第三幕 其ノ二

 と、そこに見覚えのある男が一人、無粋ぶすいにも二人の時間を邪魔して声を掛けて来る。

 すわ、一刀両断にしてやろうかと刀に手を掛けたトワだったが、その男がヒラキである事に気付いて刀から手を離す。

「お主か。何用じゃ? 再戦を申し込むには流石に早すぎると思うのじゃが? 見ての通り今儂らは逢瀬おうせの最中で忙しいのじゃがのう」

 殺す気はないものの、心底邪魔そうにトワは言う。

 危うく何の殺気もなく、まるで邪魔なハエを払うが如くに殺され掛けていた事を、ヒラキは感じ取っていた。

 感じ取って居ながら指先一つ反応する事が出来ずに居ただけだった。ヒラキは背中に冷たい汗を感じていた。実に何十年振りかの事である。

「それは済まぬな。用と言う程の事ではないのだが、一つ聞きたい事があったのでな」

 上擦うわずりそうになる声をこらえながら、出来るだけ平静を装ってヒラキは言葉を紡ぐ。

「何じゃ? 早う申せ」

「主程の実力者であれば、小娘とは言え人一人抱えたそれがしを追う事など造作もなかったはず。直ぐにも主が来るものと思っておったが影も形もないではないか」

「そりゃあここでずっと茶ぁしばいてたからなぁ」

 ボソッとフェムトが呟く。

「罠を警戒でもしておるのやもと考えたが、その様な物でどうにかなる次元ではない事は一戦交えた某には重々承知の事。ならば何故来ぬのか……。気になったのでこうして街の方まで探しに出て見れば、呑気のんきに甘味をつついているではないか。それは流石に黙って見過ごすと言う訳には行くまい?」

 立場上は敵対する関係ながら、ヒラキが至極真っ当な事を言っているなあと、フェムトは話を聞きながらうんうんとうなずいていた。

 あの生意気勇者など領主の野郎にどうされて様が構わないが、トワにしてみれば仮にも一度助けた相手だ。それを目の前で連れ去られて? おきながら、追いかけて行く流れの中で普通に甘味をむさぼる神経は、流石のフェムトにも理解不能であった。

「それで何じゃ? 早う来いと催促にでも来たのかの?」

「いや。来ないなら来なくて結構。その方が某としては助かるのでな。某はここから逃げる様に言うてみたが、どうやら雇い主にその積りは無いらしい」

「おいおい。そんな事俺達にバラしちまって構わねぇのか?」

 内情をベラベラと喋るヒラキに胡散臭うさんくさげな視線を向けながらフェムトが問う。

「構わんさ。主達がどう動こうと某のやる事は変わらんのでな。それと某が連れて行った娘の事だが聞いておくか?」

「あれはお主が勝って手に入れた女子おなごじゃ。お主の物なのじゃからお主の好きにすれば良い。あの後どうなったか儂らに聞かせたいと言うであれば、聞かん事もないがの。まあ敢えて聞かんでも大体想像は付くというものじゃがな」

「まあ大方想像通りだろうさ。雇い主に引き渡してのち、そのまま領主殿に献上された。今頃はさぞやお楽しみであろう」

「だろうの」

「助けには来ぬのか?」

行かぬな」

 トワはヒラキにハッキリと告げる。

「じゃが、別の要件がある故、近々お邪魔するよし伝えておくが良いのじゃ」

「承知した。日取りは其方そちらにお任せする」

「ではそうさせて貰うのじゃ。なに、行く時はちゃあんと分かり易い様に合図をするのでな、何時いつであろうかと悩まんでいのじゃ。その分しっかりと歓迎の準備をしておくのじゃぞ?」

「期待に副えるかどうかは分からんが、出来得る限りの歓待は致そう」

「用がそれだけなら早う去るのじゃな」

「そう致そう。逢瀬の邪魔をして殺されるのは某も本望ほんもうではないのでな。貴殿とは戦場いくさばで死合って終わりたいものだ」

 さらばと告げるとヒラキは文字通り消える様にその場から姿を消した。

 それを見届けるとフェムトがトワに問質といただす。

「おいおい。相手さんも相手さんだが、どっちもどっちだな! あんな約束しなくても良いだろうに、ただ警備が厳重になるだけじゃねぇか」

「クックックッ。そうでなくては一瞬で終わってしまって詰まらんじゃろ? 儂をどうやって仕留める積りか、それをじっくり見学するのも儂の楽しみの一つなのじゃ」

「とんでもねぇ嫌味だなそれ」

「む。その様な事は無いのじゃ。自慢ではないが儂は大して賢い方ではないのじゃ。無駄に永くは生きておるがの。じゃから難しい事は頭の良い連中に考えて貰うのが一番という訳じゃ。特に人は死が間近になる程凄まじい智慧を発揮するものじゃ。そして儂はそれを参考にさせて貰うと、そういう事じゃな」

