋の外へと続く面には如何いかにも頑丈そうな鉄の扉。

 そう、言うまでもない──地下牢である。

 ユノは体を動かそうとするが、手は頭の上で手枷てかせめられ天井からの鎖に繋がれている様だ。足には足枷に大きな金属の塊が繋がれている。ユノの力を持ってすれば動かす事自体は然程さほど難しくは無いが、真面まともに動けない事に変わりは無い。

 周囲を見渡せば思わず反吐へどが出る様な、趣味の悪い拷問器具の数々が目に飛び込んで来る。そのどれもに血の跡があり、今まで実際に使われて来たのだという事を理解させられる。いや、敢えて恐怖をあおる為にわざわざこうして血の付いた器具を並べ立てているのかも知れない。そうであればこれらの持ち主は相当なイカレ野郎であろうとユノは結論付ける。

 そしてそれらがこれから何に使われるのか、考えるまでもない。

 ユノの瞳が一瞬、壁掛けの燭台しょくだいの灯りの様に儚く揺れる。

「お目覚めかね?」

 ユノが目覚めた事に気付いたのであろう。扉を開けて一人の男が牢の中へ入って来る。男とは勿論領主のナキアヅカである。

「……あなたは……?」

 街の領主の顔など知るよしもないユノは、男が何者なのか尋ねる。

「儂か? 儂はこの街の領主をしておる」

「……!? 領主ともあろうお方が何故この様な悪趣味な真似を!」

 平然と答えるナキアヅカに、ユノは自身の状況も忘れて怒鳴り付ける。

 しかしそれでこそと言わんばかりにニィィと口角を吊り上げて満面の笑みを浮かべるナキアヅカ。その表情におぞましい物を感じユノは気勢をがれてしまう。

「フフフ。悪趣味とはこれは手厳しい。して、お主の言うこの様な真似とはどんな事かな。参考までに是非聞かせてくれぬか?」

 ナキアヅカはそう尋ねながら牢の中にある数多の拷問具を物色し、「やはりずはコレじゃな」と乗馬用の物を改造した短く固い鞭を選ぶ。

「ここにある物を使ってこれまで行って来た非道の数か……あづぅっ!……」

 喋っている最中のトワにナキアヅカは全力で鞭を振るい、ユノの腿を打つ。

 バシィィィンと大きな音が響き渡り、服は破れ肌を切り裂き血をにじませる。

 そう、ユノは盗賊に捕まった時の様に一糸纏わぬ姿ではなかった。むしろ武器以外の装備はそのまま着させられていた。それはひとえにナキアヅカの趣味である。

 ナキアヅカは自身の力では到底敵わぬ武芸の達人たる女子おなごを、拘束し、なぶり、拷問の限りを尽くしその未来と心をし折る。

 初めの頃は強気な態度を崩さない女が、日に日に涙を流し許しを請う様になり、地にひざまずこうべを垂れて絶対の服従を誓い、それでも決して許されない事を悟り絶望の闇へと堕ちて行く。

 そのさまを眺めるのがナキアヅカの最高の娯楽なのであった。

 初めの頃は牢番や拷問吏に任せ眺めるに留めていたが、ある日を境に自身の手で執り行う様になった。そしてそれは、ただ眺めていた時とは比べ物にならない悦楽をナキアヅカにもたらしたのだった。

「ぐぅ……好きにすればいい……。あぐっ! 直にあの方が来られる……。貴様らの命もそれまでと知るが良い! ああっ!」

 ユノは鞭を振るわれながら、自身に言い聞かせる様にナキアヅカに滅びの訪れが近い事を告げる。

 ナキアヅカはそれに頓着とんちゃくする事なく、防具を避けながら鞭を振るい続ける。

 無機質な牢獄の中に、鋭い鞭の音とユノの悲鳴だけが木霊こだまする。


 小一時間鞭を振るい続けたナキアヅカは肩で息をし、額から汗をしたたらせながら喜悦の笑みを浮かべていた。

 防具で覆われていない箇所の至る所を鞭で打たれ、ズタズタに引き裂かれた肉からはおびただしい量の血が流れ、ユノの足元には大きな血溜りが出来ている。

 全身を激痛にさいなまれながらも、ユノは失血による意識の低下もなく、ただの一度も気を失う事も無い事に疑問を抱いていた。

「ふふふ……。不思議かね? お主に新たに施した呪印は盗賊共に与えていた簡易の物とは違ってな、人間の限界を超えた働きをも可能としておるのだよ。例えば……今お主には不老と不死、そして再生や覚醒と言っためいが施してある。決して意識を手放す事は出来ず、永劫の時をここで嬲られ続ける事になるのだ。フハハハハハハハハハ」

下種げすがっ……」

「ふふふ。そうでなくてはな。まだまだお楽しみはこれからだ。お主には是非とも儂のコレクションを全て堪能して貰いたいものだ。つまらぬ許しなどうてくれるなよ?」

 ナキアヅカはユノの血にまみれた鞭を置き新たな拷問具を用意する。

 ユノはこれから己が身に訪れる暴力の嵐を前に、恐怖と覚悟をその瞳に宿す。

「トワ様……どうか……」

 ユノにとって、永遠とも思える長い日の始まりであった。


 ◇


「ハアハアハア……またここに戻って来る事になるたぁな……」

「確かにのう。ここなら役人共も追っては来んじゃろうな」

 日が暮れる程の時間町の中をあちこち逃げ回った挙句、最終的に二人が逃げ込んだのはフテリの隠し地下牢だった。

 初めにフテリの部下たちに案内されたルートを通って、再び牢のある最奥まで逃げ込んで来ていた。途中の壁が初めて来た時同様閉まっていたので、それらは全てトワが壊してしまった。そのため今は素通りで誰でも奥まで来る事が出来てしまうが、役人達が無断でフテリの私有地に入り込む様な事はない。そして当のフテリもそんな許可を出す筈もない。