「参考にしてそれが何になるんだ?」

「取り敢えずは良い暇つぶしになるのじゃ。自分の物にするにはかなりの時間が必要じゃろう? そうして身に着けておくと、その内何かに使えるかもしれんじゃろ?」

「その内使えるかもしれんとか言う物は、大体使わねーけどな」

「それも真理じゃのう」

「それに向こうさんが仕掛けて来るのは集団戦だろ? 一人じゃ真似しようも無いだろ」

「攻撃の組立というか流れと言うかのう、まあ何じゃ、そういう感じの物が掴めれば良いのじゃ。何も得る物が無かったとしてもそれはそれで別に構わんのじゃしな。必勝の罠に掛け勝利を確信した者達の顔が、歓喜から絶望に変わって行くのを見るのは何とも言えぬ快感があるのじゃ。こう……背筋がゾクゾクっとする感じかのう」

「俺らが腕に自信のある女を屈服させる時みたいなもんか」

「そうそうそんな感じじゃ」

 心の篭らない相槌をしながら特大あんみつの最後の一口に舌鼓を打つ。

「うむ。御馳走様なのじゃ」

「それで、これからど──」

 うすると言おうとしたフェムトの言葉も聞かず、トワは立ち上がって宣言する。

「よし! 次の店じゃ!」

「まだ食うのかよ!」

「今食わずして何時食うというのじゃ!? 食べたい物は食べたい時に食べたいだけ食べる。それが儂のじゃすてぃす!」

「じゃすてぃす……は分からんが、へいへい。もう好きにしやがれってんだ」

 どうせ付いて行くしか選択肢もないフェムトはこの先の事を考えるのを止めたのだった。


 トワが支払いを済ませ店を出ると、フェムトが何やら揃いの服を着た厳つい男達に囲まれていた。というか取り押さえられていた。

「何があったか知らぬがそれは儂の連れでな、離してやって貰えると面倒がなくて良いのじゃが」

 トワが男達に声を掛けると、男達の注意がトワへと向かう。

 油断しやがったな! 馬鹿め!

 この隙を逃す事なく一瞬の隙をついてフェムトは脱出を試みるも、注意はトワに向けども力は緩まず地面に抑え付けられた体はビクともしない。元々腕力に自信はなく、抜け技を心得て居たりもしないフェムトは一回身動ぎしてみて、「こりゃ無理ですわ」と早々に脱出を諦めていた。

(まあ……あいつがどうとでもするだろ。はあ……取り押さえてんのが女なら何とかしようもあるんだがなぁ)

 特に出来る事のないフェムトは、もしこいつが女だったら──あーしてこーして……ケッケッケッと都合の良い妄想にふけっていた。

「お嬢さん。それはこ奴が最近ちまたを賑わせていた盗賊団の一味と知っての発言かな?」

 その一隊の長と思しき男がトワに厳しい口調で問う。

「勿論じゃ」

「主人ではなく、連れだと?」

いずれは儂のあるじとなってもらう積りではるのじゃが、今の所は只の連合つれあいじゃな」

「そうか──」

 男がスッと手を上げると、フェムトを取り押さえている男以外の男達がトワを取り囲む。

「少々手荒になるがお嬢さんにも話を聞かせて貰う必要がある様だ。なに、大人しく話してくれれば命だけは保証しよう」

 抵抗するならば拷問で責め殺す事も辞さないと暗に告げる。

 トワはそれを聞いているのかいないのか、それとは別の気になる事について尋ねる。

「よくこ奴が盗賊団の一味じゃと分かったの?」

 フェムトは盗賊団の斥候件毒を盛る係として山道前で茶屋の店主をしていた。それらしい恰好はしていたものの、人相がバレない様にして居た訳ではない。それが今まで捕まって居なかったのは正体が知られて居なかったのか、何かしらの圧力が掛かっていたためであろう。

 それが今日になってこの捕り物だ。

 圧力を掛けているとしたらあの奴隷商人の後ろにいる男、この街の領主に他ならない。

 領主は健在であるため、その圧力が無くなったとは考え難い。

 人相がバレていたのであればもっと早く──

「昨日、くだんの盗賊団に捕らえられていたと証言する女が複数ウチの詰所を訪れてな。色々と話を聞かせて貰った訳だ。その話ではアジトに居た盗賊達は全滅したと聞かされたが、我々はまだ生き残りが居るかも知れんと、女達が知る限りの賊の情報を集め捜索していたのだ。中でも山道の茶屋の店主の顔は我々の中にも知っている者が居たのでな。まさか市中にこうも堂々と現れるとは予想外であったが。こ奴がトンだ間抜けで大助かりだ」

「うーむ……これも一種の因果応報かのう」

 まさか助けた女子達の行動があだになるとは予想もしていなかったトワであった。

「バレて仕舞ったのであれば致し方ないのう」

 周囲の男達に見せつける為に、トワはゆっくりと刀を抜き放つ。

 それを見て男達は一斉に刀を抜き構える。

「腕に覚えがあるのか知らんが、多勢に無勢だ。大人しくしておく方が身のためだぞ」

 隊長がトワに抵抗しない様促しながら、ジリっと間合いを詰める。

「馬鹿! 逃げろ! 殺されるぞ!」

「安心しろ。殺しはせんさ。それなりに痛い目には遭ってもらう事になるだろうがな」

 フェムトの叫びに、フェムトを取り押さえている男が答えるが、それは全くの勘違いである。

「そ奴を放してくれたら納めても良いのじゃが?」

「それは出来ぬ相談だな」

「であろうの」

 ────!