「ハアハアハア……。取り敢えずここでしばらくほとぼりが冷めるのを待つとしようぜ」

「その後はどうするつもりじゃ?」

「その後は……テキトウに隙を見てとんずらこくだけよ」

「とんずらするのは別に構わんが、その前にアクダイ館じゃったか? あそこには行かねばならんのでな。とんずらするならその後と言う事になるじゃろうな」

 そう言うとトワは一つ大きな欠伸あくびをする。

「今日はもう眠い。儂は先に寝るとするのじゃ。明日も忙しくなりそうじゃし、お主も早う寝ておくのじゃな」

 トワはトコトコと開いている牢に入り込み、牢の中にある貧相な寝床に横になるとあっという間に寝入ってしまう。

 トワの寝ている牢は入り口が開きっ放しだったので、フェムトもその中に入ってトワの様子を観察する。

 目の前で無防備に眠っているトワは、どう見ても自称うん億歳の化物には見えず、むしろこれは絶好の機会なのでは? とフェムトはじりじりとトワに近付いて行く。

 寝入ったばかりだと言うのに起きる様子のないトワに安堵あんどしつつ、フェムトはそっと手を伸ばし慎重にすそまくり上げ、下穿したばきをあらわにして行く。

 そしていよいよ御開帳だとトワの下履きに手が触れようとしたその時──

 首に灼ける様な鋭い痛みが奔る。

 そして不思議な事に、自分の意思とは関係なく視界がズレて行く。

「おっと。危ない危ない」

 トワの手が斬り落とされたフェムトの首をキャッチし、再び元の位置に戻す。

 すると不思議な事にフェムトの首はピタリとくっ付き、今し方斬り落とされたのが嘘の様に傷一つ残されていなかった。

「寝込みを襲うのは構わんのじゃが、元から苦手な加減が全く出来んからの。次からは十分に気を付けるのじゃぞ」

「お……おう……」

 トワは言うだけ言うと、再びパタリと寝床に倒れ込んで直ぐに寝てしまう。

 フェムトは何事もなくくっ付いている首をペタペタと、また落ちはしないだろうかと気になって恐る恐る触っているが、トワが問題無しと判断しただけあってそんな事にはならない。

 流石のフェムトも完全に萎えてしまい、再度……いや、今後一切トワの寝込みを襲うのは止めようと心に固く誓った。

「はあ……寝よ…………」

 フェムトは出来る限りトワから距離を置いて眠りに就いた。


 どれ程の時間が経ったのか地下なので分からないが、目が覚めたので今が朝という事にしておこう。

 フェムトが目を覚ますと寝床にトワの姿はない。

 すわ、何処どこに行ったのかと牢にとらわれている奴隷にトワの事を尋ねると、少し前に奥の部屋へ行ったきりらしい。

 特に声を掛けたりはせず、奥の部屋へと足を踏み入れる。

「何じゃ。もう起きて来たのか。もう少し寝てれば良いものを……。まあい。そこに座って少し待ってれ。簡単な物じゃが朝餉あさげを用意してるでな」

 奴隷用に備蓄されていた食料を勝手に拝借はいしゃくしたトワは、手際よく調理を進めて行く。

 白飯に椀物、魚の焼き物と箸休めをそれぞれ一品ずつ。用意した朝餉をフェムトの前に並べ傍に控える。

「お前は食わねぇのか?」

「お主が食べ終わってからじゃの」

「宿では一緒に食ってたじゃねぇか」

「出された食事は冷める前に食うのが儂の主義じゃからな。あの様な場では致し方ない。勿論お主に後にせよと命じられればその様に居たすがの」

「お前は俺の命令を聞くのか聞かねぇのかどっちなんだ……」

「今の所それは儂の気分次第じゃな」

 クックックッと楽しそうにトワは笑う。

「チッ。取り敢えず飯は一緒に食え。俺はお貴族様じゃないんでな、そうしてずっと横に居られると飯が不味くなっちまうわ」

「ではお言葉に従うとしようかの」

 トワはささっと自分の分も用意する。フェムトはその間料理には箸を付けずに居た。

「じゃあ頂くぜ」

 トワの用意が終わったのを見計らってフェムトは先に箸を付ける。

 先程の態度から見てトワは自分より先に料理に箸を付ける事は無いだろうとフェムトは考えていて、事実トワはフェムトが料理を口にするまで箸に手を付ける素振りすらなかった。

「どうじゃ?」

 自分の料理がフェムトの口に合うかどうかは気になる様で、トワはフェムトが料理を口に運ぶ度そんな事を聞いて来る。

「全体的に薄味気味。……だがまあ、まあまあだな」

 一つ一つ答える事はせず、食べ終わった後にぶっきらぼうに言い放つフェムト。

「そうか……そうか……。次は気を付けるのじゃ」

 トワは空になった食器を見て実に満足気な笑みを浮かべていた。

 それが何故か無性に気に入らねぇと感じるフェムトは、殊更ことさら乱暴な口調で話を切り出す。

「で? 結局この後はどうすんだよ!」

「……うむ、そうじゃのう……」

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