 トワの言葉が終わると同時。

 それは一閃すらもないトワの一振り。

 誰の目にも──それは恐らく、神の目にすらも映らぬ速さの一撃。

 コロン。

 名も知らぬ隊長の首が地面に転げ落ちる。

 大きな重しを失った首からは、遅れる事数瞬。噴水の様に噴出ふきだした血が辺りをしゅに染め上げて行く。

「な……な……なに、が……」

 突然の変事に二の句を告げる事も出来ない面々を余所よそに、トワは降り注ぐ血を全て避けながら、一人、二人と斬捨てて行く。

 トワが動く度に人が斬られて死ぬ。だがトワが斬っている所を誰も見ていない。見えていない。しかし見えて居なくても分かる。トワが彼等を、仲間達を斬り捨てているのだと。

 フェムトを抑えて居た男は、次々と腕自慢の同僚達が何の抵抗も、反応も出来ずに一刀のもと斬捨てられていく様子をただ茫然ぼうぜんと見守っていた。

 トワを囲んでいた最後の一人が二つになった所で、遂にフェムトを抑えていた男の心は壊れた。

「あ……あああああああああああああああああああ!」

 言葉にならない言葉を大声でわめきながら、トワに背中を向けて全力で逃げ出したのだ。

 それをトワは追うのも面倒とばかりに、地面の小石を蹴り飛ばし逃げる男の頭部を弾けさせる。

「うげっ……」

 その様子をモロに見てしまったフェムトは込み上げて来るモノを抑えられず、胃の中の物を地面にぶちまける。

 それは何もフェムトに限った話ではない。

 天に昇る太陽はまだ高く、騒ぎを聞きつけた少なくない野次馬や日常の生活を営む町人達がその様子を見物していたのだ。

 辺りは一瞬にして阿鼻叫喚あびきょうかんの大騒乱に。

 そして広がる地獄絵図。

 その中心には血で全身を真っ赤にコーディネートしたフェムトと、一滴の血すら付いていないトワが居た。

「どーすんだよこれ…………」

 こぼれたその一言は、偽りなきフェムトの心情だった。


「クックッ。お主、見事に真っ赤じゃのう」

「笑ってる場合か! どうすんだこの状況! 別に殺さなくても良かっただろ!」

「手加減とか苦手じゃしな。スパっと斬ってしまった方が手っ取り早かろう。面倒もないしのう」

「今まさに余計面倒な事になってるんだがっ!」

「?」

 心底何も面倒な事になんかなってなさそうな顔で疑問符を浮かべるトワ。

「こんな騒ぎを起こしちゃあ、直ぐに警備やら兵やらが飛んで来るだろうが」

「案ずるな。全部斬って捨てれば問題ないのじゃ」

「あるわ!」

何時いつもこうして来て何も問題はなかったのじゃが、何が問題なのじゃ?」

「お前は街を滅ぼす気かっ!」

「そうなる事もあるかのう。街や国の十や二十、世界の一つや二つ滅びた所でどうと言う事もなかろ」

 フェムトは改めて目の前に居る見た目だけは小娘が、自称うん億歳の化物である事を認識する。根底にある価値観が人のそれとは異なっているのだという事を。

 フェムトにした所で街の人間の命など、実際の所どうなろうと知った事ではないし、先程トワに斬られた役人共の事も何とも思ってなど居なかったが、さりとて別段殺しをしたいわけではないし、夢見が悪くなりそうなので出来ればしたくないと考えている。

 殺しに関してはフェムトにも多少の罪悪感と言う物があるのだった。

 だがトワにはそれが一切ない。人が雑草を刈り取るのと同じくらい、いやそれ以下の意識で命を刈り取って行く。

 ただ邪魔だったからという理由だけで。

 このままここに居ては違う意味でヤバイと理解したフェムトは無意識にトワの手を掴む。

「ん……?」

「兎に角ここを離れるぞ! 付いて来い!」

 フェムトは掴んだ手をそのままに、強引にトワを引っ張って走り出す。

 トワは意外に大人しくフェムトに引っ張られて行く。その表情はどこか嬉しそうであった。


 フェムトはトワを引っ張って人気の無い路地へと逃げ込む。

 だがフェムトから滴り落ちる血の跡が、二人への道標みちしるべとなっている。

「クソッ! これじゃ何処どこに逃げても直ぐ見つかっちまうぞ。おい、これどうにか出来ねぇか? そもそもお前のせいでこんな血塗ちまみれになってんだからな。あークソ、気持ちワリィ」

 と自身をベットベトにしている大量の返り血を指して、フェムトはトワに無茶振りをする。

 無茶振りをされた筈のトワは何事でもないかの様に答える。

「簡単じゃよ」

 そう言ってフェムトに手を伸ばしたかと思うと、フェムトを全身真っ赤に染め上げていた大量の血が全て消し飛ばされた。

 文字通り跡形もなく消滅している。近くの壁や地面に血が飛び散っている様子もない。フェムトの着衣にも微塵の乱れもなく、血で汚れる前の状態に戻っている。

「おおう……自分でやらせておいて何だが、まじか……」

「驚くほどの事ではないのじゃ」

「いやいやいや。驚くほどの事だろ。魔法だってこんな事出来ねぇだろ」

「さてのう。儂は魔法にはうといからのう。今のは単なるチカラの使い方の応用に過ぎん。児戯じぎにもならんのじゃ」

「まあいい。これで取り敢えず追手は撒ける……か? しかしこっからどうするか……」

 どうやって街から逃げ出すかの算段を考え始めるフェムトに、ユノを助けに行くという選択肢は微塵も浮かんでいなかった。

 トワを使えばいとも容易たやすく街から出る事など出来るのは百も承知だが、それをやろうとすると恐らく、先程以上の被害が予想されるため出来ればそれは最終手段としたいフェムトであった。

「一旦街から出るなら儂が……」

「お前は黙ってろ! 良いか! 俺が良いって言うまで大人しくしてろ!」

 考えが上手く纏まらないイライラをトワにぶつけるフェムトだったが、トワはフェムトに命令されるのを嫌がる様子はない。むしろ嬉々として従っている。

 そんな様子に気付く事もなく、フェムトは如何いかに穏便に、そして自分が安全にこの街からおさらば出来ないかばかりを考えていた。例の呪いがあるため、トワという厄介事の爆弾を抱え込み続けなければいけないのが、目下一番の悩みである。

 うんうんと知恵を絞るフェムトにトワが声を掛ける。

「儂は構わんのじゃが、お主としてはここに余り長居せん方がいのではないか?」

 そう言われてフェムトはハッと気付く。

 綺麗になってすっかり忘れていたが、逃げるのを忘れていた!

「そうだ! こうしちゃあ居られねぇ! 取り敢えず何処でも良い。何処か隠れられそうな所に移動するぞ!」

 そう言って駆け出そうとするフェムトの手を、今度はトワからキュッと握る。

 気付いた以上は兎に角早くずらかりたいフェムトは、握られた手を意識する事なくギュッと力強く握り返し、再びトワを引っ張りながら人気の無さそうな場所を探して走り去って行くのだった。

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